08
一般的に。
大晦日とか言うものは、家族で年越しそばなんぞを食べながら歌番組でも見て、少し夜更かしをして眠るものだろう。
そうすると今、目の前でそばをすすっているこいつと俺との関係は、果たしてどういった物なのだろうか。
「なー。えびてそばっていうのかこれ。のっかってる黄色いやつ」
「それが海老天で、下のは蕎麦な」
「えびて、うまいなー」
「えびてんって言ってるだろ」
近所の蕎麦屋で年越しそばを食べていた。
そうは無い長い休み。目的の為に有効利用したい所ではあったのだが。
昨日に引き続き気だるそうなこいつを後ろに乗せ、くそ寒い中にツーリングという気にはなれなかった。
もっと言えば、深夜だろうが何だろうが、この時期は免許の有無を確認したくなるようなドライバーが増える。こんな訳の分からない状況で交通事故死などと言うのは心底勘弁願いたい。
それで1日静かにしていた結果が今の状況なのだが。
「なー。えびてんってのも家で簡単に作れるのか?」
「作れない。テンプラは……とにかく面倒くさいな」
「そっかー。なぁこの頭のやつ、暑いんだけど」
「絶対に取るなよ。もう何も食わさないからな」
「……分かったよ」
汗がかゆいのだろう。ニット帽の隙間から指を突っ込んで頭を掻きながらフォークを口へと運ぶ。
先程から店主がこちらをちらちらと見ている。
蕎麦屋でフォークなんぞを要求し、どこの国かもわからない言葉で会話しているのではそれも仕方ないだろう。
目の前の丼が空になるのにそう時間はかからなかった。面倒な詮索を受ける前に店を出る。
「で。この間の山の上にまた行くのか?」
「もうじきに日が変わるからな。行くぞ」
「なー。今日は祭りでもあるのか?こんな遅いのになんでこんなに人が歩いてるんだ?」
「一年の終わりの日で、明日から新しい年だ。みんな夜更かしして今年もよろしく、とかやる。お前らもこういうの無いのか?」
「……ないなぁ」
恐らく。
その、ない、は余裕がない話だろう。食うのに困るような状況で新年を祝うなど。
心中の深刻な思考などにはお構いなく自販機に視線をやるそれに、行くぞ、と声を掛けて歩き出した。
「しかしすっごい人だな。町中が集まってるのか?」
「いやいや。この何百倍もいるって」
「へぇ……。すんごいな」
「数だけなら確かにすんごいな」
「数だけなら?」
「何でもない」
確かにそうだ。数だけなら。
俺と関わりのある人間など、この中にどれだけいるのだろうか。自分が違和感なく収まるコミュ二ティなど、少なくともここには存在しないのだ。
しかし。
その関わりのある人間がいない訳でもなかった。この状況下で有り難いかというと、またそれは別の問題なのだが。
人に埋め尽くされつつある石段を上る。
なんだよこれー、などと文句を言っているそれを宥めながら人に流されるように境内に辿り着いたのは、日付が変わる数分前だった。
年始早々の参拝の為の行列に並び、恐らくはその十数組目あたり。先程から寒い寒いと言っているそれから目を逸らし、時間つぶしがてらに辺りを見渡す。
それはまさに、有り難くない、という表現が適切だっただろう。
少し離れた手水舎にいる見覚えのある家族連れに止まる視線。その母親らしき人間が振り返る。
……見覚えがない訳がない。それは間違いなく妹の一家だった。
「やばい」
「やばい?何がだ?」
「お前、余計な事喋るなよ?」
「コンニチワ―」
「それも駄目だ。本当に黙ってろ。用事を済ませてさっさと帰る。いいな?」
「……。」
「返事は?」
「……お前が黙れって言ったんじゃないか」
情けないやり取りを済ませている間に日付は変わり、本殿前の行列は動き出す。
気は重いが未だ見つかった訳ではない。後の事は一旦置いておく事にした。
財布から5円玉と50円玉を取り出し、隣のそれに5円玉の方を手渡す。
「箱の中に軽く投げ込め。前の人の仕草を見て真似しとけばいいから」
「……。」
相変わらず返らない返事に隣を向くと、不満気な顔がこちらを見上げていた。
