大阪狩り
揺れる東京
悲しくて 悔しくて
泣いて泣いてばかりいたけれど
かけがえのない人に
逢えた東京
やしきたかじん「東京」
作詞:及川眠子
渋谷の無限大ホールで関西芸人が多数出ているお笑いライブを満喫した帰りしなに、富士そばに出向き、かけうどんとカレーライスを食べた。外に出たら日は暮れて街にネオンが輝いていた。私は大きくアクビをした。土曜日の夜ということもあり街は活気を賑わせていた。一方で私はもう疲れたからそろそろ帰ろうかと思った。
スマホを取り出してインスタグラムを開くと、結城が、渋谷で暇をしているという内容の文章を、自らの足元の写真と共に投稿していた。ドクターマーチンのブーツに、綺麗なブルーのジーンズ、垂れ下がった腕には高級時計がこれ見よがしに見受けられた。渋谷で暇をしているという内容よりも、自分がいかに品の良い身なりをしているのかアピールしたいが為の、まったく愚劣な行為であると私は思った。
しかし、私も今日はこれから予定もなく、暇をしていたので、疲れたけど酒は飲みたい気分だし、とりあえずその友人、結城を呼び出してみることにした。
数分後に結城から返信があり、やきとりが売りの居酒屋で落ち合うことにした。実は結城とはついこの間も高円寺を飲み歩き、その時は会社からボーナスを受け取り金銭が多少潤っていたこともあり、私が奢っていた。今回は結城に奢ってもらおうと思った。彼もフォトグラファーの仕事でそれなりに金に多少の余裕はあるはずだった。
結城と二人きりで飲み屋を3軒周り、結局終電まで飲んだ。私たちはお互いの近況を話し、映画や音楽談義に花を咲かせ、それなりに楽しい時間を過ごした。最初の2軒は割り勘で払った。3軒目のバーの会計のとき、私は冗談とも取れる風に軽く、「前はおれが奢ったからここは奢ってや」と大阪弁で言った。その時、結城とレジの店員の顔色が一瞬曇ったことに私は後になって気が付いた。
神奈川生まれ東京育ちの結城は驚いたように私を見つめ「一緒に飲んでやってるのも圭介だけは友達だと思っているからだよ」とキツいトーンで言った。私は何か言い返そうと思ったが、余りに不意を突かれたので結局はここも割り勘にして、その後はお互いに口数も少なく、結城と駅で別れて、高円寺にあるアパートに帰った。
私は昔から怠け者で、本当は忙しない東京の水は肌に合わなかった。しかし仕事の都合で仕方なく東京に住むことになった。東京に住んで2年半が経つ。仕事は順調。この街で友達も恋人もできた。それなりに毎日を楽しめていると思う。私が生まれ育った街は十三という、大阪の中でもなかなかディープな下町だ。駅周辺には飲屋街、風俗街、パチンコ、ライブハウスなどがあって毎日賑わっていた。そんな私が東京で選んだ住処が高円寺。都会に近い下町という感じで、立地は十三に似ているし、街の雰囲気もどこかのんびりとしていて大阪に近いものがあった。私はすぐに高円寺を気に入った。
日曜日は朝から銭湯にいくのが日課だ。早い時間は人も少なく、快適に入ることができる。受付のテレビでは人気歌手、唐津ギンジの写真が映っていた。唐津についてなにかニュースを話しているらしいが音量は小さくてよく聞き取れなかった。それに私はこういった流行やゴシップにはまるで興味がないので、風呂を上がるとそそくさと帰路についた。
それにしても昨日の結城の言動が気になる。「圭介だけは友達と思っているから」とかなんとか。それに私が話した時の店員の冷たい表情。何かがおかしいと思った。結城とは特に喧嘩した覚えはない。彼のSNSでの過剰な自己演出にはたまにイラッとくることはあるが、それだって特に責めたことはない。
昼寝をしすぎて、起きたらすっかり夜になっていた。冷蔵庫から缶ビールを取り出してプルトップをあけて、それからテレビを付けた。日曜日の深夜には関西の人気お笑い芸人ヤングギャングのバラエティ番組がある。私はこの番組を可能な限り毎週欠かさず観ていた。しかし何故か番組は別のお笑い芸人の番組に変わっていた。私は驚いた。普通なら最終回の放送告知があるはずだ。
私はツイッターの検索機能でヤングギャングの番組についてサーチした。トレンドのワードには大阪や関西弁といったものが多数見受けられた。
『やっとあいつらを見なくて済むんだな #ヤングギャング #大阪帰れ』
『大阪とか関係なくもう、関西弁話すやつは東京から追い出そーぜ』
『悪いのは大阪人だけ。他府県の関西人を一概に攻めるのはよくないと思う』
