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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第十四話 舞い降りるは天上の湖水
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14-5

 貧農の五男として生まれたチャオフェイは、その日、生まれて初めて満腹というものを知った。十四歳になった春、村を飛び出し、年齢をごまかして入隊したシャイア帝国陸軍営舎内でのことだった。ここは天国かと思ったのを覚えている。


 同期の連中も境遇は似たようなものだった。食い詰め、あぶれた者たちが行き着く先は軍隊かマフィアと相場が決まっている。村に残って牛馬の方がまだ大切にされる奴隷も同然の人生を送ることを思えば、新兵いじめなど苦にもならない。


 軍隊生活はそこそこ性に合っていた。陳都近郊の基地で一年ほど過ごした後、故郷にも近いシンユー共和国の国境にある監視哨へ配属されたのも幸運だった。極寒のルーシャや西の地の果てにあるアルメアの国境に送られたら目も当てられない。まともな飯、そして時々でいいから酒と女を買える金。人生にはそれだけあれば十分で、国のために命を懸けるつもりは毛ほどもなかった。


 だから、配属から五年が経ち、古参兵として幅を利かせられるようになった矢先にシンユー共和国を侵攻する先遣部隊への転属を命じられた時は不運を呪った。監視哨勤務で地理に詳しいことから、ヒルム山脈越えの先導役に任じられたのだ。


「貴様が先導役か」

「はっ。チャオフェイ伍長であります。本日より任務につきます」

「……ふん。せいぜい励むことだ」


 部隊を指揮するユン少佐は神経質なインテリといった風貌の人間で、他者を見下しているのを隠そうともしなかった。部下も指揮官に似るのか、チャオフェイを田舎者と馬鹿にして憚らない。事あるごとに古傷を見せびらかし、戦場帰りであることを自慢するのには心底うんざりさせられた。訓練中に山奥で置き去りにしてやろうと考えたのも一度や二度ではない。報復で殺されかねないので、実行はしなかったが。


「我らの任務はゲリラの根拠地となり得る村や集落の懐柔もしくは破壊である。敵はヒルム山脈を越えて東から攻撃をかけられることを想定しておらず、防衛戦力は皆無と言っていい。貴様らにとっては赤子の手を捻るより優しい作戦となろう」

 出発の前夜、ユン少佐の訓示に整列した兵たちが低い笑いを漏らす。

「シンユー共和国軍は僧兵――すなわち民間人を偽装する薄汚いゲリラども――が中心だ。諸君も知っての通り、ゲリラには交戦規定が適用されない。服の下に銃や爆弾を隠し持つ卑劣な輩には銃弾こそがふさわしい。女子供とて容赦はするな。私からは以上だ。独立第四大隊の諸君らには多大なる戦果を期待している。では、解散」


 戦果、という部分を妙に強調する少佐と、心得顔でそれを聞いている兵たちの姿に、言葉にならない嫌な感じを受けた。ともかく、出発は明朝と決まった。食事と睡眠は取れる時に取れるだけ取るべし。考えるのは止めて、寝ることにした。


 翌朝の冷えこみは一段と厳しかった。それもそのはず、窓外に目をやれば一夜にして雪が積もっている。秋が終わり、冬が訪れたのだ。起床ラッパで起き出した兵たちが、身震いしながら身支度を調えていく。シャイア帝国陸軍で制式採用している冬季装備一式だが、チャオフェイの目には薄着に過ぎると映る。


 下着や靴下の選び方に始まり、私物の外套や懐炉など、雪中行軍の助けとなる道具と知識は無数にあるが、チャオフェイを田舎者と馬鹿にした彼らに対して親切に教えてやる筋合いはない。せいぜい寒さに震えるがいい。


 一個大隊、総勢四百人がでトラックに分乗して山へ向かう。早朝であり、寒さもあって兵の口数は少ない。車の振動で固い座席に尻を打ちつけた者が悪態を吐くくらいで、皆が黙って両手をこすり合わせ、小刻みに身体を揺すっていた。


 せめて一週間、開戦が早まっていれば。十分な備えがあるとの自負はあっても、銃を背負って雪山を越えることを思うと憂鬱だった。主戦力は北と西から攻め入る機械化部隊と航空部隊であり、東から山脈越えを試みるチャオフェイたち歩兵部隊はそれに合わせて国境を越えるため、開戦予定の三日前まで待たされていたのだ。


