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第一話

「じゃ、今日の議題はこれ」

そう言って、少年は架板式ホワイトボードの板を回す。裏返った白板が架骨に固定される音と同時に、その場にいた全員が白板の文字を目にした。


――健康増進法第二条に、会規第一条は適用されるか――


「……楸くん」

 白板の前にある、大きめの円卓に並んだ椅子の中で、最も白板の近くに座った少女が、手を上げながら口を開いた。

「はい、悠季。発言どうぞ」

「くだらなくない?」

「言うと思った」笑いながら司会の彼が答えた。物置き地下室を改装した、秘密基地のような集会場に、少しの間、笑い声が響く。

「まぁまぁ。今回は、天満さんが加わって初めての集会だから。少しライトめな議題から入った方がいいかなって」

「なるほどね」手を下ろした。

 当の天満が思った以上のユルさに驚くのを尻目に、楸がポケットへ手を回し、スマホを取り出す。

「それじゃ、いつも通り、資料はグルチャで共有するから、チェックしてねー」

 彼が言い終わるのと同時に、円卓に座っていた会員全てから一斉に通知音が鳴る。ある者はズボンのポケットへ、ある者は胸ポケットへ、スカートのポケットへ、それぞれの箇所へ手を伸ばし、スマホを取り出した。ある一人を除いて。

「――あ、そっか。まだグルチャ入ってなかったか。QRコード出してもらっていい?」

 そう言いながら、白板を離れ、天満の座っている席の方へ歩み寄る。

「え? あ、はい……」

 言われるがままに天満は自分のスマホを出して、SMSアプリを開き、ホームから、アカウントのQRコードを表示した。それを楸のスマホが読み取る。

「おいおいハブるなよ〜」「実質いじめやぞ」「うるさいな〜」会員たちと冗談を言い合いながら楸はスマホを操作した。すぐに天満のスマホへ、HISAGIというアカウントからフレンド登録された旨の通知が届く。

「……下の名前、“はつみ”って読むんや」

「あ、はい。そうです。衣ヘンに刀って書く初に、綺麗って意味の美」

「文学的な名前ね」割り込んだのは悠季だった。

「自分の殻に刀を入れて脱皮し成長する様が美しい――。いい名前」

 どう答えたら良いのかわからず、天満は「あ、ありがとう、ございます……?」と微妙な応えしか返せなかった。

「ふーん……」と、話を聞いていた楸が少し考えたあと、天満へ尋ねる。

「じゃぁ、これからは『初美』でいい?」

「え? あ、はい。良い、です……」困惑気味の初美へ天満が続ける。

「それからさ。俺のことなんて呼んだら良いか、正直迷ってただろ」

 図星の指摘だった。

「まぁそりゃそうだよな。下の名前でいきなり呼ぶのがなんか気が引ける。けど、上の名前で呼ぼうと考えても、『カスミ先輩』なんて呼び方だと、まるで女の子を呼ん出るみたいだもんな。それに、入ったばっかでいきなり『会長』呼びも乗り気しないだろうし。さっきまでみたいに”先輩”呼びしても、ここじゃ誰を指してるのかわからんもんな」

 完全に心を見透かされて驚いた初美へ、一瞬笑いかけて、楸が続ける。

「――楸先輩、で良いよ。俺も君のこと下の名前で呼ぶから」

 言い終わると、スマホを操作しながら白板の方へ戻っていった。初美のスマホへまた通知が届く。


――HISAGI によって、グループ“社会研究同好会(裏)”に招待されました――


「じゃぁ改めて――」楸が口を開く。


「“社会研究同好会(裏)”、略して“会裏(カイリ)”へようこそ」

 健康増進法 第一章 総則 第二条 国民の責務

    国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するととに、健康の増進に努めなければならない。


 社会研究同好会裏会規 第一条 不当革命の否認

    会員は、原則として、標的法を犯してはならない。なぜなら、会裏の目標は、あくまで正当な手段をもって標的法を改廃することであり、犯罪集団になることではないからである。


