嘘吐きと嘘吐き
カミラは俄然と動き始めた。
ミアに会わせてくれないという俺いじめは続行されるようだが、なんと、ミアを伯爵夫人に仕立て上げると約束してくれたのだ。
俺は勿論嬉しいが、ここまでカミラが燃えた理由を聞いて、俺は自分の二年間を情けなく思うだけだった。
ミアは俺が渡した「もしもの際の防御服」を、二年間ずっと身に着けていたというのだ。
つまり、俺が考えていたよりも彼女は危険極まりない家にいたと言える。
俺はどうして二年前に彼女とニーナを連れて逃げなかったのか。
うにゃああわあおうぇんおおおおおおおおおん。
情けない犬の泣き声が俺の馬鹿さ加減をさらに鞭打つようで、俺は大きく溜息を吐くと馬房へと向かった。
カミラの家でボスコが好き勝手に振舞ったら大変だと、俺は宿屋でしたように馬房にボスコを鎖で繋いでいた。
そして、ボスコは宿屋の時と同じように、不貞腐れた人間がやるように鎖をぎりぎりに張った状態で仰向けで不貞寝しているのであろう。
きっと、この間のような首吊りにされた死体のような姿で地面に転がっているはずだ。
ほら、あの日のように猫と犬が合わさったような気味の悪い声を上げ始めたではないか。
うにゃああわあおうぇんおおおおおおおおおん。
宿屋での恥ずかしい思いを再び思い出した俺は、本気であの犬をどうしたものかとがっくりと頭を下げ、自分の犬がもしかして物凄く賢いのかもしれないと思い込むことにした。
そうだ。
賢すぎるから人間臭い馬鹿犬なのだ。
俺は想像通りに地面に転がっている情けない飼い犬に対し、軍隊時代の声を出して犬に命令を下した。
「起きろ。」
仰向けだったボスコは俺の目を避けるようにして、ごろんと横に転がった。
「ああ、この犬は!考えろ、考えるんだ、フォルス。軍にもいた筈だ。頭がいいが使えない怠け者が。そいつをどうやって動かしたか思い出すんだ。」
俺は軍にいた一番の怠け者は自分だったと思い出して大きく溜息を吐くと、自分だったら絶対に許せない鎖をボスコの首輪から外してやった。
ボスコはぴょこんと立ち上がり、大きく尻尾を振って猫のように俺の足に体を擦り付けてきた。
「おいで。ブラッシングをしてやろう。このべったりした毛を何とかしてやらないとな。暑くなったら皮膚炎を患ってしまう。」
馬房の奥にボスコを連れて行き、俺も皮膚炎になってしまうとカツラと付け髭を取り去った。
「さあ、俺も素顔になった。お前の素顔も見せてもらおうか。」
馬用コームと鋏を手にしたところで、ボスコは音もなく俺の前から姿を消していたという事に気が付いた。
「もう。毛玉を取らなきゃ辛いのは自分だろうに。」
「ですってよ。怖い事はされないようよ。フォルス様の所に戻りなさいな。」
真っ黒の大犬は、水色のスカーフではなく花モチーフを飾った毛糸の帽子を被った少女の後ろに、隠せない体を隠すようにして丸まっていた。
「ニーナ。手伝ってくれるか?ボスコは毛玉だらけだ。毛玉があると犬はとても痛いはずなんだよ。皮膚が抓られたように引き攣るからね。」
「ですってよ。ボスコ。私が付いているから大丈夫よ。」
ニーナはボスコの首輪を掴むと、俺の方にボスコと一緒に歩いてきた。
俺はこの小さい子の素振りを見て、この子は思っていたほど弱くはないはずだと気が付いた。
とっても賢いがゆえに、その場に沿った行動が出来るのではないか。
俺の意識を読んだようにニーナは俺を見上げてきた。
しかし、その表情は俺の考えを否定するがごとし、かなり脅えたものと言っても良い。
「どうしたの?」
「どうしてお髭をつけていたの?」
俺は自分が扮装を解いていたことを忘れていた、と額を手で叩いた。
「ボスコそっくりの方が君達が怖くないって言ったからね。実際、戦地帰りはいつもあんなもしゃもしゃなんだよ。二年前に君達と出会った時と一緒。男の人は剃っても剃っても時間が立つとひげが伸びるんだ。ボーンボーン、お髭の時間ですよ~って。」
ニーナは俺の軽口など聞き流し、笑いもせず真面目な目を向けるだけだった。
「本当はお髭も無くって、髪の毛もそんな風に短くていらっしゃるのね?」
「怖いかな?うん、嘘吐きに見えちゃったかな。」
ニーナは首を横に小さく振ってくれた。
それでも、彼女の目元は泣きそうに潤んでいる。
「えっと、もしゃもしゃに戻ろうか?そうしたら怖くはない、よね。」
「ち、違います。私は今のフォルス様の姿の方が好きです。あ、あの、私も嘘を吐いているから、だから。でも、お姉さまはそんなことを知らないし、でも、私は嘘を吐いているから!」
俺は可愛い毛糸の帽子を被っている小さな頭に手を乗せた。
「君が自分でその頭にしたのは気が付いていたよ。あの男は弱すぎる。自分がした事を目にしたくはないから、服を着ていれば見えない所ばかり攻撃するんだ。それに、君は望まない結婚話もあったでしょう。わかるよ。」
ひぃいいいいっく。
ニーナは大きくしゃくりあげた。
「わかるよ。俺は君のその戦術は見事だと思う。君は姉を動かした。俺はそのおかげで君達を自分の陣地に引き込むことが出来た。君には感謝ばかりだよ。」
ひぃいいいっく。
彼女の両目からはボロボロと涙が零れたが、彼女は誰に抱きつくでもない。
両足を踏ん張って、ああ、手はボスコの毛皮をぎゅうとボスコが痛いだろうくらいに掴んでいるが、彼女は親戚の子供達のように俺にしがみ付いては来なかった。
「でも、君は辛かったね。髪はすぐに伸びると言っても、辛いよね。」
ニーナはうわんと、とうとう泣き出した。
しかし父親に虐待されていたからか、彼女は俺ではなくボスコに抱き付いた。
ボスコはもしゃもしゃで表情が見えないが、俺に対して優越感を感じさせるように見上げて鼻をフンっと鳴らした。
俺はボスコを丸刈りにしてやろうと決意した。
「いいぞ、ニーナ。申し訳ないがそのままボスコを抱き締めていてくれ。このもしゃもしゃ犬は羊のように毛を刈る必要があるみたいだ。」
すると、俺の言葉で住処を奪われると脅えたか、ボスコの毛皮から緑色のコガネムシが数匹のそのそ出て来た。
ニーナはコガネムシの出現でぴきーんと固まって動けなくなった。
「よし。いい子だ。そのまま頑張って。」
俺は鋏とコームを再び取り上げると、真っ黒な生意気な犬の無駄に長く汚い毛に鋏を入れた。
賢すぎる犬は自分の大事な姫を振り払えないと動けなくなったようで、初めて俺の成すがままとなっていた。