「着いたぞ」


 小窓越しにトラックの運転手が短く告げる。


 トラックに乗っていたのはチャオフェイを含めて四十人。これを一小隊として、十組に分かれて行軍する計画だ。山中に四百人がまとまって休息を取れる場所は存在しないので、どうしても分散せざるを得ないのだ。


 先導役であるチャオフェイは先頭の第一小隊に入り、司令官であるユン少佐は第二小隊から前後の各小隊へ伝令を飛ばす手筈になっている。神経質に怒鳴り散らすあの男と別の小隊になって心の底からほっとした。


 国境まで直線距離で五〇キロ弱だが、先導役であるチャオフェイはただ先頭を歩けばいいというわけではない。先頭を進む第一小隊よりさらに先行して、道を確認しながら進む。普段は密輸業者しか使わない道はほとんど獣道のようなもので、雪に覆われてしまった今、どれがそうなのかを見分けるのは至難の業だ。


 天候も悪化の一途だった。内陸にあるヒルム山脈の雪は水分が少なく、風が吹けば舞い上がって視界を塞ぐ。足跡も残りにくく、チャオフェイの足跡を追っているはずの第一小隊がいつのまにか崖に向かって進んでいたのはひやりとさせられた。


 半日ほど行軍を続けたころ、小隊長から声をかけられる。


「伍長、後続の第二小隊と連絡が取れない。ひとまず待機だ」

「了解しました。では、風を除けられる場所まで移動しましょう」

「うむ……そうだな、頼んだぞ伍長」

 一時間後、追いついてきたのは疲労困憊した第三小隊だった。

「足跡が消えかけていて遭難するところだった。少佐はどちらに?」

 少佐の姿を探していた第三小隊長が、チャオフェイの姿を認めて顔色を変える。

「まさか……お前たちは第一小隊なのか? 第二小隊はどこへ行った」

「分からん。二時間前に連絡が途切れて、それっきりだ。そちらは?」

「こっちもだ。となると……」


 第二小隊はどこかで道を間違えて、遭難した可能性が高い。


 小隊長が顔を付き合わせて相談した結果、ユン少佐に次ぐ階級を持つラウ大尉の指示を仰ぐことに決まる。その間に第四小隊も追いついてきた。必然的に隊列は前後に伸び、吹きさらしの場所で待機を強いられる兵もいた。ここに長くは留まれない。


 階級が下なので黙っていたが、話を先に進めるために質問を投げる。


「で、そのラウ大尉ってのはどこにいるんです?」

「第十小隊だ。ここはやはり、雪中での行軍に慣れている伍長に連絡を頼みたい」


 マジかよ、と思わず声が出てしまった。幸い、口元はコートで隠れている。小隊長も聞こえなかったか、あるいは聞こえなかったことにしてくれたらしい。


「……では、第十部隊のラウ大尉に現状を報告、今後の方針について指示を受けてきます。余分な荷物は置いていきますので、よろしく頼みます」


 第二小隊が遭難したなら、一刻を争う。本来なら、呑気に指示を仰いでいる暇があったら一刻も早く遭難地点を特定し、一秒でも早く救助する必要がある。だが、おそらくチャオフェイがそれを進言しても聞き入れる連中ではない。


 愚かな内容であっても、命令は命令だ。第十小隊のいる場所まで向かうが、途中で第二小隊の残した痕跡を見つけたらそちらへ向かおうと腹の中で決める。銃などの重荷はその場に残して、最小限の荷物で移動を開始した。


 第五小隊、第六小隊とすれ違っても第二小隊の痕跡は発見できなかった。相変わらず雪は降り続き、粉雪は風で舞い飛んで痕跡を消していく。半ば諦めながら、後続の小隊とすれ違う度に事情を手短に説明し、道を戻っていく。


 結局、最後尾の第十小隊を見つけた時には日が沈みかけていた。


「……伝令だ。ラウ大尉はどこに?」

 手近な兵に尋ねると、大柄な髭面が進み出てくる。大尉の肩章。こいつだ。

「貴様、案内役の伍長だな。なぜこんな場所にいる。まさか脱走ではあるまいな」

 横柄な口ぶりにカチンときたが、後半は聞かなかったことにする。

「少佐の率いる第二小隊が行方不明。もう三時間以上、連絡が途切れていて足取りが追えません。大尉、貴方が最先任です。部隊全体への指示を願います」

「ゆ、行方不明だと! 案内役である貴様がよくものうのうと!」


 あからさまに動揺し、拳を振り上げるラウ大尉。こういう手合いか、と嘆息したくなる。報告役を押しつけられるわけだ。雪に足を取られて腰の入らない拳固をかわすのは簡単だが、あえて殴らせる。殴らせた方が話が早く進むと踏んだからだ。


