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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第十四話 舞い降りるは天上の湖水
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14-2

 稜線を越えると一気に視界が開ける。両肩にかかる百キロを超える重荷に耐え、額の汗を拭ったドルジは大きくゆっくりと息を吐いた。


 シンユー共和国の南東部、プマ村へと繋がる道を巡礼者の一行が歩く。頭上の雲は手が届きそうなほど近く、険しい山道を歩む彼らを先導するように流れていく。無駄口を利く者は一人としておらず、一行を率いるドルジも例外ではない。


 だが、一行を目にして彼が一団の長であると見抜ける者はまずいないだろう。誰よりも貧しい身なり、誰よりも重い荷物は、彼が巡礼する僧たちに付き従う卑しい生まれの荷運びであることを示している。僧としての名前である〝ノルブラマ〟ではなく、生来の名前であるドルジと呼ばれているのもそのためだ。


「おお、こんな辺境に人が来るとは珍しい」

 一行に声をかけてきたのは、馬にまたがって羊の群れを追う遊牧民の男だ。

「見たところ巡礼に来たようだ。歓迎するよ。さあ、付いてくるといい」


 男は羊の世話を仲間に任せると、そのまま一行を先導し始める。夏草が生い茂る湖畔にはいくつものゲルが並び、羊がのんびりと草を食んでいる。


「長よ、巡礼者が来たぞ。じゃ、俺はこれで」


 終始馬から下りることなく、案内を務めてくれた男が去っていく。代わりに迎えてくれたのは初老の男性だ。彼がプマ村の長なのだろう。


「巡礼の方々、よくぞいらした。我ら、プマ村のデチェン族が歓迎する」


 にこにこと笑いながら僧たちをゲルへと招いていた長が列の最後にいたドルジの前に立ち塞がる。彼は顔をしかめ、じろじろとドルジを眺め回してから、無言で顎をしゃくって中へと招き入れた。薄汚れた荷運びを客として迎え入れるのをためらったのだろう。腹を立てはしない。それでこそ、目的を果たせるのだから。


 ゲルの内部は広く、高さも大人が立って歩くに余りある。壁面は美しい装飾を施されたフェルトで覆われている。ドルジたちが迎え入れられた手前のゲルは客人を迎えるのにも使われる男たちのゲル、奥に続くのは女と子供たちのゲルだ。


 僧たちが遊牧民の用いる簡易な椅子に腰掛け、荷物を下ろしたドルジがその後ろに立ったまま控える。長は手ずからお茶を淹れる準備を始めるが、用意された茶器にドルジの分はない。ゲルに入れはしたが、客として扱うつもりはないらしい。


「長旅でお疲れでしょう。茶を飲まれるといい」


 馬のミルクに加え、高原では貴重な砂糖も入れた甘いお茶だ。疲れた身体にはさぞ染み渡ることだろう。僧たちも相好を崩して喜んでいる。


 垂らされた布をかき分け、女と子供たちのゲルから一人の男児が歩み出てきたのはそんな時だった。遅れて布の向こうから伸ばされた細腕をかわし、まだ二歳ほどと見受けられる男児は僧たちに向かって歩み寄り、微笑む。見知らぬ客を怖がるでもなく、愛嬌を振りまくかわいらしい様子に誰もが頬を緩める。


「ノルブラマ、おちゃ、のまないの?」

 男児がはっきりとドルジの顔を見つめ、そう口にするまでは。

「こら、邪魔になるからあっちへ行ってなさい」

「やだ、ノルブラマと遊ぶ!」


 男児は長に抱え上げられて奥へと連れて行かれたが、ドルジの心臓は常より早く脈打っていた。お茶を飲んでいた僧たちもちらちらとドルジに視線を送って寄越すので、怪しまれないよう目線で制する。確信を持つのはまだ早い。たとえ、ここを訪れてから誰も口にしていないドルジの僧としての名前〝ノルブラマ〟を彼が口にしたとしても、それだけで転生者だと決めつけるわけにはいかないのだ。


 お茶の時間が終わり、夕食まで時間ができた。長は女たちに命じて宴の準備を始め、僧たちは聖湖フバクへ祈りを捧げに向かった。僧ではないドルジは村に残るという体で、彼をノルブラマと呼んだ男児とさらに交流を深めることにした。ぶらぶらと歩き回り、よく調教された馬たちを眺めていると、男児がやってきた。


 おそらく、宴の準備で忙しい隙をついて抜け出してきたのだろう。彼とはじっくり話をしたいので、邪魔が入らないよう村外れへ向かって歩く。


「まって、ノルブラマ」

「静かに。連れ戻されてしまうぞ」

 唇に指を当ててみせると、男児はおおげさに口に手を当てた。

「お前の名は?」

「ピュンソク」

「そうか。デチェン族のピュンソク、お前はなぜ俺をノルブラマと呼ぶ? それは僧に与えられる名前であり、俺はただの荷物運びに過ぎないのだぞ」

 ドルジがそう言うと、ピュンソクはけらけらと笑う。

「だって、ノルブラマはノルブラマでしょ?」

「ふむ……」


 ピュンソクは確信を持ってドルジをノルブラマと呼んでいる。プマ村の長ですら、彼を僧だと見抜くことはできなかったにもかかわらず。期待と歓喜で表情が緩みそうになるのを押さえながら、ドルジは懐から数珠を取り出す。


「あっ、それ、ぼくのだ!」


 数珠を目にするなり、ピュンソクは叫んだ。その声を聞いて長がゲルから顔を出す。ドルジの持つ数珠に手を伸ばそうとするピュンソクは、駆け寄ってきた長に抱え上げられて暴れていたが、長はドルジにひと睨みくれるとゲルへと戻ってしまう。


