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承(陽)22

仕事帰りの幹線道路沿いを歩く。

昨晩渡された食材のメモはやたらと品目が多く、ぶら下げた荷物は若干重い。


「あ。お義兄さん?」

何処かで聞いたような声に振り向く。

そこに立っているのは清潔そうなスーツを身に着けた、妹の旦那だった。


「あれ。随分早いな」

「今日はノー残業デーなんです」

「残業代、稼げないな」

「あはは。一応役職付きなので、もう残業つかないんですよ」


「そういやそんな事、前に言ってたな」

「そうだ。今晩時間ありませんか?」

「時間? 力仕事なら手伝うけど」

「いやいや、ちょっと相談したい事があるんです。少し付き合って貰えませんか?」

別に時間ならある。満月は数日後であり、明日は休みだ。

強いて言えば明日の食事の準備をしておきたい程度だが、手始めにそんな生活感の溢れる用件が出て来た事について顔を軽く歪めていた。






「いるかー?」

「だからー。ただいまだろー?」

相変わらず妹は足繫くここへと通っているようで、それの語彙は恐ろしい速さで増えていく。

馬鹿などと思っていたそれは、実際には頭が良い部類なのかもしれない。

ついでに言うと料理のレパートリーも増えつつあった。

火を使うなという言いつけは守っており、俺が帰ってくるなりキッチンに向かおうとするそれ。

既にそれにも見慣れつつあったが、今日はそれを呼び止める。


「今晩、少し出掛ける。俺の分は作らなくていい」

「ええぇ!? もう準備しちゃったよ」

「……そりゃそうだよな」

「食べないのか?」

「あー。ちょっと待て」

明らかに不満疎な表情を浮かべるそれから視線を外し、携帯電話を開いて義弟にメールを送る。

そこに即座に返る、わかりました、という返信を確認して口を開いた。


「いや、夕飯食べてから行く事にした。そのまま頼む」

「おーし、まかせろー」

少し楽しそうな声を残し、くるりと振り返るそれの背中を見送りながら普段着へと着替える。

流石に再び作業服で出掛ける気にはなれない。




「うまい」

「だろー?」

「むかつく」

「いひひ」

絶妙な塩加減の肉野菜炒めと白いご飯を口に放り込む。見慣れた野菜炒めではあるのだが、今日はトマトが入っている。

俺の作ったやたらと芯のない炒め物とは、悔しいが味付けも含めて比べ物にならない。

何れにせよ。うまいと言わざるを得ない食事を終え、食器を片付け始めたそれを見ながら立ち上がった。


「出かける」

「どこ行くんだ?」

「妹の旦那と話してくる」

「マイの連れかー」


「そう。一人で出歩くなよ?」

「ぱそこんは使ってもいいよな?」

「好きにしろ。あぁ、遅くなったら音は小さくしろよな」

「だいじょーぶ。わかってるって」

言葉もそうだが、それは恐ろしい速さでこちらの生活に順応していた。

あちらの世界にパソコンを持ち込んだとして、ここまで順応できる奴はそういないだろう。

とは言え。


「火は使うなよ?」

「はいはい」

残りものにラップをかけ、冷蔵庫に片付けるそれの姿。

念の為の言葉に返る、言われなくても分かってるといった風な返事。

玄関のドアに磁石で張り付けられた買い物のメモ。


何と言うか……既にこの状況にも違和感を感じなくなってきている。

軽くため息を吐きながら、久しぶりに普段着で家を出た。






「わざわざすみません」

「妹にも世話になってるし。で、相談ってなんだ?」

「えぇと。ここじゃ何ですから――」

駅の近くの居酒屋へと移動し、少し騒々しいテーブルに座り込んだ。

取り敢えずのビールを注文し、煙草に火をつける。


「で、なんだっけ?」

「あ。生、来ましたね」

「あぁ……」

再び話の腰を折られながら、ビールのジョッキを軽くぶつけて一口飲み込む。


目の前で温和な笑みを浮かべる利発そうな男。

以前聞いたところによると、こいつは大した学歴と年収を持って名の知れた企業勤め、などという俺とは比較にならない人間だ。

話を聞いた折には軽いコンプレックスを感じた事もあるが……目の前の男の柔らかい雰囲気はそんな事を微塵も感じさせない。

仕事中は別人のように引き締まった顔でもするのだろうか。

まぁ、そんな事はどうでもいい。



「実はですね――」

ジョッキをテーブルに置いた所で、やっと本来の目的を切り出すのを聞きながら煙草をもみ消す。


「一体なんだよ改まって相談って」

「本当は僕の話じゃないんですけどね」

「……なんだそりゃ」

「いや。実は奥さんから色々頼まれて」


「……。」

「あぁ怒らないでください。でも、奥さんにとっても大事な事なので」

「なんだよ。取り敢えず聞くけど」

「良かった。すみません、嘘ついちゃって」

「もういいって。取り敢えずここの払いは奢れよな」

そんな事を言いながら、ビールのお代わりを注文した。




「うちの奥さん、お義兄さんの事を心配してまして」

「えぇと。回りくどいのは無しにしてくれよ。安心してくれ、次消える時は迷惑かけないようにする」

「……いや、順を追って話しましょうか」

「好きにしてくれ。で?」


