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第二話

 五月。桜はもう散ってしまったけれど、葉桜どころか土の地面すら見えない教室の窓から、儚さは微塵も感じ取れなかった。映るのはただ、濁された空と、曇った大阪湾のみ。まぁ、長い目で見て自然の美しさが失われていると考えれば、儚いと思えなくもないか。そんなことを考えた朝のHR前。初美は教室の窓から海に目をやった。

 しばらく海を眺めていると、ふとあの子を思い出しそうになってしまう。いけない。何か別のことを考えないと。そう思った矢先に、HR開始のチャイムが鳴った。挨拶をして出欠を取って、そんないつもの作業が、初美の思考をかき消してくれた。

 先生から連絡事項が伝えられた。

「はい。今日は水曜日、主権者学習のある日ですね。前々から伝えていた通り、今回は、葉桜新党会員、大阪府議会議員の霞先生にお越しいただいて講和を受けます」

 「ここで大事なのは――」と先生が続ける。

「みなさんは、学生として以前に、有権者の卵として講和を受ける、ということです。今回の先生は実際の政治家ですから、講和には主観的な政治色が出てくるかもしれません。それを鵜呑みにしたり、逆に頭から否定したりもせず、ひとりの国民としての意識を持って、批判的思考で臨んでください」

 HRが終わって、一限目前の休み時間に入った時、「先生はあんな風に言うけど――」と、クラスメイトが話しているのを初美は耳にした。曰く、今回の話者は、この学校で社会研究同好会の会長をしている三年生の父親だと言うのだ。

「あくまで中立でいろ、みたいなこと言ってるけど、実際のところどうなんやろね」

 しかし初美は先生のセリフにあった真意を理解していた。教育基本法第十四条二項によって、学校施設内での政治活動が禁止されているのを初美は知っている。現職の政治家から講演を受けるという、一歩間違えば政治活動になりかねない学習と、法令遵守を兼ね合わせるために、先生はあのような前置きをしたのだろう。初美はこの時点で状況に納得していた。

「それに、社研って……」

「佳子が入ってたトコだよな」

 だが、その言葉が耳に入った途端、初美にとってこの状況は特異で深刻なものになった。「なにそれ、私知らない」とでも言って割り込みたくなった。しかし、授業開始1分前の予鈴に襲われて叶わなかった。急いでロッカーからノートと教科書を取り出し、一限目の教室へ向かう。結局、初美はモヤモヤした気持ちを抱えたまま、講和の時間を迎えることになった。

 そこそこに整った顔をした四十歳程度の男性議員が講和をしている。それほど大きくない、ビル型の校舎の最上階に当たる六階、スタジオと呼ばれる体育館のような広い部屋。行われた講和は、きわめて有意義なものだった。政治家ならではの聴者に配慮してわかりやすく伝わりやすい演説調な解説は、高校生たちにも聴きやすかった。

「――最後にですが、〇〇高校さんのように、主権者教育と言って、世の中について考えるチカラとか、人と議論をするチカラといったものを育てる教育を推し進める学校は、これからますます増えて行きます。みなさんは、時代の先を行く、希で貴重な高校に通っている。けれど、まだ〇〇高校さんのような学校は少ないです。それは何故か」

 左手にマイクを持ったまま、右手で逆さにしたOKマーク、つまりお金のマークを作り、続ける。

「カネがかかるからなんですね。考えてみれば当たり前な話です。今までにない新しい授業をやろうと思ったら、今までやっていた授業分の時間を切り詰めなきゃいけない。そしたら、なるべく短い時間で、こゆーい授業が出来るような、素晴らしい教科書、すばらしいアプリ、すばらしい先生、エトセトラ……これらが必要になってくるわけです。そしたら当然、普通よりカネがかかる」

 目を強く瞑り、「だから……」と言ってから見開いた。

「現状、ひっじょーに残念なことに、このように高度な授業が受けられるのは、高い授業料を払えるような家庭、つまり、比較的に裕福な家庭が大半です。格差社会、なんて言葉が最近はよく使われますが、みなさんはその格差のうち、優位とされている側にいる。それを自覚しなければなりません。この恵まれた環境を、どう活かすのかはみなさんの自由です。怠惰な生活を送って、格差なんかに目もくれず、ただただ一生を過ごす。学習に励んで、社会的地位高いところへ行くけれど、格差には関心を持たないで現状を維持する。学習に励んで、社会的地位の高いところへ行ったとき、格差をなんとか是正してやろうと、何かをする。全てが自由です。それぞれの人生にそれぞれの苦しみと幸せがあります。どれも肯定できないし否定できません。逆に言えば、正当な言論に限って考えるならば、誰も肯定してくれないし、誰も否定してくれないわけです。選択するのはあなた自身だ、ということを忘れないでください。あなたたちは、やろうと思えば何だってできてしまう環境という、最強のブキを持っているんです。それを自覚して、高校生活を送りましょう。以上」

