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12/14(水)

輝く光の奔流を見詰めていた。

最早只の老人にしか見えない男を包むそれは、その包まれた老人を掻き消すように更にその輝きを増している。


その老人は、数刻前まで神話に謳われる魔王と飛ばれる存在であった。

古い伝承の如きその復活、それに際し共に蘇った魔族と呼ばれる人型の魔物。

それらを率いた彼は、人間達と激しい戦いを繰り広げた。


魔力と体力に優れた魔族と呼ばれる者達。

大きな力を持つ彼らは、しかし無尽蔵に攻寄る人間達に勝利を収める事は出来ず、ただ駆逐される終末を迎える事となる。

一度はこの地の大半を掌握した彼らだったが、圧倒的な数の暴力とも言える人間の戦い方に対し、彼らは個人主義が過ぎた。その攻勢にゆっくりとその勢力を押し戻されたのだ。

やがてその人間の中から現れた英雄と呼ばれた者達。

その出現は、押し戻しつつあったその戦況を、更に苛烈に押し返す。

そして。

それはかつての神話や伝承をなぞるように、焼き直すように、ただ静かに打ち倒されていった。





空に向けた掌で、何かを掴むような感覚。そしてそれを振り落とす。

同時に激しい雷撃が、光の奔流の中で苦しそうにもがく男へと降り注ぐ。

力の奔流の中で揉まれながら、しかし未だ滅びに至らなかった老人は、そして。霧散した。


やがて何もなかったかのように消え去っていく光の帯を眺め、大きな溜息をつきながら振り返る。

視界の中、それぞれの表情を浮かべる仲間たち。その何れもが勇者や英雄などと呼ばれる存在である。

そして少しくすぐったいが。ある日この世界に突然湧いて出たような俺ではあったものの、それでももうその中に数えられる程になっていた。


少し離れた所へばたばたという羽ばたきを伴い、大柄なドラゴンが降りてきた。その背から飛び降りる女。

透けるように白い肌と、日の光で輝く金色の髪。長い戦いに薄汚れてはいるものの、その美しさは微塵も薄れてなどいない。

こちらへ駆け足で近寄るその愛しい竜騎士に、少し疲れたような笑顔を向ける。





俺はいつの間にかこの世界に立っていた。

理由はわからないがこの世界に立った折から、体が内包していた恐らくはこの世界では比類のない魔力。

それを武器にこの5年間ひたすらに戦い、その結果が今この瞬間だった。


右も左もわからない世界で、元の世界へと戻る道を探していたのは2年ほど前までだろう。

当然に当初の目的は、そこへの帰還だった。

かつての生活には大した喜びもなく、もっと言えば居場所がない程の感覚さえ覚えていた。それでも慣れ親しんだ20年以上の歳月は、強烈に帰巣本能を刺激していたのだ。

しかし、今こちらへと駆けてくる彼女、そしてその様を苦笑いで眺める仲間たち。それらは俺をこの世界で生きていくよう決心させるのに十分過ぎる存在だった。




駆ける速度を緩めず、そのまま首元へ飛びついてくる彼女を受け止めた。

軽装ではあるものの、厚い革で出来た胸当てを押し付けるように首を抱きすくめられる。


「いてて!痛いって」

「あぁ、ごめん!」

慌ててその手を緩める彼女をゆっくりと降ろし、その頬に右手を伸ばす。

幾度となく触れたその柔らかい感触。そしてその手に重ねられる彼女の左手。


少し間違っていたかもしれない。

ここで生きていくことを決心した理由の大半は、彼女の存在である。

木の根から生えるように現れた俺の手を握り、そしてこの世界での生き方を見せてくれた。どれだけ苦しい戦いの最中でも俺を信じ、支えてくれた。俺も同じように支えられたかはわからないが、それでも彼女の為にならどんな事もしたし、きっと彼女もそうしてくれた。

そしてこの先。すべて終えた後には残りの人生を彼女と過ごすと決めていたし、彼女もそうすると言ってくれたのだ。


伸ばした左手が彼女の肩をそっと掴む。

雰囲気を察したのであろう、彼女は少し照れるように目を閉じた。

視界の端、長柄の斧を使っていた仲間が、おいおい、などと言いながら視線を逸らす。




これで終わりではない。ここから新しい始まりを迎える。

その筈だった。




突然、手の中の柔らかい感触が薄れていくのを感じた。

腕の中の彼女が目を見開く。

その青い瞳に写る俺の姿。それが急激に薄くなっていく。

自分の存在自体が曖昧になっていく、水に浮くような、眠りに落ちるような感覚。

少しの痛みさえも伴わないその感覚が、ひどく恐ろしかった。


突然現れたこの世界で、自分が再び消え去ろうとしている事がなんとなく分かったからだ。


何かを叫んでいる彼女の必死の顔。

おそらくは自分も何かを叫んでいたと思う。

それは、おそらく、などと言う表現をするしかないくらいに曖昧だった。


掌の柔らかい感触が薄れていく。

必死の形相で首を横に振りながら叫ぶ彼女の顔を最後に、記憶はそこで途切れた。










12/14(木)