一体何が起こったというのか。私はおとといの金曜日まで普段と変わらずにスーツを着て会社に出勤した。同僚には関西人も数名いたが私は何も変化を感じなかった。となれば、昨日の土曜日に何かが起きたに違いない。その答えはツイッターのタイムラインを遡りすぐに見つかった。
☆
発端は東京のY大学生が数年前に立ち上げた「東京防衛隊」というサークルに始まる。日本各地から上京する人々の中で関西人だけは自分たちの訛りを治さない。むしろ誇らしげに堂々と喋ろうとすることに対し意を唱え、関西人を排斥しようというのがそのサークルの趣旨だった。その時代錯誤も甚だしい過激な内容には当然非難が殺到してサークルは間もなく廃止に追いやられた。しかし既にY大学を卒業した元サークルメンバーの数名は地下でその活動を継続していたのだ。
その主導者が唐津ギンジという現在若者から人気絶頂のシンガーソングライターだった。しかし彼の歌詞の内容はほとんど他愛のないラブソングで、関西人を揶揄するようなものはなかった。
唐津は今年初めに売れっ子女優の朝霞ナナと電撃結婚した。彼女の父親は日本トップのマスメディア朝霞新聞の社長だった。朝霞は芸能界に多大なコネクションがあった。唐津はナナの父親を利用して、東京で放送される関西人がメインで出演する番組をすぐに打ち切ることに成功した。それは難しいことではなかった。大物芸能人には隠れた不祥事がつきものだ。過去の交際トラブルや薬物使用疑惑。事実がなければ警察とのコネを利用して捏造することはナナの父親にとって容易だった。
それが昨日のことだ。あまりに急な展開に報道各社も事態の把握に追いつけなかったらしくニュースは憶測を述べるにとどまり、深く掘り下げられていなかった。やれやれ。私はいきなり浴びた情報の過多で脳が疲れた。テレビを消して、スマホをクローズして、とりあえずタバコを吸った。
☆
「大丈夫か?!」電話に出ると同じ大阪出身の同僚である鈴木が緊迫したトーンで言ってきた。
「ああ大丈夫やで。どないしたん?」
「お前まだ東京おるんか?」
「おるよ」
「なに呑気にしとんねん! ニュース見てへんのか!とにかく東京を出ろ!神奈川でもいいから、今すぐに!」
「なんや、どないしてん?」
「今回の関西人タレントの番組打ち切りの騒動で怒った大阪の大学生が結集して『浪速愚連隊』という武装集団を作って、東京に乗り込んだんや。それに大阪のヤクザ、安岡組も加わって、東京殴り込みやで。エグいやろ。これに怒った、普段はクソほどおとなしい東京都民が激怒して、各地でゲリラ武装集団作ったんや。案の定、東日本に点在するヤクザグループも加わって『東京連合軍』の誕生。主婦のおばはんも包丁持って駆けつける始末やで。お前ホンマになんも知らんのけ?」
たしかに浪速愚連隊や、大阪のヤクザとやらが書かれたツイートやニュースは見た気がしたが、私はてっきり井筒監督が新作映画を作ったのだろうと考えてロクに内容を見なかった。私は普段からこまめにニュースをみることはなく、みてもせいぜい記事のタイトルを眺めるくらいだった。私は本当に怠け者なのだ。
私はママチャリにまたがり、高円寺駅に向かった。えげつないことになっていた。駅前は戦争映画の乱闘そのものの光景が広がっていた。ある者は石を人に放り投げたり、物干し竿を振り回したり、フライパンを巧みに使い攻防している、エプロンをつけた定食屋のおっさんもいた。ロータリーはカーチェイスのごとく車が衝突し合っていた。メタルのライブハウスにいるようなレベルのもの凄い音量で怒号が飛び交っていた。「アホンダラ」「調子乗るんじゃないよ」「いてこますぞ」「バカヤロー」「どつき晒せ」関西弁と東京弁が入り乱れていた。
JRの中央線沿いは関西人が多く住んでいるので、勢力は五分五分といったところだった。よくみると倒された関西人は衣服を漁られて身分証を奪われていた。大阪出身の者は集団でリンチされ、それ以外の者はロープやテープで身体を縛られた。どうやら東京連合軍にとってのほんとうの敵は大阪人らしかった。なかには戦いにお手上げで降参するものもいた。降参したものはスマホで動画撮影されてネットにあげられた。関西人は「どうもすみませんでしたお許しください」と東京弁で言わされて、東京都民は「スンマヘンでしたもう堪忍してください」と関西弁で言わされた。