 その後、少し長い質疑応答の時間が終わり、先生からの案内が入る。

「霞先生は、このあと、五時まで学校におられます。何か追加で質問等あったら、見つけて、質問してみてください。――で、よかったですよね?」

「うん? ――ああ、うん。そう」思い出したように答えた。

「では、以上で今週の昼食後主権者学習を終わります」

 霞議員が出て行ってから、生徒に解散の指示が出る。床に座っていた生徒たちが一斉に立ち上がって、喋りながら出口へ向かった。持ち込んでいたアイパッドを抱えて立ち上がった初美の目に、今朝、教室であの噂を話していたクラスメイトが入ってきた。朝に感じていた感情が再来した。

 やっぱり無視できない。

「――ねぇ、持戸くん!」

話しかけると、二人はすぐに会話をやめてこちらの方へ向いてくれた。

「社会研究同好会? って、どこで集まってるの?」

「あぁ、スタジオのすぐ隣、小さな部屋があるやん。あそこ使ってる。けど、最近あんまりその教室では見やんくなったなぁ」

「ん? 俺は先週見たよ。けど随分早い時間やった」彼の友人が合いの手を入れる。

「ありがとう。それから――」

 今朝話していたこと、つまり、社会研究同好会についての良くない噂について尋ねると、他の人には内緒だと釘を刺された上で、打ち明けてくれた。

 曰く、社会研究同好会は頻繁に何処かに集まって、犯罪を正当化するような意見交換をしたり、安保闘争時の一部極左が如く、革命と称して何か法に触れる行為をしようと企み、また和を乱した会員を糾弾したりしている――ということだった。

「俺も友達から聞いたし、その友達は誰からその話を聞いたか教えてくれなかったんやけどね」

 いかにもこの生徒らしい最後のセリフで、この話の信憑性は一気に下がってしまった。しかしそれでも、初美にはどうにも無視できない話だった。

「天満は佳子と仲よかったし、てっきり知ってると思ってたけど」

「それが、私、社会研究同好会の話どころか、佳子が同好会に入ってることすら知らなくて」

「マジか」露骨に驚くような態度を示した彼にムッとして、少し黙ってから、「なんで私も知らない佳子の話を、持戸くんが知ってるのさ」

「俺の情報網なめんなよ?」「そういうのいいから」言ってから、少し口調が強かったと気づき、慌てて少し表情を解す。

「……その友達に聞いたんだよ。社研が怪しいことやってるって教えてくれた友達」しかし彼は答えてくれた。

「どんな子? 何組?」

「この学校の子じゃないよ。大人の人」

「大人?」「そ。この前あった保護者参加の一年生歓迎会に来てた、キッチリした身なりの人。社会研究同好会の会員の保護者って言ってた。話しかけてきたから答えたら、話が弾んで、色んな話が聞けたんだよ」

 大人でも、仲良くなった人を“友達”と呼んでしまうあたりは、彼らしいといったところだった。

「へ、へー……すごいね」

 しかし、初美には一つ疑問が残っていた。

「けど、なんで保護者が佳子っていう名前まで把握してるのさ。会長の親だったとか?」

「俺もそうかなと思うとったんやけど、さっきの先生とは違ったからなぁ……。けど、佳子が社研に入ってたのはマジっぽ。先生もそうだって言ってたから」

「……そっか」

 これ以上聞き出せることは無さそうだと思った。


 午後の授業も終わって、時刻は四時五十分過ぎ。一通りの身支度を全て終えてから、初美は例の部屋へと向かった。

 階段を一段、また一段と登るごとに、本当に行って良いのかと迷いが生じる。迷惑なだけでは? あるいは、あの子にとっても触れて欲しくない領域の話だったのかもしれない。けれど、もしもう一つの可能性があったらとか、そこに何か答えがあったならとか、そんなふうに考えながら何もせずに過ごしていたら、きっとずっと後悔する。だったら行動は早いほうがいい。視線を落として左手をあげ、腕時計に目をやる。四時五十四分。

 六階に到着して、階段がなくなった。突き当たるようにして廊下に出る。左手にはスタジオへ入る扉があって、右手側すぐそこには件の教室がある。そちらへ向かおうとした時、教室の扉が開いて、中から一人の男が出てきた。

