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見当違いの行為を繰り返していたという事実に、思わず自虐的な笑みを浮かべていた。
「じゃあ俺は牛丼でいいや」
「あー、ぎゅーどんもいいなぁ」
「本当に調子良さそうなら両方食べろよ。牛丼とカレー両方ってやつもあるし」
「な、なんだって……?」
悩み込むような顔で隣に座ったそれ。恐らく、今までで一番深く悩んでいるのではないだろうか。
まぁ、それくらいの贅沢は構わないだろう。何しろこれがなければ、今後も毎週無駄に走り回っていた。
食事の事で悩んでいたらしいそれが、ふと思い出したように右手を差し出す。
「いいぞ。多分、どんどん吸い取って大丈夫だ」
「本気かよ。帰り寝てたらバイクから落ちるぞ?」
「だいじょーぶ。何だか底から力がずっと沸くような感じで、あっちに居る時よりも調子いいんだ」
「……わかった。少しずつで加減するから、不味そうだったら早めに言ってくれよ」
「うん。さ、早く早く」
一度辺りを見渡してから、差し出された右手に手を伸ばす。
ただでさえ低い気温に、いつもより更に冷たく感じる手。そこへ意識を集中した。
こいつが感じたものは間違ってはいなかったらしい。
いつもは細く留めていた魔力の流れ。それを細く抑えるのも難しい程に押し出されてくる魔力。
恐らくは数分。一度目を開き、握った手に込めた集中を解いた。
「どうだ?」
「だいじょーぶ。ぜんぜん」
「まだ続けるか?」
「もっと勢いよくやっちゃってへーきだよ」
「わかった。……やってみよう」
「うん」
再び集中する。
今までで一番強く流れも早い魔力の流れは、乾いた砂が水を吸い込むようだった。
しかし。
魔力と共に流れ込んでくる断片的な映像。目の前で未だ薄ら笑いを受けべているであろうそれの深層に焼き付いた記憶が、深く暗い意識の中で時折映し出される。
目を閉じられるのならば、閉じるべきだっただろう。
直接頭の中に流し込まれるそれを、防ぐ術などなかったのかもしれないが。
俺が求め続けた世界の風景。それを眺める視界が伏せられ、地を見詰めている。
轟く轟音。強い恐怖とやるせなさ。
視界が、不意に上げられる。刹那、辺り一帯に降り注ぐ雷撃と轟音。
再び地面に戻されていた、涙で歪んだ視界。それは今度は空を見上げた。
その空にある物。竜。その口を大きく広げ吐き出される炎が、辺りを焼き払う。
一度ぼやける風景。
揺れる視界。傷ついた獅子のような髪の魔族。それを懸命に撫でる手。
その口が小さく動くと同時に流れ込んでくる、恐怖と戸惑い、絶望のような感情。
再びぼやける風景。
誰かと戦っている。怒りと戦いで高揚している意識。森の木々の間を冗談のように飛び回り、甲冑を着た男に飛び掛かる。蹴飛ばされた男が冗談のように跳ね飛ばされ、隣の男が切りかかってくるのを身をよじって躱す。その男の向こうに、恐らくそれの仲間であろう死体が転がっているのが見えた。
「あれ? なんだよどうした?」
「いや……」
「まだ大丈夫だぞ? 眠くもないし」
「ああいや。今日はもう遅いからやめておこう」
「なんでだよー。こんなに調子いいのに。今度ああいう月になるのはいつだ?」
「多分……いや、すぐだ。また来ればいい。ここじゃなくてもいいし」
「ええぇぇっ? あー、まぁいっか」
ひどい不満顔から笑顔に変わったそれ。そこから視線を外し、揺れる水面を眺める。
恐らく。
あの記憶の中で、雷撃を放っていたのは俺だろう。そして炎を撒き散らしていた竜を操っていたのは、俺の思い人に違いない。
こいつらが戦っていた相手。こいつらの王を屠った者達。恐怖の対象。
正直な所向こうでの戦いに、俺は達成感さえ覚えていた。
単純な話ではあるが……敵を打ち倒せば、皆笑顔で俺を迎えてくれる。名前も知らないそこいらのおっさんも。根無し草では仕方ないだろうと所属する事になった騎士団や、その国の王も。そして、リオナも。
