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承(陽)16

昔あった戦闘についての話をする。

そんな事をすると言った折からもう三日が経っていた。


「おい。聞いてるか?」

「……え? あぁ聞いてるよ。ひょーろーぜめだろ?」

「俺、割と真面目に話してるんだけど」

「ちゃんと聞いてるってば」

「……食料を絶てば戦えないだろ。お前らの場合、それを絶たれないようにするのが生命線だと思う」

「わかった。畑を守る」

「端的に言えばそういう事だけどな」

イメージ通り座学は苦手らしく、どうも集中力を欠いた一方通行の話となりつつあった。

乗り気ではない者にひたすら説明するのは、つらいを通り越して少し虚しささえ覚える。


ため息をつきながら煙草に火をつけた。俺からの抗議の視線に、流石に悪いとでも思ったのだろうそれが軽く視線を逸らす。

煙草の灰を一度落とし、部屋の隅で折りたたまれていたノートPCを開いた。


「やめだ。個人技術の方にしよう」

「こじん?」

「まぁ待ってろって」

なんて事はない。

大手動画サイトに大量にアップロードされた映像。所謂、格闘技というやつだった。

その中から、恐らくこいつが戦う状況に一番近いであろう極力ルールの少ない……正確には少なく見えるジャンルのものを探す。

やがて再生のはじまった画面をそれに向け、再び煙草の灰を落とす。


画面の中。金網の中で男2人が殴り合い、やがてそれは色の黒い裸足の男の勝利に終わる。

上から覗き込んでいるうちに根元まで灰になった煙草を灰皿に放り込み、先程から無言のそれに視線を落とす。


「こういうのならどうだ?」

「……他には?」

予想以上の食いつきに、再び似たようなシチュエーションの物を再生し始めた。








それが食い入るようにノートPCの画面を見詰めている。

時折上げる独り言に、俺も画面をのぞき込んだ。


「うわ。あぁ惜しいなもう少し……」

「これな。どっちが勝つと思う?」

「……こっちの白いほう」

「再生時間が短いからもう少しで終わるだろ」

相変わらず画面に映し出された映像は、所謂総合格闘技などというものの試合の映像だ。

ここ数日、それは毎晩食い入るようにPCの画面をのぞき込んでいた。早く帰ってこいなどと俺に言ってみせる程度には気に入ったらしい。

画面の中の大柄な白人。少し腹が出ている風だがその打撃は的確で、容赦なく相手を粉砕してのKOだった。

上から覗き込んでいた俺に一瞥したそれは立ち上がり、一歩下がった俺の方へ向き直る。


「ちょっといい?」

「殴らないなら」

「当てない。右手出して」

「わかったよ……」

それは先程のKOシーンを確認するように、俺がゆっくり突き出した右手を回り込む。

身長差のせいか突き上げるような拳が俺の顎にそっと触れた。


「こんな感じか」

「そんな感じだろ。もう少し手が長ければ有利だったな」

「引っ張れば伸びるかな」

「伸びる訳ないだろ」

薄く笑って再びPCの前に座り込むそれを見ながらマウスをかちかち言わせ、再び別の試合を再生する。

改めて格闘技の試合の映像など見る事は無かったのだが、それにとっては大当たりだったらしい。

再びじっと画面を見詰めるそれから視線を外し夕食の準備に取り掛かった。





「あのさ」

「何だよ」

「こっちの……もごもご」

「ちゃんと飲み込んでから喋れって言っただろ」

「ん……えぇと。こっちの世界の奴ら、みんなあんな事やってるのか?」

「やらねぇ。習ったりする事はあるけど、あれで稼げるのは本当に一握りだ」

「これだけ平和なのにわざわざ戦うんだな」

「……確かに」

まぁ尤もな感想ではある。

そんな事より、先日と比べても明らかに生気を取り戻した風なそれ。余計なおしゃべりも増えたが、黙って部屋の隅で座っていられるよりは余程ましだった。


「お前は?」

「やらない。昔若気の至りで習った事もあるけどすぐやめた」

「だらしない奴だなぁ」

「うるせぇ」

余程……ましだと思う。

もう不要になりつつあった型落ちのPCも暇潰しを兼ねた勉強道具となり、お役御免を免れた。




皿を洗うそれのよくわからない鼻歌を聞きながら、煙草に火をつける。

まぁ、機嫌がいいならそれでいい。


俺自身はそう興味もないが、そういった映像というのはやはり高揚させる部分もあるらしい。くわえた煙草が根元まで灰になった所で、久しぶりに部屋の隅に転がるダンベルを持ち上げる。

