伯爵夫人よりも偉い男爵夫人
朝ご飯が終わったらすぐに宿を発とうと、アルマトゥーラ伯爵が言った。
それは伯爵家の領地に少しでも早く辿り着こうという気持ちからではなく、伯爵は私に後見人をつけるべきだと考えているからだという。
「後見人ですか?」
「ああ。普通は母親が花嫁の面倒をみるものでしょう。私の叔母にその役目を頼むのならばね、結婚前に挨拶をするべきだと思うんだ。彼女は面倒見の良い気さくで優しい人だよ。」
母親のいない私には妻がどのように家の差配をするべきか考えもつかないので、相談できる人を紹介してくれることには感謝しかない。
「ありがとうございます。あなたの叔母様にお会いできるのはとても嬉しいですわ。ですが、こんな傷のある顔では失礼ではないでしょうか。」
「その傷がある今の方が良い。あの人はきつい所があるが、基本的に弱っている人には寛大すぎる程寛大だから、そこを狙うんだよ。」
「まあ!あなたはやっぱり戦術家ですのね。」
「いや、これは戦略の方かな。」
「戦略ですの?」
「ああ。領地には元伯爵夫人という名のドラゴンが三匹もいる。それを叔母様という男爵夫人に委ねるためのご機嫌伺いだ。彼女は君に会えば一目で君を気に入って、君を守ろうと奮闘してくれるはずだからね。」
「まああ。でも、あの、そこまでお考えという事は、私と結婚してしまったらあなたは沢山の面倒を引き受けるという事では無いですか!」
「ミア、面倒のない他の女性ではなく、私は面倒だらけでも君に妻になって欲しいんだ。」
私は真っ赤になっていただろう。
目をぐんと見開いて右目がズキンと鈍い痛みが走ったぐらいだ。
泣き出してしまいそうなくらい、彼は何て素晴らしい人なんだろう。
「ふ、ふふ。伯爵様ったら。もう、お口が上手すぎます事よ。」
「ありがとう。決まったら善は急げだ。さあ、しっかり食べてしまおう!」
私達三人は私とニーナの泊まる部屋に続く居間で朝食を囲んでいるのだ。
フライドトマトにフライドマッシュルーム。
目玉焼きにベーコン、そして、フカフカの焼き立ての食パン。
初めてに近い位の豪勢な食事にニーナはずっと夢中になって食べており、私もこの幸せな朝食にうっとりしながら再びフォークを口に運んだ。
うにゃああわあおうぇんおおおおおおおおおん。
宿屋の外から、厩があるだろう方向から聞こえて来た気味の悪い声。
伯爵は持ち上げたばかりのフォークをガチャリと皿に落とすと、行儀悪くテーブルに両肘をついて頭を抱えた。
ニーナはパンを咥えたままで笑いに堪えているようで、小刻みに揺れて椅子の上でぴょこぴょこしている。
私も顔の怪我が響く程の笑いの発作に襲われていた。
うにゃああわあおうぇんおおおおおおおおおん。
「いやあ!もう我慢できない!ボスコったら、な、なんておかしい鳴き方なの!い、犬なのに!猫みたいな変な鳴き声!」
ニーナは机に突っ伏して笑い転げはじめ、私もとうとう我慢が出来なくなったと噴き出した。
「わたくしもあんなワンちゃんは初めてですわ!」
「俺も初めてだよ。たく、あの馬鹿犬は!」
私とニーナはピタリと笑いを収めて、二人同時に伯爵を見つめてしまった。
すると私達の視線に気が付いた伯爵は、勿論もしゃもしゃの顔で表情はわからないのだが、ハッと何かに気が付いたなというびくりとした動作はした。
そして、すぐに私達に対して、すまなかった、と謝って来たではないか。
「はあ。ああ、すまない。乱暴な話し方をしてしまった。君達を脅えさせてしまったとしたら本当に申し訳ない。」
私とニーナは同じタイミングで頭を横に振った。
「どうしたの?」
「怖くありませんでしたわ。」
私が答えた言葉に、ニーナは興奮している声をあげて被せてきた。
「怖いどころか、公園で時々お見掛けするお兄さんみたい。凄く仲の良いご兄妹がいらしてね、お兄さんの方が時々そんな風に妹におしゃべりをするの。その方はとっても素敵だし、とっても優しくていらっしゃるのよ。ねえ、お姉さま。」
ニーナが言っているのはジョーンズ家の息子の事だろう。
ジョーンズ家は裕福な紳士階級ではあるが貴族ではなく、そのため寄宿舎ではなく普通の学校に通っている。
だからか、夕方になると時々妹達の手を引いて公園に散歩に来るのである。
確かに外見は普通以上に整っている少年であるが、普通の男の子でしか無いと思っていた私とニーナの見立ては違っていたようだ。
「その方のお名前は知っているのかな。ニーナ。」
わあ、伯爵は物凄い勢いでニーナの言葉に喰いついて来たではないか!
どうなさったの?
「いいえ。公園でご一緒するくらいです。ねえ、お姉さま。」
確かにどの家の子かは知っているが、ジョーンズ家の子供達の名前は誰一人として知らなかった。
「ええ、そうね。公園で時々お見掛けするだけですものね。あちら様こそ私達に気が付いているかどうか。でも優しいって、あら、違う人の話かしら?」
「妹と一緒の彼は彼だけでしょう?この馬鹿って、フォルス様のように妹達に怒っても絶対に叩かないし、彼は転んで泥まみれになった妹を背負ってあげていたわよ。」
「まあ、そんなお優しいところが。ニーナ、あなたは何でも見ているのね。」
私が褒めるとニーナはとっても得意そうに微笑んだ。
「うん。本当に。ねえ、君達。その名前を知らない素敵な人はいくつぐらいなんだろう。」
伯爵は気さくそうに話に加わって来たが、ボスコを罵った時よりも怖い感じを感じるのはなぜだろうか。
うにゃああわあおうぇんおおおおおおおおおん。
うにゃああわあおうぇんおおおおおおおおおん。
「――食べちゃおうか。」
「はい。」
私達は話を続けるどころではなく、宿屋から追い払われる前に皿を綺麗にするべきだと、今は朝ご飯を片付けることにした。