 自分より体格の優れた相手に殴られるのは慣れている。

 気付かれない程度に受け流し、効いたふりをしてやれば相手は満足なのだ。


「……指示を願います、大尉。このまま立ち往生すれば、部隊は全滅します」

「むう……では伍長、先導役である貴様が責任を持って少佐と第二小隊を捜索せよ。然る後、宣戦布告の刻限までに先行した本隊と合流するのだ」

「ですが、大尉」

「復誦せよ、伍長!」

「……はっ。行方不明の第二小隊を捜索、先行した本隊と合流します」

「よし、行け!」

「了解です」


 チャオフェイが行方不明者を捜索するなら、誰が本隊を先導するというのか。大方、まっすぐ西へ進めばいいとでも考えているのだろう。ラウ大尉に指揮官としての判断力が欠如しているのは明らかだったが、もう指摘する気も起きなかった。部下たちも睨まれるのを恐れ、チャオフェイに同情の視線を向けるだけだった。


 そもそも、この部隊には引き抜かれてきただけなのだ。仲のいいやつがいるわけでもなく、シンユー共和国の侵攻作戦が終わればそれっきり。そんなやつらが愚かにも自殺まがいの真似をしようが、チャオフェイの知ったことではない。


 なぜこんな目に遭っているのか、段々腹が立ってきた。


「……このまま逃げちまうか」


 すでに第十小隊は先へ進んだ。

 チャオフェイを見ている人間は誰もいない。

 ぬるま湯の生活とちんけな役職。失うものと言えばそれくらいだ。

 裏社会に潜りこんで、マフィアの運び屋なりボディーガードなりやればいい。


「――。――――」


 そう決めた瞬間。

 銃声が聞こえてしまった。

 風に乗ってかすかに届く、人の声も。


「……谷の方向か。くそっ、俺もつくづく人がいい」


 膝まで埋まりそうになる雪をかき分けて、慎重に、なるべく速く。

 さっさと逃げた方がいいという直感を無視して、一歩ずつ進んでいった。



 四十人もいれば、道を外れたことに気付いたやつもいたはずだ。


 ユン少佐を恐れて進言できなかったか、あるいは少佐が進言を無視したか。


 道を外れた第二小隊は谷底へ迷いこみ、小規模な雪崩に巻きこまれたらしい。助けを求める声を聞きつけたチャオフェイが目にしたのは、足を挫いて身動きが取れなくなった少佐の姿だった。雪崩に巻きこまれて助かったとは悪運が強い。


「ユン少佐」

「……伍長か。遅かったな」

 強がるように引きつった笑み。足が痛むのだろう。

「真っ先に私を捜し当てた功績に免じて、案内に失敗したことは不問に付そう。私を背負って、衛生兵がいる場所まで連れて行け。さあ、早くしろ」

「少佐……生き残ったのは少佐お一人ですか?」

「そうだ。いいか伍長、余計なことは尋ねなくていい。貴様は黙って、私の言うことを聞けばいいんだ。第二小隊は雪崩に遭って全滅。先頭にいて危うく難を逃れた私を除いて、雪の下で窒息死した。残念だが、作戦中で死体を回収している余裕はない。我々は作戦の完遂をもって、彼らの犠牲に報いねばならんのだ。分かるな?」

「……はい。少佐、足の怪我に添え木をします。他にお怪我はありませんか?」

「そうだな。任せる」


 第二小隊は雪崩に遭って全滅。

 少佐の怪我は右足の捻挫。出血はない。


 ならば、なぜユン少佐の胸元は血に濡れているのか。

 どうして少佐の側にひとつだけ、雪の盛り上がっている箇所があるのか。


「背負います。痛むと思いますが、少しだけ我慢を」

「うむ……ぐっ!」


 少佐の腰には拳銃がある。

 湧き上がる疑問は、今だけは口にしてはならない。

 自分には関係ない。それだけを繰り返し念じながら、その場を後にした。



 その後、天候はさらに悪化。前後左右は愚か、前を行く兵の背中すら視認が難しい状況で、落伍者が続出。だが、ユン少佐は彼らの捜索を許さなかった。なんとしても開戦に間に合わせる。狂気すら感じさせる執念深さの少佐に反論できる者はおらず、独立第四大隊は疲労困憊の状態でシンユー共和国の国境に到達を果たした。


