九話
日本某所の準都会のとある屋敷。その縁側に、一人の老人が猫を抱えて庭を眺めていた。
彼の名前は出雲白蓮衛。出雲神人の祖父にして、家伝である裏太刀流の四十二代最高師範であり、もう一つのとある肩書を持った男である。
その目は深緑色が混ざった黒色をしており、御年七十とは思えない若い見た目をしている。
白髪は短く整えられ、ツンツンと逆立てたその髪型が、なんだか若々しく見える原因の一つのようだ。
そんな彼の静かな日常は、無粋な誰かの足音によって、蹴散らされることとなる。
「学校はどうした」
驚いて膝の上から逃げていく猫に、ちらりと視線をくれると、音の主の方を向かずに、一言そう尋ねる。
「それどころじゃないの師匠!神人くんが!神人くんが!」
彼女の異様に焦ったような雰囲気を察してか、しかし落ち着いたおもむきで彼は少女を落ち着かせる。
「神人がどうした?」
「消えたの!目の前で、吸い込まれたみたいに!」
「……んな阿呆なことがあるもんか。さっさと学校戻りんしゃい」
白蓮衛は神奈の言葉を一蹴すると、シッシッと神奈に手を振った。
「ホントだもん!嘘じゃないもん!」
信じてよ、師匠!と、彼のもんぺを掴んで彼を揺さぶろうとするが、一ナノすらびくともしない彼に、なんだか別の意味で歯痒い気持ちになりながら、彼の耳元で叫ぶ神奈。
「じゃけ、それがマジやとして、ワシにどうせぇちゅうか?」
「それは……そうだけど……」
神奈はしりすぼむと、もんぺから手を離した。
「……あとんことは、ワシが警察んとこでようやっとく。じゃけ、神奈は学校戻りんしゃい」
そんな彼女の様子に、彼はそう告げると、縁側から腰を持ち上げて、部屋の奥へと消えていった。
「どこ行くの?」
「警察」
彼は短く応えると、早く学校へ向かうように言いつけて、その場をあとにした。
白蓮衛の後ろ姿を見送った神奈は、歯痒い気持ちになりながらも、師匠の言いつけ通り、学校へと引き返していく。
「二千年の悪魔……か」
ポツリ。
そう呟いた彼の顔には、ひどく面倒臭そうな表情が浮かんでいた。
フローラから現地語(どうやらバベル語と言うらしい)の挨拶や肯定、否定の回答の仕方などを一通り学び、一般教養としてこの世界での常識やタブー行為などを教わった翌日。
二人は早速と冒険者ギルドへとやってきていた。
兵士の同僚のフューゲル・ラッハ曰く、登録からランクテストと呼ばれる、冒険者のレベルを図るテストまでは、一応無料でできると聞いていたので、一先ずは登録してみることにしたのだ。
冒険者ギルドに加入すれば、様々な特典がある。
例えば、あらゆる街への通行料が半額になったり、魔物の討伐報酬が、レベル毎に割高になったり。依頼ごとに基準となる報酬が増額したりすることもあるのだ。
二人は受付にてある程度冒険者ギルドの規定などを聞くと、次に登録へと移った。
冒険者ギルドに登録した証として、証明カードを発行してもらう。
これには、冒険者のレベルや名前などが記載され、一緒についてくる手帳で、狩った魔物の数などを記録するらしい。
言ってみれば、銀行の通帳のようなものである。
因みに、戦闘職の登録では、神人は剣士、フローラは表向き水属性の魔法使いということになっている。
魔術師と魔法使いは違うのだが、基本水系統の魔術しか使わないなら、そのように偽装できないこともないのである。
フローラと神人は、通帳と証明カードを受け取ると、受付に連れられてランクテストの会場へと足を運んだ。
「アタシが、君のランクテストを審査する特級冒険者のエミリーよ!よろしくネ!」
会場へと向かうと、何やら赤い髪をツインテールにした小さな子供が、そう叫んでいた。
身長はフローラより少し小さいくらいか。見た感じでは、さほど大したことはなさそうである。
因みに特級とは、冒険者のレベル(ランク)の中で、最高峰のものである。
この幼女、見た目に反してかなりの強者のようだ。
「アナタがフローラネ?話はそこのハゲから聞いてるよ!じゃあ早速始めよっか!」