野暮ったい青に塗られた6枚のプレートは、その扱いに相応の腕力を必要とする。軽く息を止めながら伸ばして腕を巻き取るように曲げ、それを繰り返す。


「そんな軽いんじゃ意味ないんじゃないか?」

皿を洗い終えたらしいそれが、顔を赤くしている俺を見て薄く笑う。確かにこいつの腕力は不調の時でも俺を上回るが。


「お前らと一緒にするな。月が全部消えた時にやってみろよ」

「いやだ。……そういえば、次の満月っていつ頃?」

「あと2週間くらい」

「え!? すぐだって言ったじゃないか」

「あれは言葉のあやだ。もうやめたかった。次はちゃんとやるって」

「……わかった」

少し神妙になったそれは再びPCの鎮座するちゃぶ台に座り込み、俺が操作するのを待つ事にしたらしい。


あの後、こいつがひどく静かになった原因の夜の事は口にはしていなかった。

こいつの印象に残っている場面がこちらに流れ込んでくる。それがあまり気分のいい事ではないのも理解はしている。誰にだって隠しておきたい事くらいある。とは言えそれを避けて通る事も出来そうにない。

そんな憂鬱な考えを振り払うように、無駄に重たい鉄の塊を腕が再び巻き上げた。





軽く上がった息を整えながらPCを操作する。


「今度は立ち技だな。ムエタイとかどうだ?」

「何でもいい。見て覚える」

「あぁそうだ。そういえば」

「……?」

かつて向こうの世界で仲間だった男と話し込んだ折を思い出し、少し懐かしい気持ちになりながら受け売りの言葉を口にした。


「”実際やり合う場合、手が9割だ。足は時々、あと本当にまれに組技。転ぶのも怖いし、組んでる最中に背中から刺されるのも困る”……前にそんな事を言ってた奴がいた」

「へぇ……。確かに転ぶのはおっかないな。気を付ける」

素直に同意するそれから視線を外し、再び定位置へと戻り再び煙草に火をつけた。






以前と比べれば相変わらず口数の少なめなそれの手を軽く握る。


「じゃあ、いいか?」

「ああ。やってくれ」

その相槌に集中する意識。その手から細く流れ込む魔力の感覚。

ここ数日、一日おきに少しずつではあるが魔力を引き出している。こんな量でもないよりはましだし、連日では恐らくそれが先に参ってしまう。

一応、その辺りを考慮した毎日の流れだった。

大した量でもない魔力を感じながら、やはりいつも通り少しぐったりとしているそれに視線を落とした。


「もう一日開けるか?」

「いや、だいじょうぶ」

「……明後日また具合を見てそこで判断だな」

「わかったよ。なぁ。どこかで練習できないか?」

「練習?」

「かくとうぎっていうんだろ? 見てるけど、一応体を動かさないと」

「あぁ……」

練習と言われても、言葉も通じないやつをそういったジムに放り込む訳にもいかない。いや言葉だけなら兎も角、生きていた世界も生物的にも違い過ぎる。そもそもの身体能力が俺達とは違うのだ。


「ジャージ買ってやるから一人でやれ」

「じゃーじ? よくわからないけどそれ買うと練習できるのか?」

「そこの公園で体動かすくらいなら」

「うーん」

「不満か?」

「いや。お前、公園行くって言うと嫌な顔するだろ」

「しないって。その位なら我慢する」

「我慢かー」

言いながら力なく笑うそれに、こちらも苦笑いして見せる。


本質的な問題は何も解決していないが雰囲気はそう悪くない。

多分、このくらいの距離感でいるべきだろう。お互いの底まで理解し合う必要などない。


「じゃあ、明日早めに上がれれば買いに行く」

「わかった」

「寝る」

「そーだな」

無言で照明のリモコンを押し、暗くなる部屋。




数刻後。

「なぁ。起きてるか?」

「……。」

「あのさ。ありがとう」

「……。」

相槌を打つ気にもならない囁きほどの言葉。

静かに消えていくそれを追うように、俺の意識も泡のように消えていった。


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