姫と騎士の昔話
何もしないさせてもらえない囚われ人の時間は三日間続いた。
いや、今まで堪能できなかった本を読み漁る、という贅沢はさせてもらえたので、こんな時間が永遠に続いて欲しいと思ってしまったのは内緒だ。
男爵夫人が私に命じた安静の為の三日は、あっという間に過ぎたのだ。
右目の周りにはまだ黄色と紫がまだらになった痣が大きく残っているが、目元の腫れや痛みはかなり軽減していた。
でも、私はそんな事なんかどうでも良かった。
痣が必要以上に目立って見えるのは、私の肌がたった三日で白っぽく変化した様に感じるからに違いないのだ。
どこもかしこも、赤ちゃんのようにもちもちのふわふわになってしまったのだ。
これは毎日朝晩と、全裸に剥かれてクリームを塗り込まれたからだろう。
私は何もしなくても柔らかいクリームの香り迄漂う人間に変わってしまった。
まるで記憶の中の美しい母のようだわ!
そんな自分に驚いていると、男爵夫人は私に朝食のドレスに着替えてみましょうかと笑った。
「そろそろベットを出ても良いわね。」
すると、彼女が後ろに連れてきた小間使いが着替えのドレスのを私に差し出して来た。
それはハイウェストで胸の下に切り替えがあるが、ウェストを締めない形のものだった。
淡いピンクのドレスは可愛らしいのに着やすそうで一目で気に入り、さらに、この形のドレスはコルセットがいらないものだと教えてもらった。
「女性は自然の美しさであるべきってね、最近の流行りなの。コルセットはパーティドレスの時にしかつけない。私もこの風潮には大賛成よ。」
男爵夫人も同じ形のドレス姿だが、黄色のドレスを着ている彼女は水仙のようだと私は彼女にうっとりとした。
「今日の朝食は朝食室で取りましょう。」
男爵家には朝食室とディナー用の食堂があることに驚きだ。
案内されて初めて知ったが、朝食室は二つもあった。
大きな居間に続くサロンと、やはり居間から出る事が出来るサンルームだ。
サロンは花模様の壁紙と赤っぽい猫足の椅子とテーブルが女性的で、気の置けない友人とのお茶会用の場所にも使える様な部屋だと思った。
サンルームは暖かい地方の植物が植えてある植木鉢が並べられており、異国のジャングルというものの中に迷い込んだような気持ちになれる素敵な場所だった。
サンルームには勿論外に向けての開放部もあり、大きな掃き出し窓を開ければ庭と一体化してしまいそうだ。
そんな明るくて光と緑に溢れた部屋の中には真っ白なテーブルと真っ白な椅子があり、それらは私においでと言って輝いていた。
「あなたはサンルームの方がお好みでしょうね。」
「はい。」
私はカミラに対して大きく子供のように返事をしていた。
「図鑑でしか見たことが無い植物がいっぱい。ここは素敵ですね!」
「まあ、うふふ。あなたが本が大好きと知って嬉しいのよ。わたくしも本は大好きですもの。まあ、人に言えない扇情的なものばかりですけど。」
「お借りしたご本は楽しく読ませて頂いておりますわ。」
私はカミラから借りた本の内容を思い出してうっとりとした。
本の中のヒーローである騎士が素晴らしく、本の中では金髪に青い目だが、私はあの日の名も知らぬ彼を勝手に当て嵌めていたので、私の中での騎士は栗色の巻き毛に水色の瞳をした男性だ。
――姫様。私はあなたの御身を守るためにあるのです。
小説の中の騎士は愛した姫君を婚約者の待つ国に送り届け、そして、姫も騎士への愛を心に抱きながら騎士と自分の祖国に別れを告げて嫁入りをするのだ。
「ああ!今お借りしている本は涙が止まらなくなります。次の巻は一体どうなるのか、騎士様と姫君は結ばれるのか、気になって気になって。」
