未完
ギルドの前に現れたフローラの顔は、怪訝一色に埋め尽くされていた。
何故なら、今日の午前いっぱいを使って、エミリーの事を探っていたからだ。
結果、わかったことは何もなかったのだ。
(解せぬ)
確かに、異世界言語である日本語は、以前到来してきた異世界人によって、ある程度知れ渡ってきた。
国の元老院の者共は、この言葉を暗号として利用することも多々ある。
ならばエミリーはその誰かの縁者なのか。
そう聞かれれば、ハイとは言えない。
なぜなら、私立の学校の一部では、日本語の教育がされていたりするからだ。
因みに元老院が暗号に用いる日本語は、音にそれぞれ数字と記号を当てはめて構成される表意文字で、それなりにIQがなければ解読はできない仕組みになっている。
やっぱりわからない。
エミリー・ホーキュエル。一体何者なのだろうか。
そうとは知らないエミリーは、そんな彼女の顔を見上げると、クスッと微笑んで、彼女の下へ駆け寄っていく。
その後ろからは、呆れ顔の通称ハゲが歩いてきて、神人の方へと向かっていった。
「ヤッホー、フローラ!そんじゃ行こっかぁ!」
元気一杯、というよりも、やや過剰なテンションで二人を無視して村の出口へと向かうエミリー。彼女に腕を引かれているフローラの顔から、引きつった笑みがこぼれている事を神人は見逃さない。
どうやらフローラは彼女が少しばかり苦手なようだ。
「すみませんね、ウチのエミリーがあんな風で」
深く渋みのある男声で、彼ははにかみながら謝ってくる。
「おいハゲ、アタシがいつお前のものになった?あん?」
「はいはい、そういうのもういいですから」
(あ、やっぱり昨日のあれは聞き間違いじゃなかったんだ……)
軽く彼女の暴言に衝撃を受けながら、しかしそれを容易にいなすハゲさんの器量に少しばかり驚く。
多分、付き合いが長いんだろうな。そうは思ったものの、フローラの懸念を雫とも知らない神人は、心の隅に置いておく。
しかしそんなことをしても、あの元気一杯なお転婆娘っぽい雰囲気の彼女の毒舌癖はたぶん、覆ることはないだろう。
さて、今回行うと主張していた魔物狩りのレクチャーだが、どうやら彼女の中では、俺はもちろんのこと、ハゲの愛称で呼ばれているギルドの受付員の男は、完全に無視する事になっているらしい。
いや、完全に無視、というよりは、話しかける度に罵倒を浴びせるつもりらしいのだが……。
「手持ち無沙汰ですねぇ。そういえば、カミトさんはまだランクテストしてないんでしたっけ?」
近くにある今回の標的である雑木林へと向かう道中。ふと、ハゲさんが神人に話しかけてきた。
「……」
しかし、彼はまだ完璧にバベル語を話せないため、言葉に出さず、首だけを動かして肯定の意を伝える。
「日本語でも結構ですよ。簡単なものなら、私でも理解できますから」
――ピタリ。
その台詞が聞こえたのか、フローラはその足を止めた。合わせて、神人の足も止まる。
「……やはり、そうでしたか」
ポツリ、と言葉をこぼすハゲに、フローラは焦った。
(こいつ、神人に鎌をかけたのか……!)
してやられた。
何故吾輩は足を止めた!?無視してそのまま歩き続ければ良かったじゃないか!
「……」
神人は喋れないのだと嘘をつくか?いや、エミリーに一度、彼が話しているところを聞かれている。
どちらに転んでも、何をしても悪い方へ転がっていく。
……ダメだ。
詰んだ。
正直なところ、神人がイリーゼだとバレると少し不味いことになる。
かと言って、今更見捨てると更に面倒なことが待っている。
簡潔に事を収めるなら、共に逃げ出すか……。
目的を聞くか?
そうすると、彼がイリーゼであることを認めたことになる。
くそっ、詰んだ。
……いや、待てよ?この状況、利用できる道があるぞ?
(少々厄介だが、何とかなるか……?)
と、これからの予定を画策していると、向こうに見える雑木林の方から、何かのけたたましい雄叫びが聞こえてきた。
瞬間、ハゲがぴくりと表情を動かして、視線をそちらへと向ける。
エミリーは、今までフローラと話していたのに、その腰を折られてジッとハゲ男を睨みつけていたのだが、今度はその雄叫びに驚いて、スッと向こうの林に視線を向けていた。
「話は後よハゲ」
「わかってます」
二人は短く会話を交わすと、あの雑木林へと駆け出していった。
四人が林へ近づいた頃。
その奥の方から、巨大な足音を響かせて現れたのは、巨大な半人半羊の怪物だった。
その姿はミノタウロスに酷似しているが、頭は牛ではなく羊なので、多分亜種なのだろう。
「ミノタウロス……!?しかも亜種だと!?」
林から出てくるなり、再び雄叫びを上げるミノタウロス亜種に、ハゲはその細い両目を見開いた。
どうやら神人の予想は当たりだったようだ。
「ちょうどいいわ!フローラ、魔物との戦い方をレクチャーしてあげる!おい、そこの凡夫二人!さっさと準備しろや!」