竜の背から飛び降りて見せた、彼女の顔を思い出す。
少し照れくさそうな笑顔。仲間の犠牲に涙を流す顔。魔族たちと対峙し、怒りを露わにした折の顔。全てが愛しいと思っていたその顔は。……そして俺も。
こいつらにとっては、ただ、恐怖の対象だった。
そんな事は少し思案を巡らせば当たり前のことだが。ひどく不愉快というか。気持ちが悪かった。
そしてこいつは向こうで、その恐怖の中に戻る為に笑っている。
少なくとも。
自分はあちらの世界に求めるものがあり、その為に死んだような毎日も必死に生きてきた。
叶わない呪いのような希望を諦めた時、俺は静かに消えてしまっても構わないと思っていた。
しかし、こいつはまるで逆だ。
消えてなくなるために、生きている。
「お前、本当に馬鹿だな」
「は……へ?え?」
「あんなおっかない思いする為に帰るのか?」
「なんだよ急に。最初に言っただろ? 負けるかもしれないけど私は戦うって……あんな?」
「開けっぴろげ過ぎなんだよ。多分、お前の中で印象が深い出来事だと思う。その絵面が一緒に流れ込んできた」
「え……。」
顔をひきつらせるそれは、俺に向けていた視線を海の方へと慌てて外す。
「お前、本当に戻りたいのか? 泣いてただろ」
死を。恐怖を。滅亡を。自分の居場所さえ失われるのを。ただ受け入れ、諦めている姿。武士道などと表現される世界観にもそういった物はあるが、彼らの行動原理はそういったものではない。もっと後ろ向きな、ただ滅びる運命に従うようなその行動。
それはこいつが現れる直前の自分にも少し重なる部分もあり……それが不愉快だった。
「こんなところにいるお前に何がわかるんだよ」
「わからないから聞いてる。大体お前――」
「じゃあどうしろって言うんだよ! お前たちは、いくら逃げても追いかけてくる!」
突然の激昂に、手に持っていた煙草を取り落としそうになる。
「ちょっと待てって」
「里の仲間だって何人もやられた。あいつらは何度も来る。戦うに決まってるだろ」
「何だ? 戦いは終わったんじゃないのか?」
「終わり? 何が? 終わりは……私たちがみんな死んだ時だ」
「……。」
それは、自分の知らないあの後の出来事。
彼らを統べる者が打ち倒された。だからと言って、彼らの戦いが終わる訳ではないのは事実だった。
憎き相手の残党を刈り取って回る。それはあり得ない事ではない、というよりもあって当然かもしれない。
仲間の仇。家族の仇。それを追い散らさずいられる程、心の広い人間などそうはいない。
殆ど吸わずに灰になりつつある煙草。一度煙を吸い込み、空き缶にそれを放り込む。
端的に言えば。余計な事を喋ったのを後悔していた。
俺が今考えていたことは、現実なのだろう。
人間側の勝利で大筋が決まっている話だ。いくら抗っても、血を吐くような努力をしても。残念ながら彼らは敵わないだろう。自分の思考が、こちら側の平和ボケした考えに染まっている事を痛感した。
隣のそれが今度はひどく落ち着いた口調で話し始める。
「きっと私たちは、その為にあそこに居るんだって。そう思う」
「なんだよそれ……」
「いくら追い払っても駄目だった。いくら逃げても追ってきた。仕方ないと思う」
「だからってお前。だったら例えばこっちに居座る方法でも――」
「なぁ。もうやめよう。私、この話したくない」
「……。」
涙をにじませた顔を左右に振って見せる。
「もう、いいから」
「だってお前――」
「いいって言ってるだろ!」
「……わかった」
先程までのお祭りのような雰囲気はとっくに何処かへ流れ去っていた。
重々しい空気の中、隣のそれが立ち上がった。それに促されるように立ち上がり、駐輪場へと歩く。
無言で後ろに乗り込むそれの手が肩を掴む。それを感じながら、ゆっくりとアクセルを開けた。




