八話
「――始め!」
フローラが手を振り下ろす。それとほぼ同時に、兵士は木剣を打ち込んできた。
ほぼ予想通りの行動。中段からの突き技だ。
突きの速度は遅い。どうやら小手調べのつもりらしい。
最初から合撃で対抗して、小手を取るつもりでいたが、今回はフローラに自身の実力を見せる事が目的だ。
神人は予定通り突きを払うと、開いた胴に向かって突きを入れる。しかし、それは予想外のことに、兵士の空いた左手に掴まれて防がれてしまう。
兵士はそのまま、その手を軸にして体を捻り、こちらへと肉迫し、首へ向けてその木剣を振るう。
普通の動体視力の持ち主ならば、ほとんど反応できないような速さだったが、そこは時速千キロの剣速を捉える動体視力の持ち主。
体をそらして、余裕で回避する。そして、今度はその慣性をそのまま利用して、バク転と同時に兵士の顎を蹴りぬいた。
その瞬間、体にどっと疲れが襲ってきた。満杯になった水瓶を、逆さまにひっくり返したみたいな、そんな勢いで疲労が神人の体を襲う。
しかし、それは大した程でもなかったので、彼は一旦その疲れを忘れることにした。
……まだ一分も経ってない。
兵士は死角から飛んできた攻撃に対処できず、どうやら軽い脳震盪にあっているようだ。
死角からの攻撃は、裏太刀流の十八番である。
手加減したとはいえ、衝撃の強さとしては、鉄のバットで頭を少し強く殴られた程度の衝撃はあるだろう。
顎が砕けていないところを見るあたり、あの兵士は相当タフなんだろう。
「そこまで!勝者、神人!」
フローラの采配が、二人の鼓膜に響いた。
もっとも兵士の方は、気絶して聞こえていないだろうが。
なんだか物足りなさそうな顔で伸びをする神人を見て、フローラはふむと考えた。
フローラは何でも考えすぎる性格の持ち主だが、今回の試合は、たとえ彼女でなくとも一考しただろう。
なぜならこの兵士。実は村に常駐している兵の中では、一番の剣の腕を持っていたからだ。
フローラはそこまで武に詳しい訳ではないので、この二人がまだ本気じゃない事は知らなかったが、それにしても村一番の腕の兵が、こうも一瞬の後にノックアウトされてしまうというのは、少し考えものであることくらいは理解できた。
おまけに――。
フローラはちらりと周囲を観察した。
試合の長さは一分にも満たない短い間であったにも関わらず、大勢の人間が先程の攻防を目にしていた。
その中には当然、訓練に来ていたのだろう非番の巡査も含まれている。
これは、どっちに転ぶことやら。
先行きの見えない不安に、フローラは肩を竦めるのだった。
力試しを終えた神人ら一行は、兵士の彼の同僚に引率されて、冒険者ギルドが経営している宿『サハギンの足跡亭』の応接室に案内されていた。
応接室には、少し凝った装飾がされており、普段は商談などに使われているらしい。
因みに現在あの兵士さんは、訓練施設に隣接している兵舎で眠っている。
どうやら彼は、あの蹴りを防御するために“気功”を使ったらしいのだが、普通の体術ならば防げたであろうそれは、無意識に込められていた神人のエーテル波によって、少々アストラル体がダメージを受けたのだという。
なるほど、あれは体からエーテルと呼ばれているものが放出した結果のものだったのか。
しかし、エーテルって何だ?
「エーテルっていうのは、つまりは経絡とよばれる気の通り道が張り巡らされた、いわばもう一つの重なった体のことだ。物質的な肉体ではなく、この場合はエネルギー体だな。気功は、その経絡を通して気とよばれるエネルギーを体外に流出し、制御する体術の一種だ」
目の前の兵士の同僚の説明に頭を捻らせていると、フローラがそう教えてくれた。
え?なぜ神人がここの言葉が理解できるのかって?
