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時間は17時前。いつもより少し早い帰り道を、相変わらず荒い運転の車に揺られていた。


「あぁそうだ。高野、悪いんだけど少し手前で降ろして貰っていいか?」

「全然いいけど。どっか寄んの?」

「自炊始めたからスーパー寄って帰る」

流れる沈黙。


「諏訪さんさぁ。結婚すんの?」

「誰が?」

「諏訪さんが」

「誰と?」

「合コンなんて誘う必要なかったなー。女と暮らしてるんでしょ?社長が言ってたよ?」

「あのハゲ散らかしたジジイが……」

「ぎゃははは」

社長が余計な事を話したらしい。

電話のそばで女の声がしただけで、何故そこまでの話になるのだろうか。しかし。客観的に見て、この年で女が家に居て自炊なんぞ始めたとなればそういう話だろう。大した洞察力だ。……かなり間違っているが。


「しないって」

「女と暮らしてるって所は否定しないのかぁ」

こいつ……。


「本当にそういうんじゃないから。もうこの話、やめようぜ」

「なんで。こんな楽しい話」

「楽しいのはお前だけだろうが……」

「あー。いいよなぁ。」

「別に良くない。自炊なんて面倒臭い」

「そこかよ……」

ハンドルを握る高野が楽しそうに笑いながら車を寄せる。


「じゃあ、お疲れ」

「お疲れーっす。彼女によろしく」

「しつこい」

「ぎゃははは」

扉を閉めたワゴン車が今日は控えめに走り去るのを眺め、スーパーへの道を歩き出した。





見慣れた公園を見ながら左に曲がり、玄関のドアに鍵を突っ込む。

安っぽい音を立てて開く扉。


「……いるか?」

「いるよー」

少し苦しそうなその声。


「どうした?何かあったか?」

「おい、あんなに食べられないぞ……」

良く分からない言葉と、からになった炊飯器。


「全部食べたのかよ」

「朝だけじゃ食べきれなかったけど、頑張ったぞー」

「全部食わなくたっていいんだぞ?」

「えっ!?」

「むしろあれで1日行ければいいなとって思ってたんだよなぁ」

「た、足らないと思って……」

少し誇らしげだった声は明らかに動揺している。

ため息をつきながら入れっぱなしだった保温を切り、まだ熱い炊飯釜を流しに置く。


「夕飯、食べられるか?」

「……野菜炒め以外なら」

「明日も米だけ食ってろ」

「冗談だってばー」




再び炊飯器のスイッチを入れる。要望通りのしなしなな野菜炒めを作り、未だ苦しそうに寝転がるそれを見ながらテーブルに並べた。


「うー、苦しい」

「後にしろよ。あっためてやるから」

「だいじょーぶ。野菜炒めが食べたかったんだ」

「泣かすぞお前」

「こめ、もう少し減らしてもらってもいいか?」

「しょうがねぇなぁ……」

文句を言いながらもフォークを口に運び続けるそれ。こいつの胃袋だけがあちら側に繋がっているのではないだろうか。

時折首を傾げたりしているそれが、食べながら喋り出す。


「あのさー」

「なんだよ。口の中、飲み込んでから喋れ」

「ん。……暇でさー」

「諦めろ。せめて話せるようになってからにしてくれ」

「……。」

「なんだよ」

「じゃあいいや」

「いいのかよ」


「なぁ、窓から見えるそこ。あれなんだ?」

「お前が現れた公園だろ。遊びたいのか?」

「子供が遊んでてさー」

「ああ。住宅街だからな。子供は遊ぶだろ」

「あのぷらぷらするやつ、なんだ?」

「ブランコか?……乗りたいのか?」

「……いいだろ?」

「マジかよ」

「なぁ。まじってなんだ?」

「飯食ったら行くか。寒いからちょっとだけな」

「おー。やっぱりお前はいいやつだな」

「やっぱりお前は……」

「なんだよ。きになるじゃんか」

「……。」




きぃきぃとブランコが軋む音。

少し満足げに揺られているそれから視線を外し、煙草に火をつける。


「昔、森でさー」

「ああ」

「縄でぶら下がって遊んだ、ような気がする」

「気がするって。また適当だなおい」

「こんなに高くは振れなかったなー」

「そうかよかったなぁ」

適当な言葉と共に煙を吐き出し、近づいたり遠くなったりするそれに視線を戻した。

笑顔で揺られるそれはじきに180°で前後する勢いだ。


「お前もやれよー」

「嫌だ。疲れてるんだぞこれでも」

「あぁそっか。ごめんなー」

「そもそも。小さすぎて尻が入らないと思う。あと、うるさいからそろそろやめよう。迷惑だ」

「えー?」

「ガキかお前は……」

漕ぐのをやめ、惰性で前後しているそれが時折きょろきょろと辺りを見渡している。俺に見えないものでも見ているのだろうか。


「なんかさ」

「なんだよ今度は」

「少しぞわぞわするんだよなぁ」

「……何言ってんだか全然わからん」

「えーと。なんて言うんだろ」

「腹が痛いんじゃないのか」

「違うって。……まぁいいか」

「……帰るぞ」

「はいはい」

まだ揺れるブランコから鮮やかに飛び降り、少し自慢気なそれは、徐々に調子を取り戻しているように見える。まぁ、いい傾向だろう。その程度で先行きが明るい訳でもないが。


「いでっ!!」

前言撤回。戻ってきたブランコに尻を強打され、仰け反っている。思い切り顔を歪めるそれに、もう一度帰るぞ、と告げ、家へと歩き出した。






ファンヒーターの前で尻をさすっているそれと目が合う。

「ちょっといいか?」

「痛いー」

「そんな程度で痛がってて、よく戦えるなお前」

「ああいう予想外のは痛いんだってば」

「ああそうかい。明日の飯の話、してもいいか?」

その言葉に、その場で即座に立ち上がる。

……本当は痛くないのではなかろうか。


「これ、電子レンジな」

「でんしれんぢ?」

「レンジでいいや。これの中に――」




結局、レンジのあたためボタンについて3回説明し、ついでに炊飯器の保温について説明する。寝る準備を済ませた頃には日が変わろうとしていた。


「じゃ、寝る」

「おう。好きにしろ」

「電気消すからな」

「あーそっか」

何をするつもりだったのかは知らないが、布団をかぶっている最中のそれを気にせずリモコンの釦を押す。


「うわわ……いったい!指ぶつけた!」

「大丈夫かー?」

「お前! 全っ然心配してないだろ」

「そんな事はない。寝るけど」

「ひっどいなー」

隣の布団のそれは、足だけを布団に突っ込んで相変わらず辺りを気にしているが。

アラームを確認した俺は容赦なく目を閉じた。




深夜、ふと目が覚めた。寝ぼけ眼が横を向いた部屋の中を見渡す。

それはまだ起きており、窓際に寄りかかって外を眺めている。

薄い月明かりに照らされるそれは、いつも浮かべている薄笑いも、こちらに現れた折の敵意も、何の表情も浮かべてはいなかった。

俺のまどろむ意識は、ふと向こうの世界のリオナの憂い顔を思い出す。

それも大した時間ではない。再び俺の意識は、深い底へと沈んでいった。


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