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承(陽)26

いつも通り仕事帰りの道を歩きながら、昼間の出来事を思い出していた。


今日。仕事中に現場を訪れた社長に、一か月程後には辞めたいといった旨を説明した。

以前大まかには話してはいたものの、詳細な期日は未だ伝えていなかったからだ。改めて諸事情で国外に行く事になった事、急な話で申し訳ないので必要であればもう少しは居るようにする事を説明したのだが、「もう決めてんだろ? 細かい日にちは調整する」という返事を溜息と共に貰った。


普通の会社員であればこうはいかなかっただろう。義弟にもそれはちょっと、などと電話の向こうの苦笑いが目に浮かぶような声を出された。

わかっている。悪いとは思うのだが……早く辞めてしまいたい所だった。

ある程度の貯金。帰還の期日の目途がついた事。そして今入っている一番大きい現場のあがりが半月後で概ね丁度いい事。その辺りを鑑みれば、比較的言い出しやすいタイミングではあった。




軽くため息を吐き出しながら、最近めっきり寄らなくなったコンビニのドアを開く。

誰も並んでいないレジに向かい、自分の吸っている煙草の銘柄を告げようとしたところで、店員が先回りするように赤い箱を持ってきた。


「これですよね?」

「え? ああ、それ」

久々ながらも正しい笑顔を浮かべた女の店員は、俺の事を覚えていたらしい。

以前と同じ様に、ありがとう、などと言いながら釣銭を受け取った所でポケットの中の電話が鳴り響いた。


煙草をポケットにねじ込み、扉を開きながら携帯電話を取り出す。

そこに表示された妹という文字を見ながら、コンビニ前の灰皿の脇で煙草を火をつけた。


「なんだよ?」

「……あ、出た。あのさ、日にちの確認できる?一か月後だから調整してよ」

「一カ月後? ……何が?」

「出掛けるって言ったじゃん。少し先だから調整つくでしょ?――」

一方的に某テーマパーク行きと日程を捲くし立てられながら煙草は灰へと変わって行く。


「あー、わかったって。あれには?」

「さっき言っといたから大丈夫」

「じゃあ俺にまで言わなくていいっての」

「直接言わないと怪しいからね」

「……まぁ、そりゃそうだ」

言葉を覚えたてのそれ経由では不安があるのも無理ないが。


「服も置いてきたから着せてみて。少し薄着だけど一か月後なら大丈夫だと思う」

「本当に買ってきたのかよ」

「当たり前じゃん。お兄ちゃんが買った服、全部〇ニクロじゃない」

「安くて丈夫だろ」

「お兄ちゃんはそれでもいいけどさ。あ、あー何やってんの!?」

「え、なんだ?」

電話の向こうから皿が落ちるような音と子供の笑い声が聞こえ……がしゃがしゃという受話器に何かがこすれる音と共に、電話は切れる。

溜息をつきながら根元まで灰になった煙草を灰皿に放り込み、再び家への道を歩き始めた。




「ただい――」

「おかえりー」

「……最近、いつも食い気味だな」

「どーした?」

「何でもない。服ってそれか」

「これ、さっきマイが持って来たんだけど」

一度視線を落としてから全体を改めて眺めるが。まぁよくわからない。あか抜けたと言われればそうなのかもしれないが。

少し傷のついたジーンズ。やたらと生地の薄い……ワイシャツと言えばいいのだろうか。

こちらを伺うように見ているが……何と答えればいいものか。


まぁ可愛らしく見えない事もない。主に服が。

このところ、毎日ジャージしか見ていないので尚更だ。


「……。」

「や、やっぱしおかしーのか?」

「いや、別におかしくはないけど」

「そっか良かった。……けど?」


「ああいや。割とかわいく見えるもんだなって思った」

「そっか。えぇと……惚れたか?」

「……は?」

「いや、怒るなよ。マイが聞けって……」

だから嫌だった、とでも言いたげな顔をするそれ。

俺は更に困った、というか何言ってんだこいつ、という表情を浮かべていたのだろうが。


「……。」

「……。」

「飯、何?」

「おむらーす」


「そっか」

「用意、してくる」

「着替えろよ? 汚れるぞ」

「そ、そーだ。見せたら着替えろって言ってた……」

いそいそと着替え始めるそれから視線を逸らし、携帯電話を取り出した。


「なんかとんでもねぇ空気だけど。どうしてくれるんだよ」

適当な文章を打ち込み送信する。

それがキッチンへと入って行く頃、メールの返信音に携帯電話を開くと、親指を立てた絵文字一文字だけが帰って来ていた。






再び夜の公園。

このところ連日これに付き合わされているような気がしなくもないが……しかし、現地ですぐに必要なのは主に戦闘能力だ。特にこいつは。

俺自身、そこに理解を示さないほど狭量でもない。強いて言えば、煙草の金がかかるといった所だろうか。缶コーヒーは昼間のスーパーで食材のついでに買ってきてもらっており、そう高い物ではないが。


切っ先の如く半月を描くつま先。息をつく間もなく繰り出される拳。肘。

相手がいない訓練でも成果を得られる者は居るらしい。証拠として……仮に新月だとしても俺はこいつに数秒の間もなく殴り倒されるだろう。


以前、口走った言葉を思い出す。

「あっちに戻ったら、もうやめとけって言ってやる。だからそう悲観するな」

細かい言い回しは忘れたが、概ねこんな内容だった。


しかし面倒な事を口にしたものだ。

だがあの時、煙と共に吐き出した言葉は嫌々口にしている訳でもなかった。

目の前で踊り狂うこいつと、かつての仲間たちが戦うと言うのは……あまり気分がいい内容ではなく、出来れば勘弁願いたい。

そして。それが実現されるまで犬死にしない為、少なくともこの技術は必要だろう。

それの訓練を許容する心と、あまりの暇に飽きて眠りたい衝動とが戦い、流石に後者が勝利を収める頃。

具体的に言えば、今日の場合は23:25。

軽く息の上がったそれに声を掛け、部屋へと戻ったのは既に両針が上を向きつつある頃だった。






数日おきに行っている、細い魔力を繋ぐ行為。

シャワーを浴びてきたそれの手は、しかし相変わらず少し低い体温に冷たく感じる。

いつも通りのそれを終え、一日を終わらせようとしていた。……のだが。


「なぁ。あのさー」

「んだよ。寝るぞ?」

「……そーだな」

「いやいや、気持ち悪いからそこは話せよ」

「やっぱし明日でいいやー」

適当な返事を返しながら窓の外へと視線を逸らすそれ。


「悪かった、聞くって。何だよ?」

「えーと。マイが行くって言ってたところ、どういう所なんだ?」

「……いや、俺もよくわかんね。普通に行った事ねえし」

「普通に? お前も行った事ないのか?」

「いやぁ……」

かつて。

高校生などと言う職業だったころ、校外学習などと言うイベントでそこに行ったことがある。

無理矢理に組まされた連中ともはぐれ、ただただ暇を持て余してぼんやりと空を眺めていた事を思い出す。

要するにまともな知識はない。正直、行った事がないのと同意だ。


「そっか。じゃあお前に聞いてもしょーがないよなー」

「なんだよ。どういう話だ?」

「やっぱいーや。ねむいからねるー」

「おま……ひでぇな」

「にひひ。ぐー」

「ぐー、じゃねぇよ」

そんな軽口は兎も角。

眠る前につけた煙草が灰になる前に、それは既に規則正しい寝息を吐き出している。

そしてその煙草を灰皿に埋め込んだ俺も少し厚みが残る布団に潜り込み、規則正しいであろう寝息の中へと沈んでいった。


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