承(陽)21
仕事を終え、家へと向かっていた。
昨日、多めに食材を買っていたので今日は買い物に寄らなくていい。
この所の忙しさからすると少しでも休みたい所でもあり、こんな小さな事でも気楽に思える自分が情けないようにも感じるが。
「いるかー」
「……いるけどさ」
薄汚れた安全靴を脱ぎ捨て、すっかりワックスの剝げたフローリングを歩く。
「なんだよ」
「マイが、帰った時の挨拶は、ただいま、だって言ってた」
「間違っちゃいないけど、時と場合と相手によるだろ。あと気分」
「いるかー、っていいながら入ってくるって言ったら、すごい変な顔してたぞ」
「ほっとけって伝えといてくれ」
「じぶんで言えよー」
間の抜けたやり取りをしながらいつも通りキッチンへと向かう。
そこで目に入るフライパン。正確に言うと視線はその中身、八宝菜に釘付けになっていた。
……なんだこれは。
「なんだこれ」
思っていた言葉が普通に口から出てしまった。
ついでにシジミの味噌汁までついている。
振り向くと炊飯器には保温を知らせる赤ランプがついていた。
小さな液晶画面に現在時刻が表示されているのは、保温に切り替わってまだ1時間以内だという証拠だ。
「あー。えぇと。昼、マイにやさいいため見せたらナニコレって言って」
「なにこれじゃねぇよ。野菜炒めだろ。昨日のは豚の切り落とし入りだ」
「で、たりないものをすーぱーで買って、それ作っていった」
「ちゃんと耳隠したか?」
「だいじょーぶ」
「……まぁいいか。有り難くいただく」
何か遠慮しているのか、よく分からない表情でこちらを見上げるそれから視線を外してガスコンロの火をつける。
「うまそうだろ?」
「明日からまた野菜炒めだけどな」
「……。」
「嫌なら食うな」
「たのしみだなー」
「感情こもって無さすぎだろ……」
何れにせよ、食べる物があるのならそれはそれで有り難い。
今日は買い物をしてこなかったこともあり、いつもより1時間以上早く夕食にありつける事となった。
「うまいー」
「……。」
「嫌いなのか?」
「いや。そんな事ないけど」
若干の悔しさはあるが、まぁ確かにうまい。
そう手間のかかった料理ではないのも分かっているのだが……何がこうまで違うのだろうか。
「とろみがあって、味付けが違うだけだろ」
「ほうひたんら?」
「口の中に物入れて喋るなよ。なんで俺が作ると残念な味になるのかって」
口の中身を飲み込んだそれが、少し得意顔で解説を始める。
「カタクリをぐるぐるして、ぐつぐつしてるところにじゃー、だ」
「何だかわからねぇよ。……いや、大体わかるけど」
「あと、少しショーユいれるって言ってたぞ」
「あぁそうかい」
左手に置いてあったみそ汁を口の中に流し込む。
「うまいかー?」
「あぁうまいな」
「そっか。にひひ」
「あんだよ気持ち悪い。少しは真面目に料理とかするんだったなぁ」
再び口の中に八宝菜を放り込んだ。最後の一口に残しておいた、小粒の海老の味が口の中に広がる。
「だいじょーぶだ」
「何が」
「わたしが作ったんだ」
「何を」
「これ」
それが指さすのは、空になった八宝菜の皿。
落とされた視線が上がり、少し誇らしげな顔のそれに突き刺さる。
「ぶっ、げほっげほっ」
「うわ!」
「ごほっ、くそ、エビが」
「え、えびがー!?」
「違う! いや違わないけど」
「えぇっ?」
何を言っているのかわからないと言った表情のそれと、同じく何をしているといった表情を浮かべているのであろう俺。
「で。何を作ったって?」
「これだって。はっぷさいって言ってた」
「八宝菜。火、使うなって言っただろ?」
問題はそこではないが。
「マイがいる時ならいいだろ?」
「……あぁ。いいけどさ」
「なんだよ。明日はやさいいためを作ってやるよ」
「なんだか恐ろしくむかつくな」
「なんでだよー」
不満げなそれから視線を外し、食器を流しへと運ぶ。
追いかけるように自分の皿を持ってきたそれと、キッチンの狭い入り口ですれ違う。
「にひひ」
「変な笑い方すんじゃねぇよ。俺だって本気出せばもっとうまい物作るっつの」
「そっかー。じゃあマイが来なかった日に作ってくれ」
「……今度な」
「にひひひ……」
「あぁ、なんかすげぇむかつく」
「なんかさー」
「なんだよ」
「作ったものをおいしいって言われると、うれしーな」
「俺が嬉しくなかったのは、気持ちが嘘だったからだな」
「そんな事ないって。にひひ」
「くっそ」
皿を洗いだしたそれから視線を外し、煙草に火をつける。
それが歌い出した妙な鼻歌を聞き流しつつ、ノートPCに手を伸ばした。
少しの悔しさを胸に、ブラウザに表示されるのは簡単で美味しい筈の料理のレシピたち。
それらを眺めながら煙草の灰を落とした所で、ふと我に返った。
……違うだろ。
俺が気に掛けていたのはこういう事ではない。
皿洗いを終えたそれが戻り、ノートPCの画面を眺めたままで煙草をもみ消す俺に、変な顔をしている。
「どーした?」
「お前、妹に何か話したか?」
「何かって?」
「あっちの話とか」
「仲間がまだ戦ってるからじきに私は帰るって言った」
「……。」
「お前はだいじょーぶだって言っといたぞ」
「そういう問題じゃないけどな」
「ん?」
何となく、妹の思惑は読めた。
溜息を吐きながら、次の煙草に火をつける。
「まぁいいや。パソコン使うか?」
「えぇと。こうえん行きたい」
「……。」
恐らくは心底面倒くさそうな顔をしたであろう俺に、それが不満げな表情を浮かべた。
「ご飯もうまかっただろー?」
「それが尚更不満なんだっての」
「くやしーのか?」
「無くはないけど。……まぁいいや。少しだけな」
「え、いいの?」
10分後。
何もない空間に、鮮やかな後ろ回し蹴りを放つそれを眺めながら、街灯の明かりに煙草の煙を重ねていた。
軽く荒い息を吐きながら生き生きと跳躍するそれから視線を外して、携帯電話のメールの画面を開く。
「余計な事すんな」
暫くの後、着信を告げる電子音が鳴り響く。
当然、電話の主は妹だった。
「おいしかったでしょ?」
「確かにうまかったけどな」
「でしょ? りおちゃんセンスいいよ」
「そういう問題かよ」
「もう落ち着いちゃいなよ」
「だからそういうんじゃねぇって言ってんだろ」
「大体、あの子どこに帰るの?」
「知るか」
「知るかって」
「……無駄だぞ?」
「さぁどうだろうねぇ」
「どういう意味だよ」
「まだ時間がかかるって言ってたし」
「余計な事ばっかり言いやがってあいつ」
「まぁ取り敢えず、ご飯くらいは任せちゃいなよ」
「……すげぇむかつく」
「じゃーねー」
「おい!」
電話の向こうで子供の泣く声が聞こえ、直後に通話は切れた。
腑に落ちないが……今から再び電話をかけるのは普通に迷惑だろう。
煙草の吸い過ぎであろう頭痛に軽く顔を歪めながら、電話をポケットに戻した。
相変わらず、それの拳は空気を裂いている。
所謂いい線いっている、という程度には達しているのであろうその動きを見ながら、再び大きくため息を吐き出した。




