12/27(火) 04:00
涙で潤む視界の中、振り返る。
その顔に、思い切り顔を歪めて半歩下がる女。
「いいからちょっと上がれ。話がある。……靴脱げよ?」
顔は歪めたままだが、素直にサンダルのような靴を脱いだそれに部屋の端を指さす。
「その辺、座ってくれ。あぁ変な気起こすなよ? 今の状態でやり合える気しないだろ?」
ガスファンヒーターのスイッチを入れる。
小さな電子音と、吹き出す温風。
「な……」
それを見て目を丸くする女。
それは先程まで暗くてよくわからなかったが、まだ幼さが残るような顔をしている。
……魔族は寿命が長いと聞いていた。外観では判断がつかないのだが、少なくとも外見上は丁度コンビニで愛想を振りまいていた彼女と変わらない程度に見える。
そしてその顔の下についている目に毒な胴体に、クローゼットから取り出した薄い毛布を放り投げた。
「寒いんだろ。ちょっと被ってろ」
相変わらずの疑いの眼差しを無視して流しに向かう。
久し振りに開けた戸棚の中、埃が薄く積もったマグカップを濯ぎ、こちらも久しぶりに開けた冷蔵庫を眺めた。いつ買ったのかわからないペットボトルを取り出す。
一応未開封だが期日を確認し、そこに注いだ。
温まってきた狭い部屋。
周りを不安げに見渡すそれに、カップを差し出す。
「さっき俺は、取引って言った。……とりあえずお前、魔族でいいんだよな?」
無言の刺すような視線でそれに答える女。
「恨みでも晴らしに来たんだろうが、残念ながらここじゃお前もただの人間と変わらない。まぁ勝てないだろう。そこでいい話だ。俺にも希望がある。お前にも悪くない条件を出せると思う」
握ったカップと俺の顔を往復する目線に、カップをその手から取り上げる。
一口その中のオレンジジュースを胃に流し込み、半分以上残ったそれを再び差し出した。
「毒なんて入ってねぇって。で、どうすんだ?」
もう一度こちらを睨み、そのマグカップを口に運んだ女が目を見開く。
大きめのそれを一気に空にし、やっとまともに口を開いた。
「その通りだ。他の奴らの所にも腕が立つ奴を送った。残念だが、仲間は諦めろ。命乞い以外なら聞いてやる」
少しふんぞり返るような姿勢。先程の状況を忘れたのだろうか。
「……返り討ちにされてそうだな」
「そんな事はない!腕が立つ奴を――」
「うるさい!近所迷惑だろーが」
「き、きんじょめいわく?」
「とにかく。大声出すのはやめてくれ」
「わかった……」
「で。もういいや、聞け。俺を倒しに来た。無理そうだが、一旦話を聞く。それでいいな?」
「……。」
聞きたいのは、その先だ。
「俺を倒した後、どうするつもりだったんだ?」
「そんなの決まってる。他の人間どもにお前らの死を大声で伝えてやるんだ。そしたら――」
「違う違う。……仲間の所に戻らないのか?」
「戻るに決まってるだろう。お前は馬鹿か?」
「どうやって帰るんだよ」
「馬でも奪って逃げるから大丈夫だ」
「……マジか」
「まじ?」
「……なんでもない」
「お前、私を騙そうとしてるのか?」
「なんてこった」
「??」
想像の斜め上を通り過ごし、遥か彼方のような回答。
そう言えば、そうだった。
戦闘型の魔族。戦う相手という画一的な見解だが。
思慮が浅いというか。肉体的有利に頼りきりと言うか。目の前しか見ていないというか。
語弊を恐れずに言えば、馬鹿が多い。
「それにしたってここまで馬鹿だったか……」
「誰がだ?」
「一人しかいないだろ」
「お前か」
「ちょっと……黙ってくれ」
これは。帰れない者が増えただけなのではないだろうか。
その馬鹿は俺の目の前で、状況もわからずに余裕の笑みさえ浮かべているが。
煙草に火をつける。
火がともる手元のライターを見て少し驚いた顔に、言葉を続けた。
「取り敢えず。お前、どうやってここに来た。まさか気が付いたらあそこに立ってたなんて事はないだろう?」
「我らは手を組んだのだ。あの胡散臭い連中の魔術で仲間を送り込んだ。もう遅いぞ?」
胡散臭いというのは、もう一方の魔術型の連中だろう。
喉元まで攻め込まれ、それでさえ手を組まなかった戦闘型と魔術型。それが手を組んだ。
要するに、あちらで相当追い込まれているのだろう。
そんな事より。
「どんな魔術だった?」
聞きつつも。
恐らくこいつの記憶などあてになるまい。さらにそれが魔術なのだというのであれば、同じ事をここでやるのは無理だろう。
そんなの私が知るわけないだろ、などという残念ながら予想の範疇の答えを聞きながら煙草を灰皿に突き立てる。
「さっきも周り見ただろ? そこ、窓の外見てみろ。自分が居る状況、わかるか?」
訝しげな表情で立ち上がったそれは、肩からすっぽりと毛布にくるまったままでカーテンをめくる。
道路を通り過ぎる車の音。
口を半開きにしてこちらへ振り返ったその顔に、思わずため息をついていた。
AM4:00
女は、先程から床を見詰めて黙っていた。
この世界。現在の俺の状況。そして、帰る方法がないという事。その辺りを淡々と説明したのだが。
「黙ってたらわからん。取り敢えず、あっちに戻るまで手を組む。いいか?」
手を組むという表現が正しいのだろうか。俺にとっての利益は、こいつがここに存在するという事実だけかもしれない。
「……わかった」
不安を隠しせずこちらに向けられた顔に、端的な確定事項を伝える。
「取り敢えず……一度、寝る」
「……は?」
色々な出来事で冴えていた頭も限界だった。
毛布にくるまったまま、少しめくれたカーテンの外を眺めている女。
それに一瞥して、薄く潰れた布団に潜り込む。
「絶対に外出るなよ?」
「なんでだ?」
「起きたら話す。絶対に出るなよ? もう家の中いれないからな?」
「……わかった」
当初とは真逆の不安そうな声色を聞き流し、目を閉じた。
彼女の顔を思い出す。
リオナ。少し定かではなくなりつつある笑顔。
それは。
忘れる必要などなかった。
妄想ではなかった。
未だその方法が見つからないにも関わらず。
また彼女に会えるかもしれないという喜びに心が震えた。