「……じゃ、全員、再確認してもらったかな?」

「うっす」「はーい」といった応えが全員から取れたのを確認すると、楸が続けた。

「じゃ、発議者の納智くん、説明してくれるかな」

 すると、「はい」という返事とともに、メガネをかけた小柄な少年が一人立ち上がった。痩せていて、体調こそ悪そうではなかったが、健康的とは言えない出で立ちだった。

「僕がこの原則を該法へ適用することに疑問を抱いたのは、該法が、あまりに形骸化しているからです。原則によれば、我々が標的法を尊ばずとも犯してはならないのは、我々が犯罪集団になることを目的としていないからです。しかし、該法を犯したところで特に罰されることもなく、自分の健康に気を使わなかったとしても、悪質性が高まるわけではありません。よって、役員の自由意志は当然のことながら尊重するという先の集会で会長の示された方針に則るならば、該法を犯してはならない理由は薄いと考えました。この規約はあくまで『原則』ですから、理由が薄いのならば、例外的な行動を取っても良いのではないかと考えます」

 長い説明が終わるのを待っていたかのように、楸がすかさず「素晴らしい」と合いの手を入れた。

「良い説明だった。君はとても賢いから、両条文への理解も深かったし、理路としていた」

 「けれど――」と楸が続ける。

「長い。議題として扱う以上、発議はもう少し整然としていた方がいい。もう少し、シンプルに……三行くらいでまとめられないかな」

楸がそこまで言うと、すかさず悠季が割って入った。

「一、会規第1条はあくまで原則だから柔軟に考えて良い。

二、健康増進法第二条は形骸化していて、破っても別に問題ない。

三、会員の自由意志は尊重するので、この場合は、会規第一条を適用しなくても良いのでは?」

 言い終わったあと、「楸なら、まとめろって言うと思ってた」と付け加えた。

「さすが悠季、話が早い」

「話が早い、というか、こうなるって予想できたのよ。野次を少なくするために、議題に関する発言は完全に指名形式にする。前回の会議で楸が決めたことだけど、そういう条件なら、発言の一つ一つがどうしても長くなる」

「確かにな。改善の余地があるかもしれん」

 それはそれとして、と前置きしてから「納智くん、こんな感じで大丈夫?」と確認をとる。

「大丈夫です」

「じゃ、今のをチャットにあげてもらってもいいかな」楸が悠季へ目配せした。

「はいはい」と言うと、悠季は机の上に置いていたキーボード付きのアイパッドを開いて、明らかに一般的なそれよりも早い速度でタイピングを始めた。

「すご、早い……」初美がそう呟くと、「あの人、親が小説家なんだよ」と、隣に座っていた少女が反応してきた。香水が少しキツくて、一度合わせた目をそらすように悠季の方へ向き直る。すると、それと同時に悠季が口を開いた。

「『三ノ丸 尾張』の名前でググりなさい。母さんのペンネーム」

 言い終わるのと同時に、エンターキーを押してタイピングをやめる。すると、グループチャットに先ほどの三か条が送信されてきた。

「良えよー、ドンピシャなタイミング」楸はそういうと、いつのまにか操作していたらしいスマホを下ろした。それと同時に、グループチャットにアンケートが表示された。


――・――・――・――

【この案に】

(賛成)

(反対)

(どちらでもない)

※非匿名アンケートです

――・――・――・――


「はい、答えてー」

  投げやりな指示に、もう慣れているらしい会員たちが応え、それぞれスマホを操作しだす。

「……初美も投票していいんだぞ?」

 楸にそう言われて、初美も慌てて投票した。

「――じゃ、全員の票があつまったので、表示します」

そう言ってスマホを一回タップすると、アンケートの下に、投票結果と、投票者のIDが出る。


――賛成――

・Now chi

・なち

・天満はつみ

3名/8名

――反対――

・住義

・Sakimi

・しぐれ

3名/8名

――どちらでもない――

・yuki

1名/8名

――棄権――

・HISAGI(enquête host)

