承(陽)28
ベンチに腰掛け、ただ空を眺めていた。
煙草を吸いになどと言って彼らとは別れたものの、そこに居るだけで気管を毒すような密室に辟易しし、しかし義務の如く煙草一本を灰に変えそこから出て来たのだが。
「なー。お前、なにもしないのかー?」
「そもそも、ここに来てるだろ」
「いや、おまえさぁ……」
呆れた顔をするそれが、助けを求めるように妹の方へと振り返る。
しかし視線の先の妹は、興が乗らなくなった様子の幼稚園児に不味いハンバーガーを食べさせるのに手一杯らしい。
再びこちらに振り返ったそれに、冷めたポテトフライを押し出した。
「お前……え。これ、貰っていいのか?」
「ああ。とりあえずそれでも口に詰めとけ」
顔を歪めて見せるそれが、言葉通りに口の中へとポテトを詰め込んで見せる。
「もうあ、ふえあおー」
「口の中に物入れて喋るなって言ってるだろ……」
その言葉に満足げな顔を浮かべたそれがもぐもぐとそれを胃に流し込む。そこから視線を外し、落としたポテトを拾おうとする姪を慌てて抑える妹の方へと向き直った。
「で、次どっか並んどくか?」
「あー、それじゃあ――」
本当に少しの迷いの後に告げられた全く遠慮のない妹の注文。
その指がさす地図の箇所を一瞥して立ち上がると、隣のそれも立ち上がる。
「?」
「じゃ、いこーか」
「いやいや、お前はいいぞ?」
「……。」
「お兄ちゃん、りおちゃんと一緒に並んでて」
「なんでだよ……」
「もう少し時間かかるからさ」
「……。」
結局。
少し困った顔のそれと共に、アトラクションの列に並んでいた。
待ち時間が2時間というふざけた表示を見て並ぶのをやめようかとも思ったが……ここから脱走するのは色々と不味いだろう。
「なー。あれなんだ?」
「メリーゴーランド。乗りたいのか?」
「いいのか!?」
「これ終わったらな。……あれでも一時間待つのかよ」
先程の憂鬱そうな表情がどこに行ったのかわからないが、それは忙しそうに周りを観察している。
特に話す事もなく、ぼんやりとそれを眺めていた。
その視線がある家族連れを見てそこで止まる。肩車された男の子。少し体格のいい父親。その隣を歩く母親。共通しているのは……浮かべた笑顔だろうか。
そして。視線を戻した先のそれは、再び憂鬱そうな顔を浮かべている。
「どうした?」
「みんな戦ってるのに……私だけこんな楽しい所にいてさ」
「お前なぁ。こういう場所でしょげた顔してても仕方ないだろうが」
「……かんたんに言うな」
「簡単に言ってねぇよ」
人の海の中。
無言で俯く女と、恐らくは不機嫌に見えるであろう男。客観的に見れば、長い待ち時間で険悪な雰囲気になった連れ同士といった所だろうか。
「……。」
「もう、じきに戻る。そうしたら苦しい事の方が多いだろ。折角だからその前に笑えるだけ笑っとけばいいじゃねぇか」
「……簡単に言うなよ」
「同じこと繰り返すなっつの。その分あっちで頑張ればいいだろ。今そんな顔して、向こうの状況が指先一つ分でも変わるか?」
「……。」
「心配すんな。前にも言ったが、ある程度は何とかしてやる。それまで何とか生き残れ」
「そんなうまくいくのか? ……違う。お前は、そんな事するのか?」
「俺は魔王を倒した英雄様の一人だぞ? それに――」
少し考え込み、言葉が詰まる。
彼女は。リオナはそんな言葉を受け入れるだろうか。他の英雄たちは? 所属する国家の長達は? 相手の魔族だってそうだ。お互い、家族や仲間を殺されている。
復讐は何も生まない。……綺麗でお利口な言葉だが、そう簡単にはいかないだろう。ここまで高度な文明を擁した現代でさえそんな事を解決できないのを見れば明らかだ。
「?」
「いや。憎まれ役を買う羽目になるかもしれないって思ってた」
「にくまれる?」
「気にすんな。多分何とかしてやれるって。だから――」
遠くで手を振る妹が目に入り、それに手を振り返す。
並んだ列を横切って合流した妹たちを一瞥し、未だ少し考え込んでいる風なそれの肩を軽く叩く。
少し不満げな視線を軽く睨み返すように、俺は並ぶ列を横切り、再び喫煙所を目指した。
気持ちの入れ替えが早いのはいい事だ。それは夕暮れ時にはキャラクターを模したカチューシャを姪と交代で頭に着け、にゃははは、などと笑っていた。
視線を妹へと移し、素朴な疑問を口にする。
「所で、何時までいるんだ? こういう所だからそう遅くまでは――」
「10時くらいかな」
「じゅ……20時?」
「はぁ? 違うってば。22時だよ」
眉間に皺を寄せていたであろう俺に白けた視線を向けつつ、妹は地図を見ながら旦那と相談を始めている。
それを眺めつつ、俺は再び地図上で喫煙所を探していた。