「すみません。奥さん、昔お義兄さんがこう……つまはじきというかなんというか――」

「あぁ、小さいうちは冗談抜きで誰とも口きかない日が殆どだった」

「自責の念に駆られているというか……。すごく気にしていて」

「なんだそりゃ。ありゃ親のせいだ。あいつには責任ないし、そもそも俺がもう気にしてない」


「ばっさりですね」

「ばっさりだ。本当に気にしてないから、上手い事フォローしてやってくれ」

「わかりました。そんな気はしてたんですけどね」

「正しい観察だ。えぇと……そんだけか?」


「いやいや。さっき次に消える時、って言いましたよね?」

「言った。そのうちにあっちへ帰って消え失せる。今度は面倒を掛けないようにちゃんと始末してから行く」

「えぇと、大丈夫って。一体どこに行くんです?」

「なんて言ったらいいのか。上手くすると夏前には帰ると思う」

「あまり聞くのもどうかとは思うんですが……一体どういう話ですか?」

「説明しづらいなぁ……」

まぁ当然だ。説明などできる訳もない。


「それは、連絡も着かない場所なんですか?」

「取り敢えず、携帯の電波は届かない」

「手紙は?」

「無理」


「……えぇと。なんでまたそんな所に。気を悪くしないでくださいね。こっちにもあなたを必要としている人がいると思いますよ?」

「え。……誰?」

「奥さんが言う所の、りおちゃんですよ」

「一緒に帰るから大丈夫。あいつも戻らないといけない」


「二人でここに居ればいいじゃないですか」

「それはちょっと……いや、ちょっとじゃなくて勘弁かもしれない」

「奥さんが、多分お義兄さんとあの子は気が合うって言ってましたよ?」

「あんな脳筋と気なんか合うかよ」

「脳筋? 話を聞く限り柔らかそうに感じますけど。……物理的にも」

その言葉に、出会った直後に見せられたそれの体を思い出してしまい……思わず顔を歪めていた。


「……取り敢えずそこから離れようか」

「あー。わかりました」

「まず動機な?」

「はい。」


「青臭い説明だけど。あっちには俺を必要としてくれる人間がいる」

「はい。」

「だから帰る。そんだけだ」

「たんじゅ……シンプルですね」

「英語にしたって一緒だろ」

「……確かに」

「否定しろよ」

少し呆れた顔でジョッキを口に運び、苦みを喉の奥へと流し込む。


「実は。現地に恋人がいるって噂を聞きまして」

「言った。……聞いてたんならあれの話題、振るなよ」

「すみません、心変わりしないかなって」

「しねぇって」


「じゃあ、しょうがないなって」

「は?」

「しょうがないですよ。僕も奥さんと有希奈がいる所に帰りますもん」

「……いや。まぁ、話が早くて助かる」


「でも奥さんが気にしてたのは事実なので、やっぱり確認はしないとな、っていう話でした」

「なんだよあいつ。直接聞けばいいじゃねぇか」

「あまり根掘り葉掘りは聞きづらいみたいです」

聞いていたような気もするが。


「まぁいいけど。取り敢えず俺の事は気にする必要ない。心配すんなって」

「今の話の流れで心配するなってのも難しいですよ。まぁ、仕方ないですねぇ」

取り敢えずの目的は済んだのか、その後は子供についてや彼らが言う所のりおちゃんとやらについての雑談をだらだらと続け、日が変わる前には店を出た。


「いやー、今日はありがとうございました」

「こっちこそ。本当にご馳走になっちゃっていいのか?」

「僕が誘ったんですから気にしないで……あぁ、浮いたお金で美味しい物でも買って行ってあげて下さい」

「だからそういうんじゃねぇって」


「そういうんじゃなくても、最近じゃあ毎日夕飯が用意されてるって言ってたじゃないですか」

「……まぁそうだけど」

「それでありがとう、でいいんじゃないですか?」

「さりげなく篭絡しようとすんな」

「ばれましたか」

「お前なぁ」

少し呆れた顔で手を振って彼とは別れ、釈然としない目的の食事会を終えた俺は家へと歩き出す。


妹は、かつて自分を蔑ろにしていた環境に自責の念を感じているらしい。

もしそこに何か思う所があるのなら……出来れば邪魔をしないで欲しい。

さんざ助けて貰っている感もあり、まさかそんな言葉を吐く気にはなれないが。

何れにせよ。アルコールの回った脳みそはこれ以上まともな事を考えるのを拒否し、らしくもない寄り道を済ませふらふらと家への道を歩く。





「いる……ただいま」

「……。」

視線の先、煎餅のような布団で口を開けて眠っているそれが目に入る。


「口の中乾くぞ」

ぼそぼそと独り言を述べながら、これでもかと生クリームがのせられているプリンを冷蔵庫にしまう。

アルコールが抜けつつある頭は、何故こんな物を買ってきた、などと問いかけるが……まさか捨てる気にもなれない。

軽いため息を吐き出しながら、寝巻き代わりのジャージに着替えて布団に座り込んだ。


照明のリモコンを探す視界の端。

独り言が聞こえていたのかは知らないが、口を閉じたらしいそれが静かに寝息を立てている。

諸々を暗示するような状況に恐ろしく深いため息を吐き出しつつ……布団に潜り込んだ。


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