領地への出発
俺は自分のろくでも無さや必死さに自分を情けなく思いながらも、とりあえずは彼女を手に入れることは出来たと大きく安堵の吐息を吐いた。
「さあ、私の家にまず向かいましょう。明日の朝一番で我が領地に向かいます。明日からは馬車の旅ですから、今日はゆっくりと休んで――。」
「休めませんね。馬車を公園を出たところに停めておきましたので、それに乗って今すぐ出発してください。」
俺は音も無く近づいて俺に指示をしだした執事を見返した。
「どういうことだ?」
「フラッゲルム伯爵とオール男爵がタウンハウスにいらしています。ニーナ・フラッゲルム伯爵令嬢とオール男爵は婚約関係にあるのだそうですよ。」
ミアの腕の中の哀れな少女は見るからにびくりと震えた。
俺は有能過ぎる執事に感謝を心の中であげながら、ミアの手を取って一緒に立ち上がると、行きましょうと彼女に声をかけた。
「今は議論している時間などありません。我が領地へ逃げますよ。ニーナ、ミアが結婚すれば君は私の妹だ。絶対に守り抜くから安心して。私はこれでも前線で有名な少将閣下様でもあるのだよ。」
「ゆ、勇猛果敢な少将と、き、聞いております。」
俺の肩書に喜ぶかと思ったが、ニーナは俺に初めて脅えた様子を見せ、俺はニーナとミアが自分を守るべき父親によって虐待されていたことを思い出した。
強い男を出したらかえって脅えさせてしまうのか!
「違う違う、ニーナ。逃げ切り閣下様だよ。危険察知能力がウサギ以上に高い私は、部下を前線から逃がす事がとっても上手なんだ。」
「まあ!」
「だから君は絶対に逃げ切れる。逃げ切り閣下様が付いているからね。」
そこで言葉を切り、再びリーブスを見返した。
「うぉ!」
なぜかリーブスは俺を惚れ惚れとした目で眺めており、俺と目が合うや彼はしたことも無い事、右手を胸に当てて慇懃な礼を俺に返した。
「お留守の間はお任せください。閣下。」
この狸め。
「では、婚約者殿、ニーナ殿、参りますよ。」
「わおん。わんわん!」
ボスコは呼んでもいないのに元気な返事をし、命令を出してもいないのに俺達が進む方向の先頭に立った。
ついでにくるっと振り返って俺を見て、早く!という風にわふっと鳴いた。
「いや、お前は家に帰れ。」
「あ、どうぞ。ボスコは領地へお連れ下さい。」
そしてそのまま領地のどこかに埋めてしまいなさい。
そんなリーブスの心の声が聞こえるようだ。
聞こえたというからには、俺がそれに従わずに首都のタウンハウスにボスコを残したなんてことをしてしまったら、リーブスが暇を取ってしまうのは確実だ。
「わかった。君達、この馬鹿犬ボスコも旅路に加わるがいいかな。」
「ええ、勿論ですわ!この子は命の恩人ですもの!」
「もちろんです!黒犬さんがいれば怖くないわ!」
ミアとニーナは同時に近いぐらいに賛成の声をあげた。
さらに、子供らしい笑顔を初めて見せたニーナは、ミアの影から初めて飛び出していった。
そしてニーナはボスコの脇に立つと、ボスコの頭をガシガシと撫で始めた。
「あなたはボスコって言うのね!ボスコ!よろしくね!さあ、行きましょう。馬車が止まっているところまで案内してくれる?」
驚くべきことに、ボスコは賢そうにワンと吼えると、俺には絶対にしない飼い主と歩を揃えるという歩き方を始めたのだ。
お前は逃げるか飛び掛かるか転がるしか移動手段が無かった犬だろう!
「本当に賢くて優しい子。犬は飼い主に似るって言いますものね。」
「ええ。大事な女性にだけは賢く優しくなるのですよ。」
「まあ!」
ミアは可愛いと俺が抱きしめたくなる笑顔を見せた。
ただし、顔の怪我はすぐに手当てが必要であり、俺の胸の中でボスコにぼろ雑巾にされていた男達への怒りがぼわっと再燃もした。
「リーブス。氷も持ってきてくれるか?彼女の顔は冷やさないと。」
「馬車に乗せてありますから、とっとと行ってください。私は行儀を知らない伯爵と男爵をこれから慇懃に追い出さねばなりませんので。」
「かしこまりました。マイロード。」
俺がリーブスにした返しにミアは鈴を転がしたような笑い声を立てたが、執事というものは主人よりも怖くて偉いものなのである。
「全く。坊ちゃまは!」
おむつを取り替えてくれただろう相手ならば、特に、だ。