承(陽)27
アウディというメーカーがある。今俺が乗っているこの車のメーカーだ。
運転しているのは俺ではないが、すし詰めのバンとバイクにしか乗らない自分としては……なんと言うか。同じ車という括りにしていいのか、少し疑問に思ってしまう。
「なぁ、窓開けていいか?」
「あれ。寒いですか?」
「少し」
言いながら少し窓を開けると、ごうごうという控えめな風切り音が耳に響く。
軽く後ろを振り向いた。
先程から響く機嫌の良さそうな子供の声。そしてその頬をつんつんしているそれ。……今年年長だという妹の娘、その年齢を考えればいい相手だろう。
指を掴まれ大げさな悲鳴を上げて見せているそれは、以前用意されていた服の上から持っていたパーカーを羽織っている。
「義兄さんて寒がりでしたっけ?」
「いや。暑いのも寒いのもあまり気にしねぇけど」
「……なるほど」
一度ルームミラーに視線を泳がせた妹の旦那が、少し納得したように再び視線を前に戻した。
「しっかし。こんな早く出る必要あるのかよ」
「何言ってんのお兄ちゃん、もう九時じゃん!」
後ろから返った抗議じみた声で、これ以上の話をやめて再び前に視線を戻した。
仕事はやっと一昨日に正式に辞めてきた。
やっとというのは、予想を外れて現場の納期が少し延びた期日だったからだ。それでも無言で飛ばれるよりは余程良かったらしい。
こなすべき残った事象は今日のこれと、一週間ほど先の満月。それだけだ。
流れる景色をぼんやりと眺めていた。
「なー。お前はなんであうでー買わないんだ?」
「あうでーじゃなくてアウディー。ていうか買えるかっつの」
「お兄ちゃん、あのうるっさいバイクまだ乗ってんの?」
「乗ってるよ、悪いか」
「軽でも買えばいいじゃん」
「俺はバイクがいいんだよ」
「私もてつうまよりあうでーがいいなぁ」
「お前は黙ってろよ……」
「バイクもいいですよね? 5月なんて丁度いいんじゃないですか?」
「そうだなぁ。夏場は正直暑くて乗ってらんねぇんだよ」
「やっぱ車のがいいんじゃん」
「うるっせぇ」
悪態をつきながらも。正直、物欲などそうは無かった。
高級車も最新の携帯電話もあちらの世界には持っていけないし、持って行っても意味がない。
そんな話を続けつつ、高級車の中に納まる事一時間弱。目的地の駐車場へと到着した。
「う……なんだあの城?」
「飾り物。安心しろよこっちには敵とかいないから」
「……そうだよな?」
「じゃ、行くぞ」
「わ、わかった」
「またわからない言葉で話してるし」
「驚いたんだと。気にすんなって」
「そう言えば服、どう?」
「いいんじゃないか? ……服が」
「またまたー。あ、こら有希奈ー!」
余程たのしみだったのだろう、幼稚園児はその目標地点しか見ていない。
それに追いすがる妹夫婦を眺めつつ。どうも居心地悪そうな表情のそれと共に、歩き始めた。
ぼんやりと空を眺めていた。
時折思い浮かぶのは、煙草すいてぇなどという情けない言葉。
暇潰しに開いた携帯電話は、もう使う事もないであろう電話帳を眺め、更に妹とその旦那からしか来た事のないメールを数通眺めた上で、再びポケットに仕舞われていた。
「もう12時じゃねぇか……」
俯いた視線に入り込むのはプリ〇ュアが大きく描かれた控えめなサイズのレジャーシート。先程義弟に聞いたところによると、このプリ〇ュアは2代前らしい。心底どうでもいい説明だったが。
これだけの人間の海の中へ来て、俺は場所取りという名誉ある役職を仰せつかっていた。目の前をパレードが通過するらしい。こちらも心底どうでもいいが。
アトラクションの列に並ぶのが嫌でこの役を買って出はしたものの、する事もなくただ座り込んでいるのも……少し後悔する程度には堪える。
まさかここで横になったりしない程度には俺も常識を心得ており、その常識に縛られた背筋はただ丸まっていくばかりだった。
辺りで同じように場所取りをしている父親であろう男性や、楽しそうな家族連れなどを流し見て、再び俺の視線は空へと向かう。
「なぁ?」
「……。」
「なぁってば」
「?」
座ったままで眠りこけていた俺の頭の上から降り注ぐ、緊張感のない声。
「なあってば」
「何だよ。あれ、あいつらは?」
「食べ物かってくるって言ってたぞ……お前も来ればよかったのに」
「行かねぇよ。何だか知らねぇけど」
「すんごい面白かったぞ。マイと一緒に乗ったんだ、岩の間をがーって走るやつ」
「そうかよ。……タバコ吸いに行っていいか?」
「マイがもう始まるからここに居ろって言ってたぞ?」
「マジかよ……」
「なぁ。まじってなんだ?」
「……。」
久々に感じるその声に、苦笑いを浮かべながら辺りを見渡す。
人の海の中、妹たちの姿など見つけられる訳もなく再び空に向かう視線。
「あのさー」
「なんだよ」
「みんな、楽しそうだよな」
「まぁ。……そうだな」
「……。」
「?」
軽く振り向いた先。それは浮かない表情で、シートに描かれたキャラクターの顔を眺めている。
そこいらじゅうに他愛もない言葉が溢れる中、ただ沈黙するそれを眺めていた。
最近、こちらも若干見慣れつつあるその表情。掛ける言葉を探している所でどうも居心地の悪い軽快な音楽が響き始める。
「わわわ、なんだ?」
「始まっちまったじゃねぇかよ。あいつらどこ行ってんだ」
「おい、なんだあれ!?」
先程までの憂鬱そうな表情はどうしたのだろうか。興奮気味の声と、通りの先から見え始めたキャラクター達の列を指す指。
「俺に聞くなよ」
「そうだった。……へー」
「あ、すみませんすみません」
「……。」
「ありがと、遅くなっちゃった」
背後から無理矢理に人の中を掻き分けて戻った妹たち。それに一瞥し、狭いレジャーシートのうえで立ち上がる。
「煙草吸ってくる」
「えー!?」
「えー!?」
妹の真似をして同じように驚いて見せる姪に引きつった笑いを見せ、今度は逆の方向へと人混みを掻き分けた。