時間は過ぎる物である。
続けて吸い込み過ぎた煙で流石に鈍い頭痛と気だるい体。それとは多少的に、姪と手を繋いで踊り出しそうに歩いてくるそれを迎える頃には、既に日が沈みつつあった。
パレードの場所取りとの事だが……昼間にもそんなようなものを見た気がしつつも、黙ってそこで待ち続けた。その行為は。
今ここにいること自体も含め、きっと正しかったと、俺は信じたい。
「なんだかつかれた……」
「初めて聞いた。お前も疲れたとか言うんだな」
「はじめて見るものばっかしだからさー。いえの近くのおーみしょかよりすっごいな」
「大晦日な。みしょかってなんだよ」
先程戻った4人と交代で再び喫煙所へと向かい、戻った俺が見たのは大きな欠伸をする姪とそれの姿だった。
既に空は薄暗く、俺が数時間座り込む事で確保した場所はじきにその役を果たすだろう。
気だるそうに首を回すそれから視線を外し、やはり気だるく見えるのであろう顔を妹へと向ける。
「で。あとどんなもんだ?」
「あと……20分くらい」
「やっと出番だな」
「出番? 何が?」
「何でもない。飲み物買ってきていいか?」
「あーいやいや、もうここに居なよ。戻ってくるの大変だよ?」
「そしたら他所で待ってるからいい」
「あんたねぇ。ちょっとは大人しくしてなさいよ。いい年して――」
言い返す気も起こらない正論を吐き出し始めた妹。それにまぁまぁなどと言う旦那が抱いた姪は既に目を閉じてしまっている。
「わかったわかった。とりあえずここに居るって」
適当な相槌を打ちながら背けた先、それがにひひひ、などと笑っている。
「あんだよ」
「怒られてやんの」
「うるせぇ。俺はこういう所はあんまり――」
続く言葉を吐き出し掛けた所で、それがどういった結果を迎えるかを理解して口をつぐむ。
「どーした?」
「何でもない。ちょっとそっち行けよ」
ため息交じりの降伏を吐き出しながら、相変わらず気だるそうなそれの隣へと座り込む。
柔らかな照明が映し出す薄い影、姪を抱いた旦那のそれがゆっくりと上下に揺れる様を眺めながら、辺りへと視線を巡らせた。
俺はこういう所はあんまり。……あんまり、好きでもない。結局のところ、かつて過ごしたあちら側が好きなだけで、それ以外がそう好きでもない、というだけなのだが。
隣で相変わらずあちらこちらに視線を巡らせているそれのいた世界。それからすればあちら側は死と戦いの世界に他ならないのだろう。
その、それから見たこの世界はどうなのだろうか。
ぼんやりとそんな事を考えている俺の背後、旦那に抱かれた姪が泣き出す声が響く。
「えー!今なのー!?」
そんな間抜けな言葉を吐く妹と、困ったように笑う旦那。暗くなる照明とさらに高くなる泣き声。
確保した場所の出番がやってきたと同時に、立って居ざるを得ない若夫婦はその場から退場し……俺は口を半開きにしたそれと、顔を見合わせていた。
鳴り響く音楽の中、小さくなっていく姪の泣き声。
「ど、どーする!?」
「行ってもしょうがねぇから見てろよ。とりあえず」
「うええ。マイはこれ見るのが楽しみだって言ってたぞ?」
「後ろからだって見えるだろ? それに俺らがこの場所放棄したら、あいつら戻ってこられないし」
「あ、そっか。うーん」
いよいよ大音量で流れる音楽の中、軽く考え込むような顔のそれから視線を外してパレードの先頭に視線を送る。ぎらぎらと輝くLEDに、以前ああいった電飾にひどく苛立ったことを思い出しつつぼんやりとそれを眺めていた。
行列の中から振り撒かれるのは身震いするほどの優しさと笑顔。そしてそれを眺めるおよそ全ての視線に内包された笑み。不快ではないそんな空気に自らも苦笑いを浮かべているのを感じ、そんな顔を見られていないか確認するように振り向く。
振り向いた先に願っていたのは、それが惚けたような笑顔で光の列を眺めている事だった。
「は!? え、なんだどうした?」
しかしそこにあったのは。ぼろぼろと涙を流し、鼻をすするそれの姿だった。
恐らくは驚愕した表情でも浮かべていただろう俺に視線を向けたまま再び大きく鼻をすすり、ずびーっなどという情けない音が小さく響く。
「……。」
「どうした?」
「あうえおあい」
「……マジで何言ってんのかわかんねぇって」
「……。」
ひどく困ったような顔のそれが膝に顔を埋める。
それの向こうに座っていた家族連れと目が合い、慌てて目を逸らされながら、しかし俺はどうしていいものか迷っていた。
小さく震える肩。対極のように流れる煌びやかな光。
恐らくはこの界隈で一番に異質な空気を垂れ流しながら、相変わらず優しい光が通り過ぎるのをただ待った。