案内についてきた職員を、さらりと罵倒して、ついでに神人のことをスルーして先先と物事をすすめるエミリー。
どうやら、かなり強引な性格の持ち主のようだ。
「あ、ありがとう……」
どうやら、流石のフローラも彼女に気圧されているようである。
「えっと、キミは……魔法使いだっけ?」
「あぁ。その通りだ」
「そっか。ならアタシも魔法で勝負しよっかな〜」
彼女はそう言うと、ニコリと笑みを浮かべる。
「じゃあハゲ、審判よろしく〜♪」
エミリーがそう告げると、ハゲ呼ばわりされたその職員が、ため息をつきながら片腕を上げた。
通常、魔法使い同士の戦闘は、魔力――つまり、精霊の意識と術者の意思の強さによる、事象の改変力――の強弱で決まる。
相手の引き起こした事象を、さらに上書きする。
同属性同士の魔法は、それが顕著に現れる。
だが。
「それでは、テスト開始!」
ハゲ、もとい受付の彼が、その腕を振り下ろした。
その瞬間、エミリーの周囲に、ゴポゴポと音を立てて気泡が出現した。
フローラの魔術である。
「にひっ♪」
それを確認したエミリー。
しかし、動く気配はしない。どうやらそのまま直撃するつもりのようだ。
気泡が膨張し、破裂する。
瞬間、耳をつんざく轟音が、あたりを支配した。
気泡の破裂音によって生じた音の衝撃が、エミリーを襲う。
――しかし。
音響によって生じた土煙が収まると、そこには無傷で佇むエミリーの姿があった。
「うん、なかなかやるわね。威力は七十五点ってところかな?」
彼女はそう言いながら、にぱっと満面の笑みを浮かべた。
「それにしても面白いわ♪水の魔法でこんなことまでできたんだね!たしかに、これならどこにいてもある程度のダメージは与えられるし、被害も少なくて済む。勉強させられちゃったな〜」
うふふ♪と、愉快そうに笑い声を上げて、フローラの攻撃を解析する。
先程のあの魔術。
あれは、ただ単純に水泡を作り出して割っただけに過ぎないのだが、その威力の強弱や仕様の用途は、シンプル故にかなりの応用が利く。
泡にしないでそのまま壁を構築することもできれば、刃にもなるし、設置して罠にもできる。気泡の割り方をコントロールすれば、音圧を一点に集めてかまいたちみたいなこともできる。
……水って、こんなに強い属性だったかな?
表面上は子供のように無邪気に振る舞いながら、しかし腹の中では冷静に思考を続けるエミリー。
見た目の割には、頭の回る幼女なのである。
「そんじゃ、次はアタシの番ネ?」
エミリーはそう宣言すると、右足を地面に踏み鳴らした。
瞬間、フローラの足元の地面が陥没する。
「っ!?」
咄嗟に助けに行きたくなる衝動を押し殺して、神人はフローラの方を凝視した。
「瞬間判断力は零点か。まあ、これは仕方ないよね〜」
そう言って、トコトコと自分の開けた大穴へと歩み寄っていくエミリー。
そして、彼女はその穴を覗き込もうとして、大きく後ろへとバックステップを踏んだ。
瞬間、彼女がいた地点に向けて、四方八方、さらに上空から、膨大な量の水流が襲った。
「訂正。さっきの点数は取り消すわ。瞬間判断力は八十五点よ。まさか、アタシの魔法を利用してくるとは思わなかったわ」
「そりゃどうも」
フローラは水圧を利用して地上へと登ってくると、呉服についた土埃を払った。
「どうする?まだ続けるのか?」
フローラは肩を竦めるエミリーに向けて、そう言い放つ。
この勝負、実はフローラの王手であった。
「んーや、キミがここまでできるとは思ってなかったんだ。これで試験は終わりにしよう」
そう言いながら。
内心冷や汗を掻きながら、ハゲのもとへ向かう。
「それで、彼女のランクは?」
「戦闘スキルだけで見るなら、間違いなくAだよ。でも、冒険者としては、信頼とかの必要な要素もあるしね。フローラ、キミはDだよ」
彼女はそう告げると、手を振りながらその場をあとにした。
(……えーっと、俺のランクテストはどうなるんだろ?)
――その彼女の背中で、言葉を話せない彼の心情を跳ね返して。