間に合った黒犬
俺には犬が三匹いるが、友人と軽く飲んで戻ってきたら二匹に減っていた。
「また逃げたのか?」
「また逃げました。このまま馬車に轢かれてくれることを祈るばかりです。」
「轢いた馬車が可哀想じゃないの。」
「お見舞金を渡しますからハッピーでしょう。」
俺は血も涙もない執事に杖や鞄を手渡しながら、ボスコを捜しに行くのは止めて執事と一緒に馬車に轢かれてくれることを祈ろうかと考え始めた。
「旦那様、髪を切られただけでなくお顔も剃っていらっしゃったのですね。」
「ああ、結婚が決まったんだ。ようやくさっぱりできたよ。それでね、友人のフィッツが、見てこれ。俺がもしゃもしゃを止めると言ったからって、付け髭とかつらをセットで作ってくれていたよ。」
俺は鞄から付け髭とかつらを取り出してつけて見せると、リーブスはワハハハと執事らしくない大声で笑った。
「わあ、素晴らしい。結婚式はどちらでご出席されるので?」
「もちろん髭無しでしょうよ。ああ、久しぶりの素肌で顔が痒い。」
「付け髭が痒いのでしょう。」
アオオオオオオオオオオオオオン。
アオオオオオオオオオオオオオン。
俺とリーブスのささやかな幸せはそこで終わり、リーブスは俺に手綱を差し出し、俺はコートを脱ぐ前で良かったと手綱を受け取ると再び家の玄関を開けた。
アオオオオオオオオオオオオオン。
「あの馬鹿犬。どうして貰っちゃったかな。」
犬の泣き声の方はいつものように目の前の公園で、俺は初めてミアと出会った日を思い出してもいて、そのせいで犬の所業を許せた。
アオオオオオオオオオオオオオン。
いや、今日からボスコ様とお呼びしても良い。
彼は俺の大事な人達を襲おうとした夜盗をぼろ雑巾に変え、その人饅頭の上に立って狼のごとく遠吠えしていたのだ。
俺が守りたくて、そして、二年間見守って、だが、顔を合わす事が出来なかった最愛の人は、涙にくれて顔は泥まみれだったけれども、やはり美しかった。
ただし、幼いニーナと抱き合っている様子はとてもか細く痛々しく見えた。
「大丈夫かな、ミア。」
彼女はゆっくりと首を横に振った。
俺は脅え、近づいて影になった彼女に月の光が当たり、彼女の右目に殴られた痕があり、唇も切れていると気が付いて、俺はかあっと頭に血が上った。
「あいつらか、痛くないか?」
彼女は大きく頭を縦に振り、そして怪我をした彼女が俺にごめんなさいと言って来たのだ。
「どうして?」
「わ、わたくし、汚されてしまいましたわ。」
「ミア。」
「ごめんなさい。結婚など出来ません。私はあなたと結婚などできません!」
汚されたと彼女は言うが、泥まみれだが服はそんなに乱れてはいない。
だが、ああ、スカートを捲っただけでも男はその気になれば事を達成できる!
「だ、大丈夫だ。俺は平気だ。こいつらか、こいつらだな。大丈夫だ。ああ、大丈夫だから。君に怪我はないかって、ああ、悪かった。大丈夫だ。」
混乱した俺はそれしか言えなかった。
ミアは両手で顔を覆ってごめんなさいを繰り返し、彼女にしがみ付く妹も声を出さないようにしてしゃくりあげている。
「大丈夫だ。本当に大丈夫だから。」
どうして俺はいつでもボスコが外に出られるようにしてやらなかったんだろう。
ボスコは間に合ったが、間に合ってもいなかったのだ。
5/21 犬は鳴き声ですが、フォルスには犬の皮を被ったケダモノでしかないので「泣き声」です。