1名/8名


「それじゃ、例によって、賛成者の意見から出していこう。納智くんは、さっき話してもらったからいいとして。なっちゃん。意見をどうぞ」

 「はーい」と言って、初美の隣に座っていた少女が起立した。改めて全身が目に入って、初美はこの少女の華奢さを感じ取った。

「納智くんの意見とだいたい同じで、あと、私の意見としてはなんですけれど、きっと今後も似たような議論がどうしたって出ると思うんですよー。この集まりに持ち込まれる標的法は、おかしな法律なのに放置されてるものじゃないですかー。やっぱり、同じように形骸化しているものが多くなってまう、んじゃないかなぁと思うんです。だから今と同じように、原則を使わなくていいだろ! って話は今後も出ると思うんですよねー。だから、早いうちに原則を使わない時のテンプレを作っちゃった方がいいかなー、って思うんです。そしたら、この健康増進法なんてピッタリな素材じゃないですか。みんなの標的法の中でも特に形骸化してるし、わかりやすく個人の自由意志に食い込んでますよねー。ワルい意味で文句なしです」

 「なるほどね」楸が応えた。

「将来を見据えてものを考えられるのはすばらしい。その視点を今後も失わないでくれよ? じゃ、まとめると?」

 悠季の方を見る。

「これは将来にも起こるであろう原則議論に備える前例を作る良い機会である」

「ありがと」

 それから彼女がチャットを送るまでに五秒もかからなかった。

「初美ちゃんは?」

「え? いや、私はただ、納智くんの意見に納得しただけで……あと、楸先輩もすばらしいって言うてたから……」

「りょーかい」特に咎めることもなく応えた。

「じゃ、次。反対意見の人。まず住義くんから」

「はい」と短い返事をして、流智ちょうど反対側くらいの所に座っていた一人の少年が立ち上がった。少し怖いくらいガタイが良くて、いかにも健康的な出で立ちだった。

「俺は、この案に反対っす。まず、原則だろうが何だろうが、ルールってやつは守んなきゃいけないって思うからです。別に、体に気ィ使うのは、んな難しい話じゃないし、そんくらいは守ったほうがいいかって思います。それだけっす」

「うんうん、いかにも君らしい真っ直ぐな意見だ。君みたいな人は組織に絶対必要だと僕は思う。まとめると?」

「ルールは守れ」

「ありがとう」

 すると、もはや一秒も経たずにチャットへ送信し終えた悠季が顔を上げ、楸へ尋ねる。

「……ねぇ、楸。今回私、酷使されてない?」

「別に酷ちゃうやろ」

「嫌なわけではないけれど、今までこんなに私がタイピングしたことなかったじゃない。まぁ、今までと言っても今回で3回目程度だけれど」

「確かにせやけどな」

 初美を指すように左手を伸ばし、「今回は、新入りさんがおるんや。面白く、リズミカルで、わかりやすく行かんと」 と続けた。

「むー……癪だけど……わかった。がんばる」

「おうがんばれ。じゃ咲廻ちゃん。どうぞ」

 そんな調子で発言は続き、グループチャットにはそれぞれの意見が出揃った。


―― 一、会規第一条はあくまで原則だから柔軟に考えて良い ――

―― 二、健康増進法第二条は形骸化していて、破っても別に問題ない ――

―― 三、会員の自由意志は尊重するので、この場合は、会規第一条を適用しなくても良いのでは ――


―― これは将来にも起こるであろう原則議論に備える前例を作る良い機会である-片平流智――

―― ルールは守るべき-大戸住義 ――

―― このように重大な物事には慎重になるべき-本松咲廻 ――

―― 将来、原則を破りたくなった際のハードルを下げることになる-箕鉢深暮 ――


「じゃ、意見が出揃ったところで、異論、反論タイムへ行こうか。発言したいことがある人は?」

「はい」二人分の手と声があがった。流智と住義のものだった。

「……言っとくが、二人とも、また前回みたいに喧嘩しだしたら、なっちゃんはあとで俺にニンニクたっぷりの餃子を奢られる刑だし、住義は腕立て10回やからな。両方とも問題発言1文字につきな。このまえ約束したからな」

