十話
フローラがテストを受けたその日。エミリーの我儘でランクテストを受験できなかった神人は、とりあえずフローラと共に、常時討伐依頼が出ている魔物を仕留めて、討伐部位を持参し、ギルドに提出後、数枚の大銅貨を手に、宿の一室へと戻ってきていた。
「今日一日でこれだけか」
ベッドに身を投げて、フローラがポツリと呟いた。
今日の討伐で、なぜ冒険者の新人が、最初の稼ぎがあんなに少ないのか、理由がわかった。
まず、常時討伐依頼が出ている魔物は、それなりに数も多く、見つけやすいのだが、それは他の魔物に比べ、比較的見つかりやすいというだけの話である。
そもそも、普通に森の中を歩いていて、魔物に出会う事などほとんどないのだ。
いや、それでも神人が暮らしていた地球に比べれば、それなりの倍率ではあるのだが。
その証拠に、昨日この村に来るまでの道のりで、森の中を散々歩いたというのに魔物に一匹も出くわしてはいないのだ。
この世界にはてして冒険者がいた事をすっかり忘れていたのも、この点にある。
「計算外だった……」
「そうだな」
フローラの愚痴に賛同する神人。
「なぜだと思う?」
不意に、フローラにそう尋ねられて、しばらく考える。
例えば、経験したことあると思うが、いや、この場合したことがないと言ったほうがいいのか。
整備された山道を歩いていて、突然山の獣に遭遇することは極めて低いと思う。なぜなら、住処を追い出された挙句、彼らはそれにより、人間が危ないという知識を持っていて、それに付随する知恵も持っているから。
それは、人間との遭遇を極力避けること。
例えばそうだ。
ライオンとシマウマが居たとしよう。
シマウマはライオンに出会うと、食い殺されることを知っている。だから、それに対する対策というものを持つ。この対策(知恵)が、かの有名なファインディ○グ・ニモで言うところのカクレクマノミとイソギンチャクの関係。シマウマでは、キリンと、ともに共生することで、いち早くライオンから逃れるという知恵を持っている。
キリンは他の獣より視点が高く、遠くまで見渡せるからだ。
カクレクマノミの場合は、イソギンチャクの持つ毒手を利用して、外敵から身を守るという知恵を持っている。
これを、魔物に代入して考えるとおそらく、似たような現象が彼らと人間の内で発生しているに違いない。
もしくは、狩人は獣の追跡の方法を知っているが、たかが初心者で、ティーチングするプロの人もいない我ら二人には、その術がない。
挙げるなら、こんなところだろうか。
と、そんなことを淡々と話して聞かせてやると、フローラは呆気に取られたような表情をしていた。
「どうした?さしもの鬼才のフローラ様でも、この例えは解りにくかったか?」
いつも、と言ってもそれほど日は経っていないが、彼女がいつもこちらを小馬鹿にした様な態度をとっていたので、少し大人気ない口調でそう言ってやると、今度は「ふ……ふんっ!」と、なぜか鼻を鳴らしてこちらを嘲笑してきた。
解せぬ。
「そ、それくらい吾輩もわかってるもんっ!」
もん?
こいつ、こんなキャラだったか?
たしか彼女は、少し高圧的な口調をしているが、その本当の心はかまってちゃんではないか、と、短い付き合いながらに思っていたのだが。
――と、一瞬そんなどうでもいいことを心に思い浮かべる神人だったが、すぐに「あれ、こいつもしかしてそこまで考えられなかったんじゃね?」という結論にたどり着いた。
奇しくも天才という生き物にも、どうやら得意不得意というものがあったらしい。
所詮フローラも、小学生高学年か中学一年生くらいの子供なのである。
と、その時だった。
バン!と大きな音を立てて、部屋の扉が開け放たれた。
(しまった、聞かれたか!?)
フローラは一瞬でこの後の展開が悪い方へ転んだ場合のストーリーを構築して、対策を整え始める。
が、どうやらそれは杞憂だったようだ。
「話は聞かせてもらったわ、二人共!そういうことなら、この特級冒険者のエミリーが、協力してやろうじゃないの!」
エミリー・ホーキュエル。
性格、強引。
年齢、十五歳。
その割には、かなり小柄であり、その髪型や性格も相まって、まだ年端もいかない子供であると言われても、すっと信じてしまいそうな体型をしている。
因みにロリ巨乳属性は持っていない。どちらかと言えば絶壁である。むしろフローラの方が若干――。
そんな彼女が、いきなり部屋に飛び込んできたと思ったら、どうやら「話は聞かせてもらった」らしい。
彼女は確かに、話は聞かせてもらったわと言った。
そう、たしかに明言した。
そこから解る事実。
それはすでに、ここにおられる稀代の天才フローラ・ヘヴンは気づいていた。
いや、気づいてしまったと言うべきだろう。なにせ、気がついたのはこの時だったのだから。
えっへん、となぜか偉そうに仁王立ちする彼女を見上げて、二人はそのままフリーズする。
「何?もしかして嬉しくないの?」
日本語でそう尋ねてくるエミリーに、唖然としていると、いち早く立ち直った(と言っても、この場には彼女を除いて神人しないないのだが)フローラが、その金髪が中空を舞うほどの勢いで、首を左右へ振った。
お前の高圧的な態度はどこへやら。
どうやら現在、突発的なアクシデントのお陰か、注意力やら判断力やらが何処かへピクニックへ出かけているらしいのだ。
このままでは意志の疎通に支障が出る。
そんな予感をして、彼女の代わりに返答しようと、神人が立ち上がった。
「ありがとうございます」
「うるせぇ。お前には聞いてねぇんだよハゲ」
………。
………はい?
なんだろう、聞き間違えかな?
今、なんかすごい低い声の中に殺気を混じらせて罵倒されたように感じたんだが。
「それで、魔物狩りのレクチャーだけど、いつにしよっか?」
しかし、どうやら気のせいだったようだ。
エミリーは先程の恐ろしいような顔ではなく――いや、先程も何も、あれは幻覚に違いないんだからそんなものはない(と信じたい)――にぱっ!と向日葵のような笑顔で、そう尋ねた。
しかしおかしい。
その彼女の視界の中には、どうやら神人本人は含まれていないようだ。
「あ、あぁ……じゃあ、明日の午後からお願いするよ……。吾輩、少し頭を整理しないといけないからな」
「わかった!じゃあ、明日!正午にギルド前に集合ってことで!」
彼女はそう言うと、鼻歌交じりにその部屋をあとにした。
「な……何だったんだ、あれは……」
虚しい彼の呟きは、沈みかけた夕日の光を背景にして、どこか遠く、カラスの鳴き声に攫われていった。