「うふふ、そうでしょう。私もあなたと同じ気持ち。でもね、その次の巻は無いの。書けなくなったのよ。当時、似たようなスキャンダルがあったから。」
私はカミラを見返した。
「あの本は私のお母様とスウェイン・メルキュールの恋愛話だったのですか?」
母の醜聞相手の騎士の名前は知っている。
母の侍女であるユゼファが私に繰り返し語って聞かせたのだ。
銀色の髪に深い青色の瞳を持つ素晴らしき男性。
私の父、フェリクスとは比べ物にならない程愛情深く、思慮深く、そして高潔な人であると。
彼女は幼いニーナにこそ言い聞かせたかったようだが、私はユゼファにスウェインについての話をニーナに聞かせることを禁じた。
父の前で幼いニーナがスウェインの名など出したら、自分が彼の子供だと言い出したら、彼女はそこで命を失うだろう、と。
「ミア、あなたは醜聞を全部ご存じなのね。」
「子供だからこそ周囲から聞かされます。ニーナは、ええ、私はあの子に知らせないようにしていました。母は父を裏切っていません。死んでいく人がどうして嘘をつくでしょうか。」
「そう。あなたは強いのね。それならば心配はいらないわね。あなたは社交界に出れば必ずこの話を当てこすられる。あなたに貸した本の話を彼等はしている振りをして、あなたのお母様の話をするでしょう。」
「かまいませんわ。教えていただくまでわたくしはあの本を読んで母の事だと一つも思いませんでした。母の真実を私は信じていますから、平気です。」
カミラは私に微笑むと、素敵な物語なのにね、と言った。
「私は個人的にはあれが現実の方が良かったと思うわ。だって、あの本の騎士様はとっても素敵な男性だったでしょう。」
「まあ!そう思われたのはカミラ様が男爵様を騎士様に当て嵌められたからでは無くて?」
「まあ!別な人に決まっているじゃない。世の中には素晴らしい外見の若い男はいっぱいいるのよ!」
わわわん!
カミラに良い男は自分だと返事をするようにしてボスコの吼えた声が響き、私達は笑いながらサンルームから庭を見回した。
「まあ!あのもしゃもしゃモップが犬っぽくなっているわ。」
犬というよりも熊に近い姿だが、それでも以前の汚れたモップ姿よりも何十倍もすっきりして可愛いだろう。
「ボスコの姿をフォルスの前で褒めては駄目よ。フォルスが自分の成果だとくどくど自慢して来るから。」
「まあ!」
ボスコの隣には私達の着るドレスの子供服版を着たニーナが歩いており、私達の視線を浴びて嬉しそうにして私達に手を振った。
水色のスカーフを頭に巻いて、そこに花冠を頭に乗せている彼女は花の妖精のようだ。
その妖精は私達ではない方へ今度は手を振り、すると、彼女目掛けて若い男性が小さな籠を持って庭木の間から姿を現した。
「まあ!」
私が何度も夢に見る、初恋のあの方だ!
彼は私に気が付くと、持っていた籠を落とした。
そして彼は、私をまじまじと見つめた。
それから彼は何かに気が付いたようにハッとした顔をすると、深々と頭を下げて再び庭木の中に消えていった。
召使が仕える相手を見つめたことを失礼だと思ったのだろうか。
私は私を覚えていてくれたらしい彼に感激したというのに。
でも、彼はただの従僕で、彼が私に恋心など小説の騎士のように抱くわけはなく、フォルスの命を受けて動いているだけなのだ。
――わたくしは単なる騎士で、あなたに恋を伝える事など出来ない。それでも、あなたにあの男の手が触れると考えるだけで嫉妬で狂いそうになる。
私の頭の中では騎士が姫への気持ちを抱えて葛藤しているが、その騎士の顔は当たり前だがあの人の顔だ。
あんな小説、読まなければ良かった。
5/14 色々と誤字脱字を修正




