承(陽)23
日曜日の朝。薄く開いた目に写る時計は既に八時を回っている。
昨晩と代わり映えしない風景の中、窓際にもたれかかり外をぼんやりと眺めているそれ。
「……猫かお前は」
「え? あぁ、起きるのかー?」
「腹減った。とりあえず、飯食おう」
「ん。昨日、パン買っといた」
そんな報告を聞きながら、軽く伸びをして起き上がる。
78円の6枚切り食パン。うち4枚を平らげたそれに、冷蔵庫の中にあったプリンを差し出した。
おずおずとそれを口に運んだそれが目を見開く。
「うっ……」
「なんだよ。食べながらしゃべるなって言ってるだろ」
「うまい」
「……お前は安上がりでいいよな」
「ほんとだって。こっちにきて一番うまいかもしんない」
「ああそうかよ。俺の野菜炒めとどっちがうまい?」
「や、やさいいため……だぞ?」
「殴りたい」
調子づいた笑いを浮かべるのも忘れ、勿体ないのか生クリームとプリンを少しずつ少しずつ口へと運んでいる。
「なぁ。さっさと食べちまえよ。いらいらする」
「えぇと。……どうしよ」
そのプリンが半分弱ほど残った辺りでこちらへと視線を向けられた。
「なんだよ」
「全部食べていいのか? 半分食べるだろ?」
「いや、別にいらない。何だよ?」
「なぁ。いらないのか? 本当にいいのか?」
「いらねぇって。俺、甘い物あんまし好きじゃねぇから」
「……じゃあいっか。にひひ」
言いながら既にプリンにスプーンを突き刺しているそれをぼんやりと眺めていた。
放っておくと器を舐め始めそうなそれを一応制止し、時計に表示された午前九時の表示を一瞥して立ち上がる。
買い物には先に行っておくべきだろう。今日は午後から雨だと聞いていた。
「きょうは何にするんだ?」
「適当に見て決める」
「……やさいいためだな」
「お前、飯抜きな」
暇つぶしの無意味な会話を続けながらスーパーへの道のりを歩く。腹立たしいが、まぁ野菜炒め以外の何かしらの材料を買うべきだろう。
「とりにくー」
「もも肉高いな。こっちのブラジルでいいや。あとキャベツと豚小間だな」
「なぁなぁ。あさ食べたあれは……ないのか?」
「まぁ。似たようなのはあるだろ」
「あるのか?」
ぱっと明るい表情を浮かべたそれを引き連れ、乳製品などが並ぶ棚の前へと移動する。
どうしたものか、などと考えながらも、そこに並ぶヨーグルトやゼリー、件のプリンなどを指さしてみせた。
「この辺がプリンだな」
「ふりんって言うのか、あれ」
「まぁいいや。一個なら買っていいぞ?」
「いいのか? ……おまえは?」
「じゃあたまにはゼリーでも買うか」
「ぜりぃっていうのもあるのか」
俺が安っぽいゼリーをかごに置くのを見て、棚の中で一番大きな容器を手に取るそれ。……まぁそれはヨーグルトだが。
まぁいいや、などと考えながら、もう一つプリンの容器をかごに入れた。
「うまいー!」
「本気出せばこんなもんだっての」
「すっごいな、お前。見なおした!」
「なんだか……いや、何でもない」
「?」
何の事は無い。料理の元となる出来合いの調味料と混ぜて炒めただけだ。もっと言えば。しなしなになったキャベツを見る限り、少なくとも俺に料理の才能がない事は明白だった。キッチンの方へ視線をやると、流しの脇に調味料のパッケージが転がっている。
「くっそ」
小さく悪態をつきながら立ち上がった。何があったのか知らないが、皿の上に残ったあと1口を眺めるそれから再び視線を外し、食器を流しへと運ぶ。
帰りには、先程買ったゼリーと……ヨーグルトを持ってくる。
テーブルに置かれた2つのパッケージで我に返ったそれは、残り一口をあっさりと胃袋に収めた。
「所でお前、これでいいのか?」
「え? ……こんなに食べちゃっていいのかなぁ」
「いやそれは別にいいけど。うち、砂糖ねぇぞ?」
「?」
何を言っているかわからない、というような雰囲気のそれから視線を外し、500g入りのヨーグルトの蓋を開けた。そして……期待に満ちた眼差しを浮かべるそれの方へと押し出す。
30秒後。
まぁ。予想通りと言うかなんというか。少し泣きそうな顔をしているそれを見て、俺は薄ら笑いを浮かべていた。
「いや、それでいいのかと思って」
「すっぱいふりんもあるのかぁ……」
時と場合によってはとんでもない事態を引き起こしそうな言葉を述べるそれは、既には半べそだった。
軽く吹き出しながらゼリーを冷蔵庫に戻し、先程余計に買ってきたプリンをテーブルに置く。
「こっちな。プリン」
「え?」
「それ、ヨーグルト」
「ふりん?」
「違う」
「……。」
「違う」
「お前、ひどいやつだな」
「ちょっと面白かった。いや、こっちやるから睨むなよ……」
少し眉間に皺を寄せながらも、それはプリンをあっという間に平らげる。
その様を軽く眺めながら、味気ないヨーグルトを若干食傷気味になりつつも腹の中に収め終えた。
そしてその俺の目の前で、空いた器をただ眺めているそれ。
「なんだよ。まだ怒ってんのか?」
「……。」
「おい?」
「え?」
「まだ怒ってんのか?」
「怒る? 何が? 別に怒ってないぞ?」
「何ぼんやりしてんだよ」
「……何でもない」
「あぁ。雨振り出したな」
「そうだな。あれ? あめが降るのも先にわかるのか?」
「大体な。時々外れるけど。先に買い物行ってよかった」
「すっごいなぁ。あっちでも先に分かれば便利……だなぁ」
気の籠らない言葉を述べながら、ぼんやりと外を眺めるそれ。
「何だお前さっきから。眠いのか?」
「いやべつに眠くないって。ひまだから洗濯しよっかなぁ」
「雨降ってんだぞ?」
「あれくらいなら家の中で干せるんだ。よいしょっと」
情けない声を上げつつ立ち上がったそれ。
すっかり生活感の滲み出たその言葉に軽く首を傾げつつ、後姿を眺めながら煙草に火をつけた。
まぁ、こいつにも色々あるだろう。
突然わけの分からない所での生活が始まってから既に数か月が経っている。所謂ホームシックじみた物は、こいつにもあるのだろうか。
確かに気の毒ではあるが……それも長くない先に解消される予定だ。
「せんざいが無いぞー」
再びの生活感に満ちた言葉で我に返る。
「わかった、明日帰りに買ってくる」
「この前につかってた、青いやつが好きだなー」
「あれちょっと高いんだよなぁ」
「そっかー。まいっか」
先程腹の中に収めたプリンとヨーグルト。その費用対効果を考えれば、洗剤など安いものではあるのだが。
あまり意味もない思考を煙と一緒に吐き出し、煙草を灰皿に押し付けた。




