06
表を走る車の音で目が覚めた。
自分が発する小さく唸るような声。……背中が痛い。
フローリングの上で眠っていたことを思い出しながら、ゆっくりと体を起こす。
俺の右手を拘束していたそれが眠っていた布団は空だった。
「どこ行った」
「……どこも行ってない」
振り返る。
小さなテーブルの脇、浮かない表情で座り込んでいるそれと目が合った。
そこから視線を外し時計へと視線をやると、そこには15:00という学生の頃を思い出すような時間が表示されている。
「こりゃまずいな」
「何か食べてる夢でも見てたのか?」
「そっちじゃない。こんな遅くまで寝てるのがまずいって話」
「毎日遅いからなぁ。なんで毎日夜なんだ?昼間じゃ駄目なのか?」
別に夜間である必要はない。ただ、昼間は道が混んでいて苛立つことが多いから、という理由だった。
ついでに言うと。
謎の言葉を話す連れがいなければ、という所だろうか。
「所でお前、大丈夫か?昨日――」
ようやく目覚めつつある頭が、その先の言葉を止めさせた。
こいつにも色々あるのだろう。だが。
いつかは敵対するのが分かっている。必要以上に入り込むべきではない。
途中で言葉を切った俺に変な顔をしつつも、それが口を開く。
「そうそう。昨日さ、ものすごい疲れたみたいになっちゃって寝ちゃってさ。お前、運んでくれたのか?昨日はよく眠れた」
「運んだ。次からは最初から横になって貰うべきだよな」
「……ちょっとしてからでいいか? やっぱりなんだか調子が悪いんだ」
「暫く間を開けよう。あと、少しやり過ぎた。悪かった」
「えー。別に謝る事じゃないだろ。そんな事よりさ」
「なんだよ」
「腹減った」
「……そうか」
しかし。
我が家の備蓄は、先日のインスタントラーメンくらいだ。
冷蔵庫を開くと残念なラインナップがそこには並んでいる。いつの物だかわからないマーガリン。調味料の類。製氷皿の氷。……先日のオレンジジュースの残り。
「うまいー」
「しょうがない、買い物行くか。……2人分だもんなぁ」
「どうした?」
「めしが沢山いるって話」
「私、魚取るのうまいぞ?」
「……余計な事だった」
「何かすごく馬鹿にされてるような気がする」
「まぁ俺も後6日くらいは休みだ。取り敢えず、買い物行ってくる」
「……えーと」
「余計な事しゃべらないなら」
「コンニチワ―」
「ここで正座して待ってろ」
「嘘だって。……せいざって何?」
あまり足を運ぶことがなかったスーパーへと向かう。
駅から遠く安い家賃なりで、スーパーまでも近くはない。
少し歩幅の小さいそれが後ろからせかせかとついてくるのを感じつつ、暮れの住宅街を歩く。
「なー。もうちょっとゆっくり歩いてくれよー」
「オレンジジュース、全部飲んだだろ」
「え。……ごめん」
「走るぞ」
「本当に調子悪いんだってば。体が重くってさ」
「しょうがねぇなぁ」
住宅街の外れの外れにある小さなスーパー。
あまり品揃えがいい訳でもないが、毎食弁当を買うよりは幾らかましだろう。
動きの鈍い自動ドアを通り抜け、カートにかごをつっこむ。
相変わらずきょろきょろしているそれに、いくぞなどと声を掛けながら肉のコーナーから回る事にした。
豚小間肉が126円。これが高いのか安いのかもぴんとはこないが、そこまで味を求めている訳でもない。一番安いこれと適当な野菜でも炒めれば、取り敢えずの餌としては足るだろう。
かごにそれをそっと置きながら振り返ると、鶏肉をじっと眺めているそれが目に入る。
「鶏肉、好きなのか?」
「……鳥捕まえるのも上手いぞ?こっちは鳥もでっかいなー。誰が皮剥いたんだ?」
「そんな事は知らん。明日の分に買っとくか」
「いいのか?」
「好きなんだろ?俺は何でもいいし、どうせ毎日野菜炒めって訳にもいかない。これなら焼くだけだし」
「ありがとう!」
「なんなんだよ……」
結局、野菜何種類かと適当な冷凍食品、食パンなど。ついでに米を買った。
相変わらず視線が泳ぐそれに米袋を押し付け、日が落ちつつある道を再び歩き始める。
「なー」
「なんだよ」
「こっちでは戦いって無いのか?」
「この国じゃじいさんばあさんの頃だな。海の向こうじゃ今もやってるけど」
「……そっか」
「ありがたい話だ」
「そうだなー」
それ以上何を言うでもなく、足は狭いアパートへと至る。
再びヒーターのスイッチを入れ、小汚い台所を掃除し、炊飯器の釜を洗い終えた。時計は18:00を指している。
窓の外を眺め、時折こちらに振り返るそれの視線を感じつつ、久々に包丁と格闘した結果が完成したのはそれから暫く経った頃だった。
適当な皿。茶碗と丼。割り箸。
色々な意味でどうも情けない物たちがテーブルに並ぶ。
……一番情けないのは、野菜炒めなのだが。
「お前、へたっぴなのか?」
「うるせぇ。しなしなで焦げてるくらいがいいんだよ。嫌なら食うな」
「……ごめん」
雑な塩味。大きさがばらばらのキャベツ。もやし。
外見はともかく、取り敢えずは食べられる味のそれは結局あっさりと空になった。
「はー。お腹いっぱいだ」
「……うまいって言え」
「え。……うまい」
「……。」
「ほ、本当だぞ?」
「……。」
「何怒ってるんだよ」
「怒ってない」
後になると面倒で心底嫌になってしまう。煙草をくわえながら不揃いな皿を重ね、さっさと洗い物まで済ませることにした。
「なー。何か手伝うか?」
「なんだよ」
「いや、悪いなって」
「説明するのが面倒くさい」
「うー。そっか」
「そのうち説明する。調子悪いんだから寝てろよ」
「……わかった。」
煙草を灰皿に突っ込み、皿をざっと流す。そして弾力のないスポンジに洗剤を落とし一度振り返る。
……俺の布団に入り込んだそれが、大きく欠伸をしている所だった。
「ちょっと待て」
「なんだ?」
「そっちはお前。……まぁいいや」
「???」
「なんでもない。さっさと寝ろ。お望み通り、明日は昼間から出掛けるか」
「おー分かった。……あのさー」
「なんだ?」
「あのさ。ありがとう」
「恩に着ろ。そのうち返せ。寝ろ」
「……わかった。ちゃんと返す」
「期待しないで待ってる」
「そうしてくれー」
いまいち締まらない言葉を交わしつつ皿を洗い終え、フライパンへと至る頃。
一度振り向いた先のそれは、既に小さく寝息を立てていた。
再び小さなテーブルの横に座り込んで煙草に火をつける。
俺の寝る筈だった布団のそれは、昨日とは違い静かに眠っているようだ。
慣れない環境に放り込まれれば疲れるのも当然だろう。自己申告からしても体調がすぐれないという。
昨晩のあれは、疲れているとかそういう話ではないだろうが。
考え始めてしまった余計な事とたばこの煙を、思い切り吐き出す。
……さっさと体調を戻して貰う必要がある。そしてマナの回復の具合を確かめる。
その目的に、変わりはない。
とは言え。
「本当に何しに来たんだよ」
思わず小さくぼやきつつ、硬いフローリングの上で横になった。




