万博会場には人が集う
急な話の為か、残念ながら、ええ、本当に残念なことにフォルスに連絡がつかなかった。
首都に戻った今こそ毎日会えると思っていたのに、私達は男爵家で別れてから一度も顔を合わせていないのだ。
また、ボスコはとうとう侯爵家で破壊行動をしたので、彼は一緒にお出掛けどころか罰として厩に軟禁の刑に処せられた。
彼は一匹が家一軒分はするだろう鯉という高級魚を狩ってしまったのだ。
マスを狩る父親の血はやっぱり強かったようだ。
フィッツの犬がフィッツにマスを捧げるように、ボスコはニーナに捧げるべく狩った鯉を咥えて持ってきたのである。
びしょびしょな上に池のアオミドロのような泥が纏わりついた体で、皆が寛いでいた素晴らしき居間に飛び込んできて、そして、ブルブルだ。
居間は生臭い緑色と池の水で汚染され、阿鼻叫喚で満たされた。
フォルスが捕まらなかったのは、彼が危険察知能力が高いからかもしれない。
捕まったら弁償話があるかもしれないのだ。
侯爵は気にしなくていいよと笑って言ってくれたが。
「最初はどこを回ります?」
ミュリエルは帽子のベールを邪魔だという風に帽子に掛けてしまい、顔を丸出しにしてパンフレットを見つめている。
私は彼女の素振りに微笑みながら、でも、私だけベールは可哀想だと同じ服装をしてくれたことに感謝していた。
私にはまだ殴られた痣が残っているのだ。
「ねえ、あなたはどこに行きたい?」
「あら、それじゃあ、前回ミュリエル様達が行かなかった所から行きましょう。」
「あら、そうしたらスウェインが行きたがっていたブースに行っても良いかしら?この間はおじい様とおばあ様が一緒だったから行けなかったの。」
「いいよ、君。あそこは興味のない人にはつまらない場所なんだから。」
私はミュリエルの為に、また、他の人にはつまらないスウェインが興味のあるものも知りたくて、そこにしましょうと言っていた。
私の手を握るニーナは、うぇっと嫌そうな声をあげたが。
「あら、そんな声を出して。あなたはそこがどんな場所か知っているの?」
「知っているけど言いませんことよ。行けると知って嬉しそうな顔をなさった方をがっかりさせたくありませんもの。」
スウェインはニーナの言葉に目を輝かせた。
「いやあ、私が話した事を覚えていてくれただけで幸せですよ。」
「まあ、あんなにくどくどと農業の歴史を語っておいて。何をおっしゃいますのやら。さあ、参りますよ。私はまたくどくどと農耕機の進化の歴史を聞きたくありませんから、今日は専門の方とじっくりお話ししてくださいな。」
ニーナは私から手を離すと、偉そうにスウェインに対して右手を差しだした。
「ハハ、かしこまりました。親切なご婦人様、どうぞ、私にお手を。」
スウェインはニーナの手を恭しく取ると、彼が行きたかったブースへと歩き出し、その二人を眺めていたミュリエルはぶふっと噴き出した。
「かわいいわ。外見はあんなに可愛いのに、うちのおばあ様みたい。」
「あら、ひどい。まだまだ可愛い赤ちゃんです事よ。」
「ふふ。あなたもおばあ様みたいな話し方よ。」
「まあ、困りましたわ。私とニーナは家庭教師もおりませんから図書館のマナー本で淑女を勉強しましたの。わたくしたちはそんなに変ですか?」
「いいえ。あなた方は素敵だと思うわ。あなたもニーナも私よりもずっと若いのに達観している所があって大人びているなってだけよ。私の言い方が悪かったわね。謝罪するわ。」
「いえ、謝罪なんて!あの、私達はいつも二人だけでしたでしょう。こうやってお若い方とおしゃべりさせて頂けてとても幸せなんですのよ。」
「ふふ。私もあなた方とおしゃべりが出来て幸せよ。さあ、行きましょう。ウンザリするかもしれないけれど、スウェインの興味のある農耕具とやらを見に行きましょう。一応それは今回の万博の目玉の一つらしいのよ。」
ブースに辿り着いた私とニーナは、農耕機というものに歓声を上げていた。
汽車や船が蒸気で動くと知っていたが、別の動力で動くらしい機械の実物が、私達の目の前でこてこてと動いているのだ。
「まあああ。凄いわ!これがあれば人が鍬で地面を耕さなくて良いのね!」
家庭菜園を頑張っていた私には夢の機械だ。
「まああ!生き物みたいに動いているわ!燃料はどこに入れるの!ふくふく煙が出ているけれど、水のタンクは一体どこにあるの!動力はどうなっているの!」
ニーナは船や汽車が動く仕組みの本が大好きな子供である。
スウェインは私達の喜び方に嬉しそうに大声で笑った。
「機械に興味のあるお嬢さん方で嬉しいよ。運転席に乗せてもらおうか。」
彼はニーナを抱き上げた。
それは父親が子供にするような自然な動きだったが、持ち上げられたニーナは脅えて私の方へと両手を差し出した。
そのせいで、スウェインの腕の中でニーナは大きくバランスを崩した。
「まあ!落ちちゃう!」
私は慌てて彼女を抱き取ろうとしたが、私の左横から出て来た男性の腕によってニーナはスウェインの腕から抜き去られた。
「すまないね。この子は僕のものなんだ。」
私の横に立ってニーナをわがものとして抱き上げているのは私の婚約者だ。
私は彼に抱きしめられるニーナが羨ましくなって、フォルスの右腕に自分の左手を絡めてしまった。
「ニーナばっかり。」
ああ、勝手に声まで!
「ヤキモチ焼き。」
彼は嬉しそうな囁き声で私を揶揄ってくれた。
「ああ、すいません。私が出過ぎた真似をしてしまいました。」
スウェインの目元は十歳くらい年を取ったように辛そうな色を見せている。
そして、ニーナはフォルスの首にしがみ付いて震えている。
「気になさらないで。この間私達はとても怖い思いをしたの。」
「どんな、あ、君のその怪我もそれが理由ですか?一体誰が。」
「君が心配する必要は無いって言ったでしょう。この二人を守るのは私の仕事で権利ですから。私の邪魔をしないでください。」
私は隣に立つフォルスを初めて怖いと感じた。
彼はニーナを脅えさせたとそれだけの理由でスウェインに敵対しているのだ。
私がフォルスに掛けている手は、フォルスが脇を締めて抜けないようにされてもいる。
彼は本気で私とニーナを誰にも渡さないと怒っているのだ。