 だが、それで十分だった。


 探し求めていた相手との二年越しの〝再会〟に、我知らず涙が頬を伝う。


「ツェリラマ様……お久しゅうございましたね」



 デチェン族のピュンソク――十三代目となるツェリラマの転生者――と荷物運びのドルジことノルブラマが出会う二年前、ツェリラマ十二世は天寿を全うした。彼はシンユー共和国における観教の最高指導者であり、国は悲しみに包まれた。


 しかし、悲しみは長くは続かない。ツェリラマは転生者であり、再びこの世に生まれ落ち、長ずればツェリラマ十三世として立つと定められているからだ。それまでの間は、ノルブラマを始めとする高僧が組織を預かることになる。


 とはいえ、転生者の捜索は容易ではない。過去には転生までに五十年かかった例や、見出されるまでに三十年かかった例も存在する。闇雲に探して見つかるわけもなく、僧たちは日夜を問わず祈りを捧げ、啓示を受けるべく行を重ねた。


 方角はほどなくして明らかになった。安置されていたツェリラマの胸上で組み合わされていた手がほどけ、南東を指していたからだ。その方面には聖湖フバクを始めとして観教における聖地が多く存在している。点在する村々のいずれかにツェリラマが転生する、あるいはすでに転生していることは間違いないと思われた。


 それから二年弱が経ち、今度は最年長のダーワラマ四世が夢の中で啓示を得た。蒼く輝く宝石が天から降り注ぎ、その後に暗雲が垂れこめて大地を覆い隠すという不吉な夢だ。これは天上の宝石とも讃えられる聖湖フバクと、虎視眈々とシンユー共和国を狙うシャイア帝国を示していると考えられた。


 もはや一刻の猶予もないと考えられた。聖湖フバクにほど近いプマ村を目指し、ツェリラマ捜索の任を帯びた巡礼団を送り出す決定が即座に下り、僧兵たちを束ねる立場を示すノルブラマの名を持つドルジが巡礼団を率いることになった。


「ノルブラマよ、必ずやツェリラマを見つけ出すのだ」

「なんとしても。シャイアの侵攻が始まる前に戻って参ります」


 プマ村を訪れたドルジは身分を隠したまま一晩を過ごし、自由に過ごせる時間や宴などを通じて村の子供たちと交流を図った。しかし、ピュンソクこそがツェリラマであるという確信は揺らぐどころか強まる一方だった。他の僧たちも同じ意見だったらしく、巡礼団は村を一度出てから、再びプマ村を訪れた。


 今度は巡礼団ではなく、転生者の捜索隊としてだ。衣装を改め、一団の長として姿を見せたドルジに村の人間は驚き、ピュンソクだけが不思議そうな顔をしていた。彼には伝統的な転生者への試しが課されることになったが、心配はなかった。


 ツェリラマ十二世の所有物と、よく似ているが他人の所有物。それらを過たず見分けること三度。デチェン族のピュンソクは十三代目のツェリラマであると正式に確認され、村は歓喜の声に包まれた。村から転生者を出すというのは、それほど栄誉あることなのだ。村人たちは皆揃ってピュンソクに向かって手を合わせ、彼の手や頭に触れたがった。そうすれば御利益があると信じているのだ。


 ピュンソクを中心にちょっとしたお祭り騒ぎになる中、ドルジの側にそっと寄ってきたのはピュンソクの父親でもある一族の長だった。


「そのう、偉いお坊様。あいつ……いや、ツェリラマさまになったあの子は、これからどうなるんで? まさか、連れてっちまうなんてことは……」

 その問いに対して、ドルジは首を振るしかない。

「首府メサムでツェリラマの帰りを待つ者は多い。もし望むのであれば一緒に来ても構わないが、そなたたちが親子として共に暮らすことはできない。それがあの子の運命。我らは強く賢い指導者を必要としているのだ」

「でも、あの子はまだ二歳で、何にも分かっちゃいないんです。さっきの試しだって、適当に選んだらたまたま当たっちまったに違いない。そうでしょう、こんなことあるはずない、こんなことが……そんな、あの子が、そんな……」

「愚か者め!」

 両手で顔を覆って膝をつく長を、ドルジは大喝する。

「ツェリラマとして転生する幸運をなんと心得るか! かの者はそなたの子であって、そなたの子にあらず。いずれ大悟に至り、衆生を救う第十三代ツェリラマなるぞ!」


 数千の僧兵を束ねるノルブラマの叱声を正面から受けて反論できる者は少ない。デチェン族の長といえど例外ではなく、恐れ入った彼は深々と頭を下げた。


 後年、ドルジはこの時のことを幾度も後悔することになる。迫り来るシャイアの脅威に心を縮こまらせ、己の弱さのまま、唐突に子を奪われる父親を怒鳴りつけてしまったのだ。愚かで、恥ずべき行いだった。忘れられようはずもない。


 だが、当時はそのことを認められなかった。否、自覚することすらできなかった。彼は目前の恐怖に眼を濁らせ、自らの正しさに凝り固まった僧兵でしかなかった。


「ノルブラマ」


 誰もが声を失う中、幼い声がドルジを貫いた。

 どこまでも透明でまっすぐな視線。

 記憶にあるツェリラマの眼そのものだった。


「ぼくはメサムへ行くよ。だから……」

「……すぐにもここを発ちます。家族に別れを告げてください、ツェリラマ」


 素直にうなずくピュンソクの顔をそれ以上は見ていられなかった。声を荒げ、出発の準備を急がせるドルジに僧たちは黙って従う。村人たちは冷や水でも浴びせかけられたかのように散っていき、幼いながらも別れを告げるピュンソクと、慟哭し、あるいはむせび泣く家族の姿だけがそこに残された。

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