 「だ……大丈夫です」「善処します……」一気に勢いが削がれたようだったが、挙手を取り消すつもりは無いようだった。初美はその様子を見て少し不安になってきた。

「じゃ、例によって、今度は反対意見の側から。住義」

「はい」なにかを観念したように立ち上がって、口を開いた。

「さっき俺が言った通りだし、咲廻と深暮が言ったこともその通りだと思います。そんな軽い気持ちで原則を破るっていう重いことをやっちゃいけないし、やったとして、エスカレートするのが目に見えます」そこまで言ってから「特に……」と言いかけ、すぐに「なんでもないっす」と取り消す。

「ん?」と楸「今のは……」と悠季。この二人を筆頭に、全員の視線が自分に集まっているのを住義は感じ取った。

「……うん、よう堪えた。学習してきたな」そう言われて住義がほっとしたのもつかの間「じゃ腕立て10回」と、コミカルな口調のセリフが飛んできた。

 「ちっくしょ!!」飛び上がるように席から立って、その少し後ろの席で腕立て伏せを始めた。その場が笑いに包まれた。ちょうど彼の隣に座っていた納智が「いーち、にー、さーん」とカウントを始める。

「何か無難なセリフを続ければ良かったものを」「あそこで取り消しちゃうんじゃ、問題発言をするつもりでしたって言ってるようなものね」「まぁ10回程度が妥当やな」初美自身も心の中で、もしや彼はアホなんじゃないかと思い始めていた。

 そんな笑い声に搔き消えると思ったのか「ばーか」と漏らした流智のセリフを、楸は聞き逃さなかった。

「……お前、本当にギョーザ好きなんやなぁ」

 怒りを含んだニコニコ笑顔で楸が流智に語りかける。

「あっ……」流智の目からも光が消えた。なるほどこの人もアホだ。

「――はーち、きゅー、じゅう!」

「ん、まぁ、こんなもん……」と、少し息を切らしながら住義が立ち上がった。笑いが拍手に変わって、すぐに止む。住義が席に戻って、集会はまた普通の状態に戻った。

「……さて。議論に戻ろう。住義の言いたいことはさっきので全部?」

「はい、一応」

「じゃ次はなっちゃん。どうぞ」

「はい」少し力無さげな返事で立ち上がったが、直ぐに気を取り直したように、話し始めた。

「よっしーの話に対する反論はまぁ置いといて、ハードルを下げちゃうんじゃ無いか、ってゆーことについて、なんですけど、だからこそ、この法律みたいな、ちょい軽めのものをサンプルに出来るうちに、しっかりと原則を外れる時のテンプレをつくっといて、その時のために準備しとくべき、ってのが私の考えなんですよね。あと、慎重になるべき、ってゆーのは私もそう思うトコなので、えーっと、はい。そうだと思います。できれば今日に収めるべきですけど、もし私たちの考えが採用されて原則を外れることになるなら、なるだけ長い時間とって話し合うべきなんだと思います。以上でーす」

「はい、ありがとう」楸が締めた。

 話終わった流智が座ったので、初美は彼女に「よっしーって誰ですか?」と訊くと、流智は「ん? あのデカいバカ真面目のこと。大戸住義ってやつ」と返す。

「え? でも、なんか仲悪いみたいですけれど……」

「だから?」「よっしー、ってずいぶん親しげな……」

「そういうものじゃない?」と、ここまで二人が会話したところで「おーい」と楸が割って入った。

「聴こえてないと思ったかい?」「誰がデカいバカ真面目だって?」住義も合いの手を入れる。

「ええっと、『ばーか』と『バカ真面目』で8文字だなぁ」言いながら千円札を財布から出してズボンのポケットにキープした。

「頼むよ。これ以上、俺の財布を寂しくせんでくれ」笑いながらそう言い飛ばす。どうやらこんな様子でいつも議論をしているらしいから、きっとここにいる全員がアホなんだろう。本当に大丈夫なんだろうか。そう考えて初美は視線を楸から逸らした。

