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承(陽)25

仕事の帰り道。幹線道路沿いを歩いていた折の事だった。

滅多に鳴らない携帯電話がポケットの中で無機質な音を立て始める。

取り出したそこに表示されるのは、妹、という1文字。


「何か用か?」

「あのねぇ。用ないのに電話する訳ないでしょ?」

「えらい機嫌悪いな」

「りおちゃんになんか言った?」


「何か? いや。別に」

「本当? なんか悩んでるみたいだけど」

「ホームシックじゃないのか? 適当に励ましてやってくれ」

「今日さ。家に帰りたいの?って聞いた」


「そしたら?」

「少し困った顔されちゃった。でも、違うって言ってた」

「違うのか?」

「じゃあまさか、お兄ちゃんのこと好きにでもなったのかと思ってさ」


「しつこい」

「それはいいから。で、やっぱりそれも違うみたい」

「……そうやってあっさり否定されるのも、男としてはどうかと思う」

「自分がないって言ったんじゃん」


「そりゃそうだ。……で?」

「で? じゃないよ。分からないから聞いてるんでしょ?」

「お前が分からないのに俺がわかる訳ないだろ……」

「お兄ちゃんに聞いたのが馬鹿だった」


「うるっせぇ」

「で。あとニヶ月くらいって言ってたって。本当?」

「……本当だ。多分、そんなもん」

そう。感覚的な話ではあるが……最後の一回はだめ押しみたいな物だろう。


「あのさ」

「止めても行く」

「聞いたよ。だからもう止めないけどさ。折角だからその前にどっか行こうよ」

「どっかって。何だそれ?」


「外国に戻ってからここに住んでた時のこと悪く言われるのも何だし、何て言うか、記念にもなるでしょ?」

「考え過ぎだろ。大体、悪くってなんだ。飯もうまいし平和でいいって言ってたぞ」

「悪い所は主に、お兄ちゃんが一緒に居ることかな」

「……。」


「考えといてよね。あ、可愛い服でも買ってあげてよ」

「いやいや。金払うからお前が買ってくれ」

「そう言うと思った。まぁ、また電話するね」

「わかったわかった……」


何とも言えない会話をしつつ、足は既に家の前の公園へと至っていた。

軽くため息を吐き出しつつ。それの悩み、について軽く考える。


妹の考えた2点。

ホームシックではないと言っていたらしいが。しかし、環境が変われば心理的に圧迫感じみたものだってあるだろう。そもそも、彼らのやり取りしている言葉自体が双方怪しい。

そして。後者については仮に言葉が少し不自由だとしても間違いの少ない内容だろう。

であれば――。

再び溜息を吐くように、玄関の戸を開いた。


「ただい――」

「おー、お帰りー」

「……。」

「なんだ? どうかしたか?」

「いや。何でもない」

いつもと変わらない様子でキッチンへと入って行くそれから視線を外す。

よくわからないが聞き慣れつつある鼻歌を聞きながら、家着のジャージに着替え始めた。





程なくしてテーブルに並んだニラレバ炒め。みそ汁。


「うまいー」

「……本当に」

「にひひ」

「むかつく。片栗粉?」

「そー、カタクリ」

下調理で一度……あげたのだろうか。手が混んできたというか何というか。

経緯は兎も角、うまい食事が用意されればする事は一つしかない。

ただひたすらに食事を腹の中へと収める音だけが響く部屋。

そしてその作業を先に終えた俺は食器を流しに運び始める。


いつも通り2口分ほど残しておいた皿のおかずは、戻った時にはもうなくなっていた。

それが同じように皿を流しに運び、続けて洗いものを始めた姿を一瞥して煙草に火をつける。




ぼんやりと、先程の電話の話を思い出していた。

それの悩み。妹が聞いた言葉を信じるのであればホームシックではないという。

であれば思い当たる理由は一つくらいしかないが……恐らくこいつがそれを口に出す事はないだろう。


あちらへ戻ること、それ自体への疑問。

何の心配もいらない安全な世界。圧倒的な文明の差。ついでにうまい食事。

そこに誘惑を感じない奴などいる訳がない。向こうに家族やらなにやらが居ても、だ。


煙草の煙を吐き出す。

もしもその希望を口に出す覚悟ができたのなら。あちらの世界を切り捨てる事を決められたのなら。

……できるかはわからないが、こちらの世界に残る方法を考えてやるべきだろう。


「取り合えず妹に相談してみるか。旦那、輸入関係の部署あるって言ってたよな。……なんかねぇかな」

「おまえ、なにぶつぶつ言ってんだ?」

「うるせぇな」

根元まで灰になった煙草を灰皿に押し付けた。


「なんだよー。ご飯がうまくてきげん悪いのか」

「そんな訳あるか。それはどっちかって言うと……感謝してる」

「……どうしたんだお前。あたまうったか?」

「打たねぇよ。考え事してただけだ」

「そっか。なぁあのさ――」

「公園?」

こちらを見下ろしたまま、無言で頷くそれ。






時計を一瞥する。

それはもうかれこれ一時間以上、何もない空間に拳と足を繰り出していた。

今までの練習じみた物を上書きするような、対象を殺害するためだけの行為。

そもそもが人間の身体能力を上回るうえにこの集中力だ。そこにはある種の必死さと、若干の……獣じみた美しさえ感じる。


しかしそれも1時間もただ眺めていれば飽きるのも仕方がないだろう。

出てくる欠伸と、タバコの吸い過ぎによる軽い頭痛。

まぁ、頃合いだろう。


「おーい」

「うー、もうちょっとー」

「……あと5分な」

返事の代わりに返ったのは、飛び後ろ回し蹴りが空気を裂く、ぼっ、という音だった。


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