「おら着いたぞ。起きろ」

現場へ移動するワゴン車で眠っていた。


一度肺の中の空気を振り絞るようにして、座席から起き上がる。


「うお、寒ぃ。……監督、もう来てんのか?」

「まだ来てねぇだろ。取り敢えず、駐車場行ってくる」

それに返事もせずワゴン車のリアゲートを開け、腰袋や脚立、諸々の荷物を降ろし、扉を閉める。

少し急なアクセルで指定の場所へと向かう車を見送りながら、煙草に火をつけた。






残念ながら向こうとこちらで時間の流れが違うなどという都合のいい事はないらしい。突拍子もなく転移したあちらの世界で生活している間に、俺はしっかりと失踪扱いになっていた。

深夜、公園に倒れていたのを通報されて保護されたのがちょうど今頃の季節、つまり冬だったのだが。


突然戻ってきた者が、そのまま以前と同じ生活が送れる訳などない。

まず死んだことになっていた自分の存在を復活させる事。

どうでもいい書類の処理や、異常がないかの検査入院。疎遠だった両親への気の進まない連絡。近くに住んでいた為に相当の迷惑をかけたであろう妹への謝罪。


しかし。

全てただの夢であったかのような向こうの世界での出来事。必死の形相で何かを叫んでいた彼女の顔。

それらを忘れられる訳などなかった。

誰にも吐露する事などできないその記憶は、ただひたすらに精神を蝕む。

改めてこの世界での存在が明瞭になった俺はそれが叶うのかもわからないまま、向こうの世界へ渡る事ばかりを考えながら、ただ毎日をやり過ごしていた。




5年もの間、訳もなくただ行方不明だったものなど、まっとうな企業が採用などする訳もない。

1年ほどアルバイトで食い繋ぎながら試行錯誤を繰り返した挙句、最後に落ち着いたのは建築現場の作業員、所謂職人というやつだった。

自分は元々あまりそういった世界に縁がない生活を送っていた。しかし5年の歳月は稼ぐ事と体を動かす事を等号で結ばせており、もっと言えば体が鍛えられて生活費が稼げるのであれば、正直詳細などどうでもよかったのだ。


あまり言いたくはないが、同職種の中でもあまり行儀が良くないその集団の1員となって2年。

建築物の鉄筋を組み立て続け、休みになれば何か戻る方法はないかと必死に考えて探し回る毎日。

そんな事を続け、こちらに戻ってからもう3年の月日が経とうとしていた。



寒さを堪えながら赤い灰皿を囲んでいた。向かいで煙草に火をつけたアジア系の男がこちらを見てにやりと笑う。

「ツカサ元気ねぇな。風邪ひいた?」

「俺はいつも元気ないから普通だって」

「そうか? 寒いの嫌いだって言ってた」

「寒いのは嫌いだけど。グエンの方が寒いの駄目なんじゃねぇの?」

「もう慣れたよ。でもやっぱり今日は寒い」

流暢な日本語を話す出稼ぎのベトナム人の1人、グエンが煙を吐きながらポケットに左手を突っ込んだ。

別の世界ではあったものの、人やら何やらをさんざ殺してきた自分に何か感じるものがあるらしい彼らは、俺に対してどうも少し丁寧な扱いをしてくれる。

冬は嫌だよなー、などと言いながら灰皿に煙草を投げ込んだ。


年末年始の期間を踏まえ、12月の現場は忙しい。

くたくたになるまで働いた俺は帰りの車の中で再び眠りこけ、いつも通り自宅近くの国道で降ろして貰い安アパートへと戻る。





6畳1間。収納、風呂トイレ付。家賃40,000円。

何とか向こうに戻るまでの間、と借りた部屋。仮住まいには十分だが住み始めて既に2年が過ぎた今、この狭さにも嫌気がさしていた。

……狭さだけではない。嫌になっているものは幾らでもあった。

部屋の汚さ。一連の境遇。仕事と家の往復だけを繰り返す無味乾燥な毎日。


しかし一番に嫌な事、それは。

あちらの世界へと渡る事への希望を秘めた生活そのもの。


手掛かりを探し回る歳月が教えたのは、あちらの世界へ戻る事の難しさだけだった。

それは難しい、などと言う言葉で表現できる物ではない。誰にも相談できない。資料など存在しない。もはや、俺が白昼夢を見ていただけとした方が余程納得ができる世界。


3年という節目を迎えるにあたり、この行動をいつまで続けられるのか、という疑問に突き当たる。

客観視すれば、俺は妄想癖に侵された仕様もない男というだけの存在だった。来年には年齢も30歳になる。


愛する者との理不尽な離別。諦め。絶望。

全てを何もなかった事にするのは、ひどく苦しい。

だが、このまま死ぬまでそれを悔やんでいくのは、もっと御免だった。


煙草の火をもみ消しながら、誰も聞くことのない愛しい者の名を、誰もいない空間へと吐き出す。

「リオナ。俺はもう、だめだと思う」


煙と共に吐き出される愛しい者の名。それを口にするのも久しぶりだった事に気付き、更に陰鬱な気持ちで次の煙草に火をつけた。



12月14日。

俺がこの世界に戻った日付まで、あと1週間と少しの夜だった。

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