「……あの、先輩。『デカい』は問題発言にカウントされないんすか?」 「はいじゃぁ次、意見ある人は?」

 これ以降、流智が問題発言を飛ばすこともなく、議論は続いた。


――深く議論をするにしても、時間が今日で足りるのか疑問だ――

――次の会に持ち越すこともできるのでは――

――次の会で議論することはもう決まっているのか――

――ん、もう決まってるよ――

――無理じゃん――

――そもそも、人間には自己加害の権利があるので、自分の健康をおろそかにする道を選択できる自由意志があると考えるべきだ――

――自由意志で選択したくなるほど健康を意識するのはキツいか?――

――人によるとしか言えない、個人差によるだろう――

――ま、お前にはキツそうやな、なち――

――住義ぃ――

――はい――


「10文字かける10で腕立て100回ね」「ちくしょーーーーー!!!!?」

 また飛び上がるように椅子から立って後ろにスタンバイし、腕立てを始める。例のごとく納智のカウントが始まった。

「いーち、にー、さーん」

 十回程度で済んだ先程とはわけが違いそうだ。

お前(しー)それ(ごー)百まで(ろーく)続ける(しーち)気なん(はーち)かよ(うーん)そか(ばーか)

 彼にとっては別に厳しい回数でもないが、無理に納智と会話したのと、羞恥心とが相乗して、なんだかとても疲れてくるように感じた。

 「じゅういーち、じゅうにー」と続くカウントの中で、「……あっ」と楸が何かを思い出した。

「悠季の意見聞くの忘れてた」アイパッドから顔を上げて、目を見開いたまま楸を見る。

「マジで忘れてたのね」「マジで忘れてたわ」

 少し黙った後、楸が悠季へ向き直った。

「――開き直るって感じね」

「悠季、お前はどう思う?」

「はいはい……」

 未だ納智のカウントが続く中で悠季が意見表明を始めた。

「まぁ、私は、投票した通り“どちらでもない”。ここまでの議論で分かったと思うけれども、基本的に法律は守る、っていう原則を正式に破るって時点で、相当な議論と、センシティブな判断が必要になると思う。それに、私達の性質上、こういう話題には必然的に、“その法律に対する極めて高度な解釈”が必要になる。今まさに腕立てしてる彼が言ったように、法律に対するそもそも論が出てくるということ。だったら、その前にまず、標的法自体に対する議論を済ませておくべき」

「うん、つまり纏めると?」

「機が熟していない。今やるべきじゃない。先に健康増進法第二条に対する解釈ディスカッションをするべき。このままあやふやに議論を続けていたら、きっと私たち、正常じゃいられなくなる」

 もう正常じゃないよこの会議は。どう見ても! 心の中で突っ込んだ初美を置き去りにするように「まぁ、それに――」と付け足す。

「ぶっちゃけた話、私達が法律を破り始めたら、なろうの規約に引っかかってこの小説が消されたりとか、あるかもしれないのよね……」


 しばらく、その場が沈黙した。納智のカウントだけが響いていた。「ごじゅうごー、ごじゅうろーく」と、特になんの意味も含まないまま進んでいた。初美には彼女の発した言葉がよく理解できなかったが、この人もまた正常じゃないのだろうとだけは悟った。

