05
昨晩に引き続き、今日も夜の闇の中を走りまわっていた。
戦があった場所なのか? などという感性を信じ、所謂古戦場と呼ばれる場所……その大半が辺鄙な場所で、これが日中でもそう人通りは少ないであろう場所を巡る。
しかしその全ての場所で、寒い、よくわからない、という言葉をだけを聞き、再び家に戻りついた。
ヒーターのスイッチを入れる。
その前に座り込むそれから視線を外し、昨晩と同じ店で買ってきた牛丼をテーブルに並べた。
「今日、何か感じたか?」
「いやー。よくわからないなー」
プラスチックのスプーンを口に運ぶそれは、何の感慨もなしにそう答える。
「どうかとは思うけど、お前が頼りなんだ。本当に頼むぞ?」
「うーん。なんだか昨日よりも調子悪い感じなんだよ」
少し考え込みながら紅ショウガの袋をぷらぷらとしている。仕方なくそれを受け取り、口を切って返した。
牛丼の上にぼとぼとと落ちる紅ショウガを眺める。
「次に調子がいい時、ためしに吸い取ってみるか」
「吸い取る?」
「その魔術自体使えるかわからないけど。ただ同じ部屋にいるだけじゃ、どれだけ俺に受け渡されてるのかもわからないし」
「……これ、食べてからでいいか?」
「今度でいい。調子よくないんだろ?」
首を軽く傾げ、再びスプーンを口に運ぶ。
「いや、やってみよっか。私にはよくわからないけど」
「わからないのに適当に言うなよ」
「でも、やり方考えなきゃって言ってたじゃないか」
「そりゃそうだけど、寝込まれても困る」
「心配するな。私は結構丈夫だぞ?」
「確かに繊細には見えないけどなぁ」
その言葉に、ひひひ、などと笑っているが。
「じゃあ。そもそも出来るわからないが。」
「うん」
「体の力を抜いて……何て言うか、逆らわないでくれ」
「そりゃ逆らわないけど。……ちょっと怖くなってきた」
「なんだよ。やめとくか?」
「いや、やろう。どうすればいい?」
「手、出してくれ」
こうか?とでも言いそうな顔で差し出される両手。
一瞬の躊躇の後、その右手を軽く握る。
「お前さ。手、あったかいのなー」
「気が散るから余計な事しゃべるなよ」
「あーごめんごめん」
軽く欠伸をするそれから目を逸らして重なる手に視線を落とし、意識を集中する。
体の境界を消し去るような、目の前のそれと自分が一つの物体のようなイメージ。
さらに深く沈み込むように目を閉じた。
高い所から水が落ちるような、負圧がかかった部屋に流れ込む空気のような、そんな感覚を膨張させていく。
……長らく忘れて居た感覚は、あっさりと繋がった。
自分の中に少し暖かいものが流れ込むような感覚を、途切れさせないよう集中する。
その瞬間。
握り返されていた手の力が、すっと抜ける感覚で目を開いた。
「おい!」
「は……ねむ……」
「おい、大丈夫か?」
「……。」
先程まで欠伸をしていたそれが床に倒れ込みかけているのを見て慌ててその肩を掴む。
しかしお構いなしにぐったりと力が抜けるのを、変な姿勢で腕を伸ばしていた俺は支えきれず、何とかゆっくりと床に横たわらせた。
「ごめん、やりすぎた、大丈夫か?」
「……。」
何の反応もなく、完全に目を閉じているそれを軽く揺する。
数秒後。
それが明らかに寝息を立てている事に気付いた俺は、大きくため息をつきながら天井を見上げた。
丹念に押しつぶされた布団。
流石に今はそこを明け渡し、横たわるそれをぼんやりと眺めていた。
やはりやめておくべきだった。まさか死んでしまう事は無いだろうが。
規則正しく上下する布団を見ながら煙草に火をつける。
マナの付与。
高位の魔術ではあるが、相手の同意を必要とする代わりに消費するマナ自体は非常に少ない。
先程は繋がった感覚に少しの達成感も覚えた。しかしこれは限界を超えた魔術使用による昏倒と似たような物だ。仮に毎日のようにマナを吐き出し切っていては、そのうちにそれは死んでしまうだろう。
同じことを繰り返すのであれば。
それが魔力を吸収する速度も頻度ももう少し当たりをつけた上で、もう少し控えめに行うべきだった。
……ついでに言うと。
次は最初から横になって貰った方がいい。仕方なく布団に運ぶ折、そのやたらと柔らかい感触は、俺を自己嫌悪に追い込むのに適当だった。
静かに寝息を立てるそれから視線を外して、煙草を灰皿に突っ込む。
それの昏倒と引き換えに体に満ちたマナの感覚。
あちらの世界で戦っていた折と比べればそれはひどく弱いものだった。しかし、こちらの世界に戻って今まで、この薄い感覚でさえ感じた事はない。
とは言え。これを後どれだけ繰り返せばいいのか見当もつかなかった。
魔術型の魔族が10人掛かりだったという。恐らくは俺の貯め込めるマナを全て吐き出し切る事が必要だろう。それで成功するかもわからない。
ゆっくりとそんな事を考えながらもう一本の煙草を根元まで灰に変えて立ち上がり、狭いユニットバスに向かう。
一通りの行水を終え、床の上で毛布にくるまって横になった。
照明を落とした暗い部屋。
静かに響く自分以外の立てる寝息が気になってしまい、なかなか寝付けない。
一度携帯電話を開くと、もうじきに夜明けの時間帯だった。
大きく深呼吸をして改めて眠る努力を始めた。そこに聞こえる、少し苦しそうな声。
若干の面倒臭さを感じながら、起き上がる。
通りの光が薄く差し込んでいた。
それが少し眉間に皺をよせ、ゆっくりと体を捩じっている。
溜息のように吐き出す息と、何か探すように動く両手。
やがて膝を丸め、頭を抱えるようにして苦しそうな息を吐いているそれに、声を掛ける。
「おい、大丈夫か?」
返ったのは返事ではなく、歯ががちがちと震える音だった。これは大丈夫ではないだろう。
「くそ、本当にやめとくんだった。おい、起きろって」
左肩を掴み、体を揺する。
……頭に回していたそれの手が、肩に添えられていた俺の手を強く掴む。そして見える顔は、涙を流している。少し必死にも見えるその動作に思わず固まる俺の目の前、それはゆっくりと震えを収め再び静かな寝息を立て始めた。
「なんだ焦った……おい」
離そうとする俺の手を、ぎっちりと握る手。
3度目でそれを引きはがす事を諦めた俺は、足元に転がる毛布を引き寄せて横になった。
流石に少し寝づらい。
そもそも、俺は床で眠ったりするのは苦手だ。現場でも昼寝をするときには――。
どうでもいい事を思い出している事に気付き、再び俺の手を拘束するそれに一度視線を向ける。
「本当にこいつ。何しに来たんだよ……」
欠伸交じりの独り言を述べ、俺は改めて目を閉じた。