電車に乗るつもりが、余りの人の混雑で乗れそうになかった。仮に電車が動いたとしても、新宿駅ホームの混乱は容易に想像できた。俺は飛び交う石飛礫や食器類、ナイフを避けて新宿方面にママチャリをこいだ。本当は避難するべきなのだろうが、この戦乱をこの目に焼き付けたいという野次馬根性があったことは恥ずかしながらも否定できない。
環七通りは、高円寺駅前よりもさらに、えげつないことになっていた。無数の車がぶつかり合い、なかには炎上している車もあった。そのナンバーをみるとやはりすべて大阪のナンバーだった。大阪人と思しき男が火だるまになり「オカン助けてくれえ」と叫びながら浅くて汚い川に飛び込んでいった。私は泣いた。なんで大阪に生まれて東京に住んでいるというだけでこんなひどい目に遭わないといけないのか。私は大阪弁を捨てるつもりはなかった。とはいえこの闘争に加わるつもりもなかった。なにもかもアホらしい気分だった。私は身分証をすべて川に投げ捨てて、大通りを避けて裏道を使い新宿に向かった。
歌舞伎町のドンキホーテが燃えていた。燃え上がった炎は、80mほど先にある東宝シネマまで続いていた。ビルをのぼり空高く燃え盛る炎の後ろにはゴジラの像がみえた。元来は怒ったような顔にみえるゴジラ像だが、このとき私にはゴジラが泣いているようにみえた。
歌舞伎町では、ヤクザ同士の決戦が繰り広げられていた。21世紀の日本でこれほどの銃声が聞こえるとは夢にも思わなかった。東宝シネマを正面に向かって、右(東側)に東京連合軍、左(西側)に浪速愚連隊が西武新宿から西新宿にかけて、どこで調達してきたのか、無数のバリケードと車で囲み占拠して軍事拠点としていた。一方の東京連合軍は新宿三丁目からゴールデン街にかけてのエリアを靖国通りと明治通りを包囲して陣取った。
日本にこれほどの武器が眠っていたのかというくらい、数多の手榴弾、ダイナマイト、機関銃、ロケットランチャーが両陣営から放たれた。映画やドラマで見た沖縄やベトナムの地上戦がまさに歌舞伎町で再現されていた。
私は道端で拾った一眼レフカメラを手に、外国人ジャーナリストを装って両陣営を行ったり来たりした。私は外国語を話せない。戦闘員から声をかけられた場合は大学でかじった程度の中国語と英語を交えて、無理矢理やり過ごした。
上空では報道機関など、数十機のヘリコプターが飛び交っていた。陸路からの通路を断たれた自衛隊はヘリコプターを新宿御苑に着陸させて、そこから部隊を歌舞伎町に派遣した。警察、自衛隊や消防隊員が拡声器で戦闘停止を必死に呼びかけるが、誰も聞く耳を持たなかった。
約5500人規模の自衛隊、警察、消防隊の合同組織が戦火夥しい東宝シネマがあるゴジラ通りに入った。すると次第に戦局は変わり、気づけばあれほど対立していた武装集団たちが矛先を自衛隊や警察に向けて、気づけばヤクザvs国家組織という構造になった。挟み撃ちにされた国家組織軍は止むを得ずアメリカ軍を応援要請した。思いのほか激しい銃撃戦に驚いた消防隊員たちはこの時点でほとんど撤退した。中には制服を脱ぎ捨て、浪速陣営、関東陣営に加わる者もいた。
もはや大阪vs東京というのは建前に過ぎず、平和な国でやり場のない力を持て余した者たちが暴れまわりたいがための闘争に思えてきた。私は再び泣いた。いまごろ唐津や朝霞親子はこの血で血を洗う争いをみて、一体何を思っているのだろうか。日本人の多くはアメリカ軍に向かって攻撃した。アメリカ軍はなかなか武器を使わなかった。正当防衛とはいえ、ここで銃を撃てば、本当に再び戦争が始まることになる。しかもいきなり東京地上戦だ。誰もが混乱していた。やるか逃げるかの二択に追いやられ、もはや和解という選択肢はなかった。そもそもことの発端は唐津ギンジによる一連の行動だ。どこからどう見ても黒幕は唐津ギンジと朝霞親子だ。権力やメディアに踊らされた私たちは結局、サーカスの動物じゃないか。踊っているようで踊らされているだけの、哀れな集団に過ぎないじゃないか。本当になんだこのザマは。私は夢中で写真を撮った。こんなに泣いたのはきっと生まれて以来だ。
☆
東京中が第二次世界大戦以来の戦火に包まれている頃、ハワイのリゾートホテルのスウィートルームでは、お忍びで来た、唐津ギンジと朝霞ナナが裸になりベッドで戯れていた。
唐津は、朝霞の尻に手を回し、彼女のふくよかな乳房を口に含んだ。「アッ」と喘ぎ声を漏らした朝霞は弾みで、ぷすぅと小さく放屁した。二人は互いの顔を見合って、それからクスクス笑った。