小銭を賽銭箱に投げ入れると、隣のそれが神妙な顔をしながら派手に鈴を鳴らす。
二拝、二拍手、一拝。
こういった折に願い事をするのはどうかと思うが。
しかし仮に神などと言う物が存在したとして、俺の運命に彼らが干渉していない事などないだろう。
であればこそ。
今度こそ、今年こそは。
心底願わずにいられなかった。
やたらと長い最後の一拝に、隣のそれが思い切り顔を歪めている。
「気にすんな。行くぞ」
「……。」
次の順番のカップルの苦笑いを受け流し、次の問題へと対峙すべく歩き出したのだが。
本殿の数段の石段を下りる所で、丁度こちらを向いていた妹と思い切り目が合ってしまった。
こちらを見て目を見開き、そして軽く視線を動かしたそいつは、更に目玉が飛び出るのではないかという勢いで目を見開いた。
「で、お兄ちゃんさ。何やってんの?」
「初詣。お前んちもそうだろ?」
「……そこじゃないよね」
予想通りの反応と、俺の隣へと向けられる視線。
視線の先の当人はどうしていいかわからないらしく、引きつった笑みを浮かべているが。
「今年もよろしくお願いします」
「ああ、久しぶり。こちらこそよろしくお願いします」
恐らくは正しいやり取りをさせてくれるのは妹の旦那だ。不愉快に尖った感もなく優しい雰囲気を放っている。以前聞いた折、職場の同僚だと言っていた。その腕に抱かれた女の子は先日クリスマスに俺が贈り物をした有希奈という姪だ。
「ちょっといい?」
「良くない。大丈夫だ、こいつ日本語分からないから」
「全然大丈夫じゃない。まさかオーバーステイとかそういうんじゃないよね?」
妹の少し声をひそめた質問。懸念は尤もだが……客観的にはむしろその方がまだマシだろう。
「違うって。ただの居候」
「居候? 彼女とかじゃないの?」
「ふざけろ。なんで俺がこんな馬鹿と」
「いや知らないけどさ……」
目の前で考え込む妹。少し困った笑顔を浮かべるその旦那。引きつった笑みを浮かべる隣のそれ。
しかし。
何か説明ができる訳でもない。むしろ、何と説明しても無駄だろう。
であれば、話を切るより他に選択肢は無かった。
「じゃあな。今年もよろしく。お守り買いに行く」
「あー。今度電話するから」
「わかった。取り敢えず、宜しくな」
「一体何やってんのさ……」
疑問の声に苦笑いして見せながら隣のそれに顎で先を指し、お守りの返納受付へと歩き出した。
「お前さー。友達いるんだな。そういうの居ないと思ってた」
「多くはないけど居なくはないし、あれは友達じゃなくて妹だ」
「妹? 似てないなー」
「親父が違うからな。気にすんな。あ、交通安全2つ下さい」
恐らくはアルバイトであろう巫女服の女の子に金額を支払い、受け取った2つのうちの1つを隣のそれに手渡す。
「なんだこれ?」
「お守り。交通安全」
「こうつうあんぜ?」
「行く道が安全でありますように、だ。本当はバイクとか車の話だけど似たようなもんだろ」
「よくわかんないけど。くれるなら貰っとく」
それが手渡されたお守りをごそごそとポケットに仕舞い込むのを確認し、辺りを一度見渡す。
「じゃ。帰るか」
「これで用は済んだのか?」
「ああ。もう一回ここに来る事がないといいな」
「そーだな。寒いし」
「……そういう話じゃねぇよ」
相変わらず感じる物もないらしいそれを伴い、家へと向かった。
欠伸をするそれが、すっかり眠り慣れたらしい煎餅布団へと横になる。
もはや突っ込む気にもなれず、毛布にくるまってフローリングに横になった。マナ云々は確かに大事だが、まずは布団を買うべきだろう。
結局。
3年目にして環境だけは前進した。手探りの状況ではあるが、その手が何にも触れない以前と比べれば雲泥の差だ。
静かに部屋に響くそれの寝息とガスファンヒーターの静かな音。
少し黄色くなっている天井を見上げる。
「リオナ。もう少しだと思う。だから――」
呟いた言葉は表を走る車の音にかき消され、恐らくは誰の耳に届く事もなかった。