「……まぁ、最後の話はちょっとよく解らなかったけど、なるほどな。もっともな意見かもしれない」

「発言いいかな」と手を挙げたのは、白板から一番遠い所に座っている少年だった。

「おっ。箕鉢深暮くん、どうぞ」

「同級生をフルネームで呼ぶな。……もし、この議題を先延ばしにするなら、そのあいだ、僕らは健康増進法について、どう扱えばいい?」

「んー……悠季?」

「……まぁ、気持ち、ね。気をつけましょう、っていう話で……」

「おっけい、じゃぁ」と、楸が背伸びをして声を張る。

「僕は今の悠季の意見でもういいんじゃないかと思い始めてる。だから、ここで決を取ろう。ーーあぁ、住義、納智、一旦やめていいぞ」

「んえ? 何ですって?」息を切らしながら言う住義に「たぶん機が熟してないから、この議題は先延ばしでいいか? ってさ」と納智が答える。

「ああ、はい、それでいいっす、もう、はい」

くすくすと笑い声が起こる中で、「他に異議のある人は?」と楸が尋ねた。手を挙げる者は居なかった。

「はい。じゃ、そういうことで」

会議を始める時と同じように白板の上縁へ手をかけると、一気に下へ降ろすように回して裏返し、おもむろに胸ポケットから水性の青ペンを取り出して、書き始めた。

「字、綺麗ですね。それに早い」初美は驚いた。

「書道やらされてたからねー」

 十秒もせずに書きあがった。


――結論見送り――


「細かいことは例のごとく悠季に任していいかな」

「もう書き始めてる」

「ありがとう。――じゃ、そんなわけで、今日の集会はこれでおしまい。解散!」

 各々適当な挨拶をして席を立ち、帰宅の準備を始めた。

「……住義、君は残って腕立てやぞ?」

 片腕にカバンを抱えていた住義が顔を見上げて口を開けた。

「冗談っすよね?」

「僕も残ってカウントしますよ」

 荷物を地面に置いたまま納智が言う。

「納智くん、やっぱり君を社会研究同好会へ入れてよかったよ!」

「マジなんっすね……」

うなだれて、もう一度腕立ての体制になった住義に、「大戸くん」と声をかける少女が一人。

「これ、お昼、余ったチョコバー。……置いとくね?」

「咲廻先輩……」しばらく黙った後「あざっす」と締めた。

「――何ちょっと良い雰囲気になってんだほら始めるぞ! はちじゅうろーく、はちじゅうなーな、はちじゅうはーち」

 そんなやりとりに紛れて、そそくさとその場から立ち去ろうとする影が一つ。

「……なっちゃーん」「ひっ」

 楸が流智を一声で引き留める。

「君はこれから、梅田五番街は高級中華の餃子を食べに行くんやろー? 俺の奢りで」

 その間にも、「きゅうじゅういーち、きゅうじゅうにー」とカウントは進んで行く。

「まぁ嫌がるのはわかるけど、問題発言したらこうするって約束やろ? それに、旨いやん。あそこの餃子」

「確かに美味しいですけど! 美味しいですけどー!!」

 カウントが九十四くらいになった頃、喚き散らす流智を制止するように「あの……」と初美が声をかけた。

「これ、息ケアのアメ。いる……?」

 九十六、九十七――

「初美ちゃん……」

 九十八、九十九――

「初美ちゃんも来る?」

「えっ……遠慮しときます」

 カウントが百を迎えた。

「っしゃぁぁぁぁぁぁ!!!」一つ試練を乗り越えた住義が雄叫びをあげる。それが済むと、その場は少し気まずい静けさに満たされた。

 雰囲気を変えようとしたのか、楸が初美へ声をかけた。

「ふつうに綺麗なお店で女性にも人気でね、SNS映えするんよこれが。ニンニク抜きの軽いラーメンなんかも売っていて――」「行きます」なるほど、こいつはSNS映えと言えばついてくる、今どき稀有な人種か。楸はまた一つ賢くなった。

 斯くして、天満初美、社会研究同好会ならびにDoRev会員としての集会は、幕を閉じた。

 この回は少し特殊です。この小説は基本的に、シリアスな展開の中でコメディを小出しする構成となっています。次と次はこれでもかというほどシリアスです。

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