 死者、行方不明者は四百名のうち七十名。外傷と凍傷を合わせた負傷者は百数十名に達した。だが、撤退しようにも食料は尽きかけ、来た道を引き返せば全滅するのは目に見えていた。活路はただひとつ、他方面から侵攻してくる友軍との合流だ。


 国境を越える直前、ラウ大尉を中心とする別働隊が編制された。彼らはユン少佐から下された極秘任務のため別行動を取り、少佐自身が率いる本隊は近隣の村を拠点化し、ゲリラの根拠地となり得る村や集落の懐柔もしくは破壊に当たるという方針が示された。小部隊をさらに二分する、通常ならあり得ない決定だった。


 驚くべきことに、彼らには小型の軍用車両が二台も与えられた。潜入任務に就いていた工作員が準備したものだと説明されたが、あまりにも準備がよすぎる。ユン少佐が開戦に間に合わせることにこだわったのも併せて考えると、別働隊に与えられた任務こそ本命であり、ゲリラうんぬんは目眩ましではないかとすら思えた。


 しかし、チャオフェイに疑問を口にする権限があるはずもない。募る違和感を心の奥底に封じこめ、命じられた仕事だけをこなせばいいと自分に言い聞かせる。


 そして村や集落の懐柔もしくは破壊、という当初の目的から懐柔の部分が抜け落ちるまで時間はかからなかった。数は減ったがそれでも二百人に迫る武装集団は手近な村を襲っては略奪を繰り返し、わずかな抵抗を理由に虐殺することをためらわなかった。軍としての秩序などとうに失われ、行動は徐々にエスカレートしていった。


 村人を皆殺しにして仮の拠点を手に入れ、冬越しのための食料で腹を満たした彼らが次に求めるものなど決まりきっている。女だ。ほとんど無抵抗の民間人に対する暴力の行使を正当化するため、軍人としてあるべきモラルというものを麻痺させた彼らが、敵国民であり異民族でもある女を襲うのを躊躇するはずもない。


 現場に居合わせさえしなければ、見て見ぬふりもできた。

 実際、第二小隊が雪崩に巻きこまれた時はそうしたのだ。


「なあ、チャオフェイ。損はさせないからよ、ちょっと顔を貸しな」


 真相を察していても、命惜しさに口をつぐむ程度の正義しか持ち合わせない。それがチャオフェイという人間だ。救いようのないクズという点では彼らと変わりない。だが、たまたまその場に居合わせるどころか、誘われてしまったなら話は別だ。


「十八歳だとよ。まあ芋臭い顔なのはご愛敬ってやつだ」


 そいつにしてみれば、未だに部隊に溶けこめないチャオフェイに対する気遣いだったのかも知れない。一緒に悪事に手を染め、連帯感を得る。村の悪ガキで結託して、威張り腐ったクソじじいの畑を荒らした記憶が今になって蘇ってくる。


 確か、じじいはその冬を越せなくて飢え死にしたはずだ。


 原因を作ったのがチャオフェイたちなのは周知の事実だったが、彼は村人から嫌われていたので問題にもならなかった。それと同じこと。独立第四大隊が行った一切の悪行も明るみには出ない。目撃者は消して、関係者が口をつぐめば済んでしまう。


 それが許せなかった。

 違う、そうではない。


 許せない、などという正義感ではない。

 ただ、たまらなくなってしまって。

 気付いた時には、引き金を絞っていた。


 後頭部を撃ち抜かれた男は、下卑た笑顔のまま物言わぬ骸となる。

 女はその光景を目にしても悲鳴ひとつ上げず、黙ってチャオフェイを睨む。

 それでいい。感謝される筋合いはないし、そのつもりもない。


 だが、銃声を聞いて誰かが駆けつけてくるだろう。

 捕まれば、チャオフェイも命はない。


 死ぬのは嫌だ。浅ましくも、そんな感情が湧く。

 逃げろ、と手振りで伝えて、チャオフェイはそこから逃げ出した。

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