プロローグ
走る。
ひたすら走る。
ただ、両親のいるあの家に向かって、私は彼らから逃れる。
森を抜ける。
駆けた腐葉土が中空を舞って、枯れ葉が舞い散って、雨水を跳ねて。
月明かりに照らされた、暗闇を縫うように駆け抜ける。
息が辛い。
心臓の鼓動が、耳元で煩く叫んでいる。
胸が辛い。
お腹も痛い。
心も痛い。
涙に濡れた視界は霞んで、何度も木にぶつかりそうになりながら、ゆらりゆらりと揺れるその体を、必死に前へ前へと押し進める。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
綺麗だった絹のドレスは、土に塗れて黒く、汗に濡れて黄ばんだ。
何度も足を滑らせた脛は切れて血が流れ、木にぶつかった体は切り傷と打撲痕でボロボロになった。
千切れた袖で涙を拭って、ひたすらに、私は家へと駆けた。
「お父さん……!お母さん……!」
切れ切れの息で、辿り着いた我が家へ向けて、声を張り上げる。
家の明かりは未だ灯っており、しかしなのに中からは人の気配が聞こえなかった。
少女は門を押し開けると、広い庭の向こうの樫の扉が、ギィ、ギィと音を立てて揺れているのが見えた。
まさか。そんな馬鹿な……!
少女は湧き上がる不安と恐怖を胸に、その扉へと駆け寄った。
「お父さん!お母さん!」
何度も、何度も両親を呼んだ。
しかし、家のどこを探しても、二人の姿はどこにも見当たらない。
散らばった羊皮紙。割れたガラス。壊れたツボ。散乱する花。
私が誘拐された時よりも一層、激しく散らかった家具は、彼女の不安と恐怖を、涙と怒りに変えるのは、とても簡単だった。
未だに両親が私の名前を呼んで、彼らにあらがっている姿が聞こえるようだ。
……膝から力が抜けて、ペタンと床に座り込んだ。
「……どう、して……?」
靄がかかったようにはっきりしない頭で、少女は首元のペンダントを握りしめた。
「どうして、私は……」
彼女は意を決したように立ち上がると、その場から姿を消した。
そう呟いた少女の目には、明らかな殺意が、ギラギラと輝いていた。