いや、理解できているわけじゃない。
これは、フローラの魔術によるものだ。
言葉を通じたやり取りは、神人と、術者であるフローラにしか適用されないが、それは逆に言えば、フローラを経由してからならば、神人にも言語が理解できるというものだ。
簡単に言えば、テレパシーで二人をつなぎ留めて、フローラが心の中で、聞いた言葉をリアルタイムで復唱することで通訳をしているのだ。
流石に露骨な通訳では、彼が異世界人であると気づかれてしまうからね。
「ふ〜ん」
何か難しくてよく分からないけど、なんとなく分かったことにしておこう。
神人はそう思い浮かべて、彼女のテレパシーによって通訳されてくる同僚の言葉に耳を傾けた。
「――それで、お二人はフローラ嬢のご両親の居場所を知るために、情報集めのため街に入りたい、という話でしたっけ?」
コクリ、とフローラは首を縦に振る。
すると彼は、なんだか呆れたように更に質問を重ねた。
「それは何ら問題ないんですが、資金はいかほどお持ちに?あと、当てはあるんですか?こちらも、上にあたって調べてもらえるよう、協力を要請しますが……」
「資金はないが、冒険者登録をすればそれなりに稼げるだろうし、情報なら警察組織か情報屋に掛け合おうと思っている」
同僚はついにため息をつくと、神人の方にちらりと視線を投げかけた。
君、フローラ嬢のボディガードなんですよね?しっかりしてくださいよ?と言いたげである。
なにせこの世界。
警察組織にしろ情報屋にしろ、そこからそういった情報を引き出すには、どんな事情であれ、ある程度の権限やコネが必要なのである。
まあ、平民とは言え、金持ちで、更に有力な学者と発明家の子供であるのだから、そこそこは優遇してもらえるかもしれないが。
だがしかし、神人にはそんなことは分からない。
なぜならこの世界についての常識が、ほとんどないからだ。
キョトンとした面持ちで呆然と見返す神人に、更にため息をつくと、同僚は仕方ありませんねと呟いて、そのポケットから一枚のカードを取り出した。
「それは?」
「知り合いの情報屋の紹介状です。フューゲル・ラッハの紹介で訪ねてきたと言えば、少しは優遇してもらえるでしょう。それともう一つ。これは資金の話なんですが」
同僚はそのカードを神人に手渡すと、席を立って後ろの棚へと足を運んだ。
戻ってきたフューゲルの手には、二枚の紙が握られていた。
「これは、ギルドから常時討伐依頼が出ている魔物のリストです。ギルドに加入するしないはご自由ですが、短期間で稼ぐなら、このあたりがオススメですね」
「ありがとう。ありがたく活用させてもらうことにする」
フローラは男にそう告げると、紙を受け取った。
ところでこの紙、羊皮紙ではなく和紙である。これも、以前日本から来た異世界人が残していったものだ。
その後、二人は『サハギンの足跡亭』にそのまま宿を取ることになった。お代は現在休養中のあの兵士が持ってくれるという。
彼曰く、手を抜きすぎたことへの謝罪らしい。
どうやらあの兵士、手を抜くことが下手な様である。
『サハギンの足跡亭』の部屋は、それなりに調度が整っていた。
壁はレンガが剥き出しではあるものの、ベッドや布団などの布はそこそこのものであった。
てっきり異世界ときて寝藁だったらどうしようかと神人は悩んでいたが、どうやらその安堵した様子を見るに、ホッとしているようであった。
一階の食堂で、軽く食事を取ったあと(この料金も案内の兵士が持ってもらうことになった)、二人は早速部屋で今後の方針について話し合うことになった。
「基本的には、さっき言った通りだが、質問あるか?」
先程から殆ど空気となっていた神人に、フローラが話題を振った。
「質問じゃないけど、話せないっていうのが意外と辛いんだ。何とかならない?」
中間テストやら期末テストやらの試験で、長い間黙ることには慣れていても、どうやら周りが話していて自分が話せないという環境に長い間居続けるのは、どうやら彼であっても難しいらしかった。
「流暢に現地語が話せるようになるまでは我慢しろ」
しかしそんな彼の心情を知ってか知らずか、無慈悲にそんな命令を下すフローラ。
知らないでするって、鬼よりも酷いよね。うん。
そんな彼女の心の中を理解したのか、そうだよね……と項垂れる神人。
「それに、後々にもその方がお前だって都合がいいだろ?吾輩が居なければろくに言葉もわからないんだから。というわけで、先ずは簡単に挨拶と肯定、否定の言葉から覚えようか」
「……はい」
(英語、苦手なんだよな……。)
ボソリ、と心の中でボヤく神人。しかし既にテレパシーは切られているので、その言葉は彼女には伝わらないのだった。
ここの言葉は英語ではないと突っ込む人は誰一人いない。
というか、そもそもこの“英語”という単語が、今や“外国語”という意味で使われることもしばしばあるくらいなのだ。誰も突っ込むまい。