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承(陽)30

人一人が消えるという準備はそれなりには厄介なものである。


住居や携帯電話の解約。貯め込んだ不要な物の処分。勿論、失敗した場合に備えて最低限の諸々は残しつつ、だ。それがいう所のてつうまも「その時」以降に勝手に持って行って貰う事で話が付いた。





「う、うまい……」

「むっかつくわ」

野菜炒めを頬張るそれに悪態をつく。


「なー、おまえさー」

「んだよ」

「ほんとにりょうり、下手っぴだよな」

「本当にもうつくんねぇ」

「残念だったなー。わたしがつくるからだいじょーぶ」

「くっそ」

あれから5日。予定ではあと1週間ほどのこの世界。

まだ結論じみた物は聞いていないが、まぁいつも通りのような生活を続けていた。

それが窓際で何か考え込んでいる姿を眺めるのは、これまでも時折あった事だ。


何か意見を求められれば答えもしただろうが、ここから居なくなる俺に聞く事もなかったのだろう、改めて何かを尋ねられる事も無かった。

逆に、明らかに今迄と違うのは部屋が殺風景になってきた所だろうか。

既に無職であり、自分の人生の片付け以外にはやる事もない。残る問題はそれの結論と……そもそも帰る事が出来るのか、といった所だった。



「さて。暇だし、どっか行くかなぁ」

「買い物か? 鶏肉買いたいなぁ」

「いや……そういうんじゃなくって」

逆に結論がとっくに出ている俺としては、折角なのでこの息苦しい薄汚れた空気をもう少し吸っておきたい所だった。

とはいえ別に何か用がある訳でもない。目的地もない。


「じゃー。どっか行くかー」

「んだよ。お前も来んのか?」

「え。……じゃあ行かない」

「嘘だ。バネレートあげてるから後ろにいた方が乗りやすい」

それに、気分転換にもなるだろう。ただひたすら考え込んだ上での結論は、どうも大事な部分が抜け落ちた明後日な方向に振れる事も多い。


「ばれーと?」

「……さて。どこを目指したもんかね」

独り言のような言葉を煙と一緒に吐き出しながら、吸い掛けの煙草をもみ消す。

平日の気だるい昼下がり。観光地を目指すには少し遅いし、そもそもそういった物に興味がないので考えても目的地など浮かぶ訳もない。

結局目的もなく、流れの悪い湾岸道路をだらだらと流す羽目になった。




少し見飽きつつある件の公園への分岐を通り過ごし、だらだらと排気ガスを吸い込む。

目新しい風景もなく、このままただひたすら走り続けるだけでもいいか、などという手段も目的も何もない考えに落ち着きかけてきた頃だった。

肩をばんばんと叩かれ、信号待ちでヘルメットのシールドを開く。


「なんだー?」

「あれあれ!」

右後ろに捻った頭をぐるりと回し、それが指さす先へと視線を向ける。そこに見えるのは、以前それが乗ってみたいと口走っていた観覧車だった。


「……。」

「だめか?」

「あー。いや、そういう訳でもないけどな」

「じゃあさ……」

「ま、いいか」

決まった行動指針に、少し雑に右手首が翻る。久々に聞く背後からのうわああという声を聞きながら、大きく2車線を跨ぎ、次の分岐を左へと逸れた。






駐輪場の中でも一際存在感を放つ大柄な車体に一瞥し、広い公園へと歩き出す。

平日の夕暮れ時であり、人気も少ない。


「近くで見るとでっかいなー」

「いやいや、まだ少し先じゃねぇか」

「そーだよな。もっとでっかいって事だよな」

「そうじゃねぇだろ」

「そーだなー。そーじゃねー」

余りに適当な答えに思わず振り向くと、それが機嫌良さそうににひひなどと笑って見せた。


「随分機嫌良さそうだな」

「いやー。ちょっと気になってたからなー」

「折角なら夜の方が……まぁいいか」

「なにが?」

「あぁいや。何でもない」

昼間の方が遠くまで景色も見渡せる。初見であればこっちの方がいいだろう。まして、恋人とデートだとかそういう話でもない。


ゆっくりとしたやり取りを続けながら、やはりゆっくりと歩く。

もう別に急ぐ事はない。それに何となくではあるが……こいつもこの先をもう決めたのだろう、などとぼんやり考えていた。


口を上げて目の前の観覧車を仰ぐそれに苦笑いしつつ、チケット売り場へと歩く。

その金額が意外と高い事実に、とは言え一人で乗って来いという訳にもいかないか、などと一瞬だけ迷いつつ2人分のチケットを受け取った。


