承(陽)15
あれから一週間程が過ぎていた。
あの晩から塞ぎ込んだそれは以前のように意味もなく笑ったりはしなくなり、好意的な言い方をすれば……静かに毎日を過ごしている。
追い回されるような仕事を終え少し遅く戻り、無言で食事を口の運ぶそれを眺める毎日。そんな時間をやり過ごしていた。
「なぁ」
呼びかけに、無言でこちらに視線を向けるそれ。
呼んでおいて何だが、別に用はない。少し気まずそうな顔をしていたのであろう俺から再び視線を逸らしたそれは、再び窓の外に視線を落とす。
この調子ではこちらが参ってしまう。
もっと言えば。時折夜中に静かな泣き声を聞くのは、無言の抗議のようで非常に不愉快だった。
この一週間、仕事帰りに少し寄り道をしたり、パソコンに向かい少し夜更かしをしたりしていた。なんとなしに続けた調べものは、それが属する魔族という存在にとって幾分かは足しになるだろうか。
余計な事を言ってしまって悪かったという所から来る行動だったが、あまり成果も得られてはいない事も含めて話すべき瞬間の見当がつかない。
食事を終え、再び定位置に戻るそれに話しかける。
「ちょっと出かけてくる」
「わかった」
「来るか?」
「いや。月も小さいし」
「……そうか」
別にその答えを残念だと思ったりはしない。しかしこの空気がこの先も続くことに思わずため息を吐きながら家を出た。
久々に一人で跨る、それが言う所のてつうま。冷えたタイヤが軽く空転するのを無視するよう、尚も翻る右腕。その道のりはやがて高速道路に至る。……道のりという表現は間違っているだろう。何しろ目的地は無い。
今まで目的もなく走り回る事などなかった。結果は兎も角、記憶の限りどこに行くという明確な目的を持って移動していた筈だったのだが。目的どころか、思考さえ定かではない。
目の前に続くアスファルトをぼんやりと眺めながら、やっと思考らしい何かが回り始めた。
死ぬ為に生きると宣言しているそれ。その事実はひどく気分の良くない話ではある。
しかし俺は。
知り得るどんな集団にも没入できずに居場所をいつも探していた。そしてここではない世界で出会えた彼女の存在。俺の生きている動機そのものであり、その場所こそが自分の帰り着く場所だと心から信じている場所。
もし彼女の存在がいつか潰えると知っていたとしても。辿り着けるのがその今際の時だとしても。……俺はそこへ帰る。自分を受け入れてくれる場所など、自分が収まりたいと思える場所など、他に知らない。
そこで行き当たったのは苦笑を伴った結論。不愉快の理由は明らかだった。
今も家で憂鬱そうな顔を浮かべているのであろうそれが帰る目的に、本音の所では納得している。
やがて、いつか話題に上った緑色に輝く観覧車を一瞬で通り過ぎた所で右手を大きく緩める。
足しになってもならなくても、出来る限りの事はしてやろう。
……向こうの世界のリオナはそれを諫めるだろうか。どうやって謝るべきか、などと先の先であろう心配をしながら高速道路から下り、再び家への道を走り出した。
結局、数時間で戻った家の扉を開けた。
ここを出た折とそう変わらない家の中を眺めながら、煙草に火をつける。
それが半分ほど灰になった頃。窓際のそれに向かい、改めて口を開いた。
「なぁ。ちょっといいか?」
「……ああ」
少しかすれた声と感情の籠らない視線。それらを受け止めながら座り込んだ。
「お前らさ。劣勢なんだよな?」
その言葉に、間違いなく負であろう色がその視線に混じる。
「その話はもういいって。しつこいな」
「いいから聞けよ。一つ提案がある」
「……。」
「少し勉強しろ。教えられることは限られるけど」
「言葉は別に必要ないと思う」
「言葉じゃねぇよ。戦いだ」
「……?」
ノートPCを開き、いくつかのサイトの中から目を引きやすいものを開いて見せる。
そこには、幾つかの記号のようなものが描かれていた。
「陣形だ。大昔、この国の中での戦争が沢山あった頃、こういった陣形を組んで戦っていた。同じ時代の話じゃあ10倍の数の相手を屠った話もある」
「いったい何だ?」
「戻って戦うんだろ? 調べられる範囲の事でもいいから覚えろ。仲間にも色々教えてやれ」
「……。」
眉間に皺を寄せたそれの視線が、画面と俺の顔を幾度か往復する。
「お前ら、少なくとも俺が見ていた限りじゃ単純な奇襲くらいしかやらない風だった。そもそも、単体での戦力が人間に勝るんだから絶対に有利だ」
「……何考えてるんだ?」
「何って。犬死させない方法だろ。それ以外にあるか?」
「私達と戦うんだろ?」
「俺には戦う理由も無いしな。それに……もし俺と戦えば纏めて吹き飛ばされて終いだ。少しの策なんて意味が無い」
「……。」
「そこがお前の居場所なんだろ? そこで最後まで戦えばいい。それで、戦うだけ損だと思い知らせろ。……それに何より」
「……?」
「かつての英雄様が、もうやめとけって言ってやる。だから、折角なんだから生き残れ」
悲しそうに軽く笑みを浮かべるそれが、視線を横に逸らした。
「ありがとう。分かったよ。でも、もういいんだ」
「今あっちがどんな状況かは知らん。けどな、夜中にめそめそ泣いてるよりはよっぽど前向きだろうが」
「え?」
「毎度だけどな、気付くに決まってるだろ?」
「……。」
「大体お前、殺されるために生まれて来た訳じゃないだろ?」
……自分の言葉に小さな違和感を感じていた。首を傾げてその違和感の原因を懸命に考える俺の目の前。それが軽くため息をついて見せる。
「わかった。聞くよ。でもあまり気にしないでいいからさ」
「あまり当てにならないかもしれないけど、明日から昔の戦の様子なんかを解説する。あと、個人技術も」
「うん」
「少し帰りも遅くなる」
「……わかった」
相槌を返すその表情はどちらかと言えば憂鬱そうだが、先程までのひたすら悲壮感を垂れ流すそれではない。それを確認しながらも、俺は先程感じた違和感について未だ考え込んでいた。
しかし再びPCの画面に落とされた俺の視線はそんな違和感をゆっくりと頭の外へを追い出し、再びそれを思い出すのは……暫く先の事だった。




