二話 幻の森
「取り合えず会ってみて! 彼に友達絶対連れて来てって言っちゃったの!」
ある日の夕刻そう言われた私は、強引なミキに引きずられる様にミキの彼を交えた四人での食事会へ出かける事になった。その先で紹介されたのが杉井だった。
ミキの顔を立てるつもりでデートに応じる事になった私は、杉井に興味が持てない。
「休みだからいいよね」
オープンカフェで待ち合わせをした彼は、陽の高いうちからビールを注文すると
「海外に行くと、こういうオープンカフェあるよね。去年ベルギーへ行った時…」
杉井は、屈託の無い様子で海外旅行での体験談を話していた。
二人で会うのはこの日が初めて。
「前に出版社に勤めてたんだけど、脱サラしたんだ。税理士になろうと思って今、修行中」
「税理士?」
父親の税理士事務所を継ぐつもりだ、と言う彼は、以前大手出版社で雑誌の編集をしていたらしい。
それを聞いた私は思わず
「なんで辞めちゃったんですか? もったいない…」
呟いてしまうほど、有名な企業だった。
そんな杉井は中学生の頃の合唱コンクールでの思い出話を続ける。
「中学の時に合唱コンクールでスイスへ行ったんだ。コンクールで海外へ行くなんて滅多にないでしょ?」
身を乗り出しながら自慢げに話す彼に
「ほんとね、すごいわぁ」
頷きながら相槌を打つ私。
笑顔で相手の話に合わせてしまうのは癖だろうか……退屈……私はこんな時も木立の中の彼を思い出してしまう…。
『あの人をいつまで思ってるつもりなんだろう…バカみたい』
こどもじみた幻想に自分でも呆れながら、あの風景が忘れられない私…。
「クラスメイトに俳優の息子がいてさ。そいつん家行くと父親が居て…」
彼の話題は、同級生だという俳優の息子との交友関係に移っていた。俳優の息子の名前の由来を滔々(とうとう)と話す杉井を見つめているけれど、私の気分は一向に盛り上がらない。
今日、二人が会ってから彼が話したのは海外での思い出や家が裕福である事など、自慢話なのかそれとも、ただの思い出話なのか…判然としない内容ばかりだった。
「へー…そんな裏話があったんだぁ」
笑顔で答えながら私はとても冷めてた気持ちで聞いていた。
やがて、彼が自慢の思い出話用に持参してきた数枚の写真を取り出すと
「これ…」
合唱コンクールの写真まで持参してくるなんて…どれほど自慢なんだろう…私はより一層シラケてしまう。
「可愛いわね…今と、あんまり変わらなーい」
写真の彼と目の前の杉井を見比べながら明るく答える。でも…退屈…こんな時も、やるせない程の孤独を感じてしまう。
無理をしているのだろうか…自分では自然なつもりだけど、でも楽しくない事は事実。
この深い暗闇を埋められるものがこの世にあるのだろうか…私にはそれは無い様に思えた。もし仮にそれがあるのだとしたら、あの木立の中の風景が今この瞬間目前に広がり、世界を一変させてしまうくらいの奇跡的な出来事に違いない…。
杉井が合唱コンクールでスイスに行った際の写真や、その他の海外旅行で撮影した写真の数々を眺めていた私は思わず手が止まった。
「………これ…」
それは、森の中の真直ぐな小径が写った風景写真だった。
「ん?…」
杉井は怪訝な顔で私の手にある写真を覗き込む。
これは……私の視線はその写真の上で釘付けになってしまった。
「……なんだろう……」
一枚一枚解説を交えながら私に得意気に思い出話をしていた彼は、しばし考える様に黙り込んだ。
やがて
「…ああ! そうだ、分かった! …でも、なんでこんなのがここにあるんだ?」
杉井は急に思い出した様に言うと不思議そうに首を傾げ、私の手の中にある写真を取ろうと手を伸ばした。
「ああ!」
反射的にそれを避けた私は
「きれいな写真ね!」
わざと顔にかざすと写真に見入る様な仕草で言った。
「…ああ…空気が澄んでるのかな、色が鮮やかだよね」
杉井は私の反応に一瞬戸惑いながら呟いた。
森の静謐な様を見事に捉えた写真からは、木々の音の無い息づかいが伝わってくる様に感じられるほどの臨場感がある。
その森を真直ぐな小径が貫いており、見た瞬間、私は息をのんだ。
登場人物の名前を「奈緒」から「ミキ」へ変更しました。09.07.19




