病室で患者になる前に
男爵夫人は私がベッドに横になるためのもの、つまり寝間着を色々と召使に運ばせてきた。
運ばれたどれもが彼女が袖を通した事は無い新品で、新品をこんなに沢山持っていることにも驚いた。
そして一番驚かされたのは、寝間着のどれもが私にはドレスにしか見えない豪華なものであるという点だ。
機械織りの繊細で複雑なパターンのレースや、しなやかで柔らかい絹という生地に初めて触れて目にしたニーナは、私と同じようにうっとりとなっている。
「お、お姉さま。さ、さわったら壊れてしまいそうな雪の結晶みたい。」
「え、ええ。私が着たら破いてしまいそうよ。」
「破けはしないと思うのだけど。」
「わ、私は背が低いから引きずって破いちゃったらって。」
私は男爵夫人より五センチは背が低いのである。
なぜか男爵夫人は咽た様な変な音を出し、私は彼女の気分を害してしまったのかとびくりとした。
「横に破けるか心配なのにね。」
誰かの囁き声とそれに続くくすくす笑いが聞こえた。
「あ、あの。」
「い、いいえ。ほら、着替えを手伝ってあげて。」
「え?」
男爵夫人の声に小間使いたちがわらわらと私を取り巻いた。
「あ、あの、自分で脱げますわ!」
しかし私は完全に無視をされ、有能な小間使い達によってドレスを剥ぎ取られてしまった。
「どこでこんな服を買うのかしら。」
「こんな服を私達が手に取ることになるとはね。」
小間使い達は私には聞こえる音量で、私への当てこすりを次々と口にした。
確かに私は招かれざる客でしか無いし、脱がされた服だってドレスと呼ぶにはおこがましい、単なる茶色の婦人服でしかない。
でも、頑張って自分で縫ったものでもある。
屋根裏に眠っていたカーテンを使って。
ニーナの服は私の子供服が残っているから良いが、新しく服が買えない私は家に残っていた女中用のお仕着せかカーテン生地に手を加えるしかないのである。
「まあ!あなたのその下着は何ですの!」
男爵夫人の驚きの声に私は自分を見下ろした。
名も知らない彼が私に手渡してくれた不思議で大事なコルセットは奪われてはいけないと、私はコルセットを抱き締めるように自分の腕を体に巻き付けた。
コルセットは普通は胸のすぐ下から尾てい骨の辺りまでの幅のものであるが、彼の贈り物のこれは、ベストのような形になっているだけでなく綿入りで、とてもしっかりとした布地で出来ているものである。
「これは、あの、私を殴る人から身を守るために、あの、伯爵が贈って下さったものです。おかげでこの二年、殴られても痛い振りをすればいいだけになって、ふふ、凄く体が楽になりましたのよ。」
「ま、まああ。あなた、ああ!もう大丈夫よ。もう誰もあなたを殴りはしないわ。」
男爵夫人は、まあなんと!涙を流しながら私の腕を慰めるようにさすったではないか。
「あ、泣かないでください。大丈夫ですから。大丈夫になりましたよってお話ですから、これは良い話なんですのよ。ねえ、ニーナ。」
ニーナはうんうんと頭を二回上下させ、三回目に彼女はうわーんと泣き出した。
「ちょっと、ニーナ。」
「だって、だって、お姉さまは私をお父様から守るためにいつも殴られているのですもの!お姉さまが酷い目に合うのは私のせいですもの!」
私は初めてという程の子供泣きをしたニーナにただ驚き、彼女を抱き上げようと両手を伸ばしたが彼女は男爵夫人にさらわれた。
「ああ、よしよし。もう大丈夫よ。私があなたを守って差し上げます。そんな悪いお父様に二度と触れさせません事よ!だから今後はお姉さまも大丈夫、ねえ、あなた方も、この子達を見守って差し上げてよ!」
わああ!私達に対して否定的だったはずの召使達が、涙を流しながらうんうんと頭を上下させている!
私はこの愁嘆場を作ってしまった罪悪感に、とにかく彼らが望むように寝間着を着てベッドに横になろうと考えた。
そうすれば皆さんは落ち着いてくださるかも!
私はコルセットの紐を解いていき、そして、ぱかん、というふうにコルセットを外した。
「ほうっ。」
コルセットを外した途端に吐息が零れるのはいつもの事だ。
この体を覆う面がとにかく多いコルセットは、実はとっても暑くて息苦しいものでもあるのだ。
「ほうっ。」
「はぅっ!」
「はあああ!」
「ほうっ?」
そこらじゅうで吐息が漏れる音が妙に多いと再び男爵夫人達を見返すと、彼等は全員が全員、目玉が零れ落ちそうな顔をして私をじっと見つめていた。
「あ、あの、どうかなさって?」
「ええ、どうかいたしました。いいから全部お脱ぎなさいな。」
「ええ!」
私は完全な下着姿の自分を抱き締めた。
今の私はシュミーズにズロースしか身に着けていないのだ。
これを脱いだら全裸じゃないの!
「あ、あの!」
「寝巻を着るにはその下着もいらないわ。さあ、お脱ぎなさい!」
私は抗議をするどころか、わらわらと私を取り囲んだ小間使いたちによって下着を次々剥ぎ取られた。
真っ裸にされ、安心した事にすぐに寝間着も着せ付けられても貰えたが、全員に全裸な自分を見られてしまった恥ずかしさがそれで消えるはずは無い。
誰が選んだか知らないが、水色で肩と胸元の布の代りに幅広レースになっているとても素敵なものを着せてもらえたが、その柔らかなさらっとした肌触りが裸の肌を撫でる事で、尚更に自分が丸裸であるという認識をさせるのだ。
私は自分を隠すように両腕を自分に巻きつけた。
「さあ、風邪をひく前にベッドにお入りなさい。あなたは今日から横になっているだけでいい。怪我は仕方がないとしても、あなたの手や荒れた肌は三日以内には滑らかになる魔法をかけてさし上げるわ。」
「え?」
ニーナと親子のように手を繋いでいる男爵夫人は、先ほどまでの聖女のような雰囲気をかなぐり捨てたらしく、物凄く悪そうな笑顔を見せていた。
「うふふ。全く男って奴は。あの子が二年もあなたに執着していた理由が分かった気がするわ。ええ、わたくしがあなたを最高の伯爵夫人に仕立ててあげる。あなたは私が挙げた第一の要件は満たしていると見做しましょう。合格よ!」
第一の要件?合格?私は首を傾げるしかない。