「いつまで口開けてんだよ」

「え? あー」

「あーってなんだ」

「……くちの中がかわいた」


「流石に引くわ。なんか飲むか?」

「あー、あれがいい。さむいときにのんだやつ」

「寒いとき? あぁ……」

柚子だったかレモンだったか忘れたが、温かい飲み物だろう。残念ながら、俺の眺める先の自販機に、もうそういった商品は並んでいない。


「ないのかー」

「もう流石にねぇだろ。あれは冬の寒い時期しか売ってない」

「そっかー。残念」

わざとらしい程に落胆した顔をして見せるそれに、同じ柑橘系のジュースのペットボトルを手渡しながら、再び観覧車の乗り場へと歩き出す。


所々錆の浮いた階段を登り切ると、遠くから見ていたのとは違い、意外と大きなかごが流れてくる。

明らかに暇を持て余している風な係員に促され、開かれた扉にさっさと乗り込んで振り返ると、少し慌てたような表情のそれがうわわ、などと言いながら乗り込んでくる所だった。


「と、とまってくれないんだな……」

「そりゃ人が乗るたびに止めてなんてらんねぇだろ」

「うー」

何とも言えない声を出すそれから視線を外し、まだそう高くはないガラス越しの風景へと視線を向ける。同じように外へと視線を向けるそれの姿がガラス越しに見えた。


ゆっくりと視点が上がって行く。しかしそれにも既に飽き始めて視線を戻すと、それはガラスに両手をべったりと着け、外の風景をじっと見つめていた。


「なー。とおくまで見えるなー」

当たり前の言葉に、内心なんだそりゃなどと思いつつも一応の相槌を打つ。


「まぁな。東京タワーとかスカイツリーとか登ればもっと高いけど」

「へー」

返ってきた、逆にまるで気の入っていない返事に苦笑いを浮かべていた。


「なー。あのさー」

「あぁ。なんだよ」

「わたしさ。やっぱしあっちにかえるよ」

「……そうか」

相槌の後には観覧車の動力であろう低く静かな音だけが響いていた。


それがこちらに視線を送っているのがガラスに反射した先に薄く写る。

考えた結果なのだろう。それを否定するつもりもないし、俺にはその権利もない。

とは言え……考えた結果を話すにあたり、その理由まで話したいのは何となく理解できた。


「……。」

「あまり俺が聞く道理はないかもしれねえけど。理由は?」

「うん。お前には大事なことじゃないっていわれたけど、私はやっぱりの仲間のためにたたかうべきだと思う。それに……。それに、仲間もだれもいないところで、ただのんびり暮らしたって、私はぜんぜんうれしくない」

「……わかった」

ある意味では当たり前でもあるその理由。

しかし余計な物を見せてしまったという後ろめたさから、此処に残る答えを少し期待していた事に今更気付き、思わず小さくため息をついていた。


「どうした? わたし、へんな事いったか?」

「いや。他には?」

「え? ああ、もうない」

「え。」

「……。」


「マジかよ」

「なぁ。まじってなんだ?」

「いや、まぁそうだよな」

……正直なところ、俺も似たような理由であるのは否定できない。

やはり人だろうと魔族だろうと、自分の居るべき場所を求めてしまう物なのだ、などと浅はかながらも悟ったような事を考えていた。


「それにさー。おまえもあっち行っちゃうだろ?」

「そりゃそうだ」

「そしたらさ。ほんとに一人になっちゃうからなー」

「それだけの問題なら――」

じきに解決するだろうが。

続くはずだった言葉はそれが浮かべた穏やかな笑みに掻き消され、ついでに苦笑いしながら、そうかよ、などと静かに返すのがやっとだった。

静かに響く風切り音。無言の空間は、やがて頂点へと達した。


「折角だから景色見とけって。見納めだぞ」

「にひひ」

決断を口にした。それで余裕でも出て来たのだろうか。にやりと笑ったそれが海の向こうへと視線を送る。


「まぁ、あっちでも宜しくな」

「おー。わたしこそよろしくなー」

「後は成功するかだ。一番重要な所だけど」

「だいじょーぶ。なんかうまくいく気がするから」

「適当なこと言いやがって」


少し清々しくもある見慣れた浅黒い横顔。それを一瞥して同じ方角へと視線を向けると、沈みつつある太陽が海面を輝かせている。


……まぁ。悪い気はしなかった。


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