 あの議員だった。件の、同好会長の父という彼だった。

 これまで、初美は特別、彼に何かを質問しようとは考えていなかった。しかし、もうこれを逃しては機会がない、という状況になって、一つ、質問したいことが出来た。

「あの!」

 声をかける。彼は扉から手を離して、こちらの方を向いた。

「質問したいことが、あるんですけど……」

 彼は自分の腕時計に目をやり、顔を合わせて、「五分だけなら」と、何処か不満げに答えた。講和をしていた時とは若干違う印象に少し戸惑ったが、初美は口を開いた。

「――今後、刑法第二百二十四条が改善されることはあるでしょうか?」

「何の法律ですか?」

「保護者の許可なしに未成年者が他人の家とかに行ったら、違法な誘拐になると定めた法律です」

 何か反応があるかと思ったが、彼は黙ったままなので、話を続ける。

「例えば、その未成年者と第三者が合意していて、親元を離れるいわば『家出』の形だったとしても、誘拐という名前の罪で逮捕されて、匿った人が誘拐犯として有罪判決を受ける。そういう状況が今後、改善される可能性はあるでしょうか」

「……改善、かい。まるで、その状況が何か、悪い状況であるかのような言いようだね」

 いきなり口調が敬語ではなくなり、初美は少し驚いた。

「……はい。なぜ、同意があったのにもかかわらず、誘拐という扱いになってしまうんですか? “家出幇助”とかじゃダメなんですか?」

「未成年者は判断能力が未熟だからだよ」

 霞の態度に、初美の感情はますます激しくなってゆく。

「けど、判断能力の未熟な大人も沢山います。もし、判断能力の未熟な両親の元に、比較的判断能力の熟している子供がいたとしたら、この法律は、そんなケースに対応できていると言えるでしょうか?」

「考えてもみなさい。子供の低い目線から、自分の判断能力が熟しているかどうかなんて、わりようもないだろう?」

「なんですかそんな、悪魔の証明みたいな」

 彼には子供が難しい用語を使う様が、背伸びをする思春期少女に見えたらしい。少し姿勢を低くして目線を合わせ、子供へ語りかけるように返答した。

「罪の名前を変えるとしたら、新しい法律を作る必要が出てくるね。そんなことのために仕事ができるほど、お役人のおじさん達は暇じゃないんだよ」

「話を逸らさないでほしいですね。子供の判断能力は必ず大人のそれよりも劣っている、そう断言できる根拠を私は知りたいです」

「いいや、君は私の発言に対する所感を答えた方が良い」

 この態度は初美の精神をますます逆なでした。

「だいいち、法改正が”そんなこと”なんですか? 全国にいるあの子と同じような境遇にある子を助けることが、そんなこと、ですか? 役人じゃなくて政治家がやればいいじゃないですか。というかそれも政治家の仕事じゃないんですか? 政治家の事務所でも法案を書くことはできるでしょ? なんでそこで総務省に仕事を丸投げしちゃうんですか? だから官僚が忙しくなるんじゃないんですか?」

 霞は激高した初美をに対し、低くしていた姿勢を伸ばして、上から見下ろすように返す。

「失礼なことを言うな君は。そこまで言うなら、私の解釈を教えてあげよう。子供は判断能力が未熟であり、自由意志を持つ人間の範疇に入らないから、大人と一緒に間違いを犯したならば、それは大人が悪知恵を吹き込んだに決まっている。そういう訳で、犯罪の主体は大人にある。子供は単なる客体にすぎない。だから“幇助”ではなく“誘拐”なんだ」

「は?」

 あの子がいかに主体的であったか、自分たちが如何に人間らしく人間であったか。霞の話を聞いているうちに、そんな記憶が黒くなって頭の中をぐるぐる回り、目の焦点が合わなくなった。存在した人間を簡単に”存在しない”と断ぜる大人の傲慢さに、初美は目眩を感じていた。

「だいいち、誰だよ“あの子”って」

 機関銃のように言葉を撃ち続けていた二人の声が途切れる。取り繕うことをやめた彼の口調の豹変ぶりもそうだが、自分でも気づかない間に佳子のことを引き合いに出していた初美も大概だった。それほどまでに自分がここでのやり取りに没入していた、ということに初美は驚いた。

「――あの子は、佳子は、この学校の元生徒です」

「なんだい、その子が家出して、警察にしょっ引かれて泣いたのかい?」少し笑いの混じった声を返す。

 一呼吸置いて、口を開く。

「ええ、泣きましたとも。泣いて、泣いて……大阪湾に、沈みました。この校舎から、飛び降りて」

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