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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第十四話 舞い降りるは天上の湖水
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14-1

「金さえもらえば何でも運ぶとは言ったがよ」


 東方シャイア帝国が誇る工業都市、陳都。深夜のスラム街を一台のトラックと、それを追う軍警の装甲車両が走り抜ける。逃走するトラックの車内でハンドルを握るシャイア人の運び屋、チャオフェイが肩をすくめ、ぼやいた。


「軍警を連れてのお出ましとは恐れ入るね。坊さんたち、何をしでかした?」


 顔の印象をそこに集中させるためにかけた眼鏡と、注意を引かない無個性な服装に身を包んだチャオフェイを、助手席に座る僧が睨みつける。年齢はおそらく五十代半ば、チャオフェイとは親子ほども離れているが、鍛え上げられた体躯はただそこにいるだけで周囲に威圧感を与える。拳の一撃で人を黙らせるのも容易いだろう。


「無駄口を利くでない、運び屋よ。そなたは黙って仕事をすればよいのだ」


 他者への命令に慣れた、重々しい言葉。

 だがチャオフェイに黙るつもりはない。


「おっと、そっちこそ言葉には気をつけた方がいい。今すぐ車を停めて、あんたらを軍警に引き渡したっていいんだぜ。見たとこ、後ろの坊さんが目当てだろう?」


 幌をかけた荷台に視線をやる。荒い運転で振り落とされていなければ、二十台半ばほどの若い僧が一人いるはずだ。年嵩の無骨な僧に連れられて待ち合わせ場所に姿を現した彼は、軍警に追われているという状況を理解しているのかいないのか、泰然とした様子で荷台に乗りこんだ後は一言も発していない。


 二人を観察していれば、チャオフェイの運ぶべき『積み荷』がどちらなのかは一目瞭然だった。常に若い僧をかばう位置に立ち、周囲に油断なく視線を配る年嵩の僧。鍛え上げられた肉体は、彼が若い僧を護衛する僧兵であることを物語っている。


 だが、脅しをかけられた僧兵は意外にも口を歪めるようにして笑った。


「試してみるがいい、運び屋。ブレーキを踏んだ瞬間にそなたの顎を砕き、車外に放り捨ててくれよう。そのまま落命したならむしろ運がよい。生きて軍警に捕まれば、見てはならぬものを見たとして拷問にかけられ、最後には頼むから死なせてくれと懇願しながらじわじわと死に至る、悲惨な末路を迎えるであろうな」

「おお、怖い怖い。精々ハンドル操作を誤らないようにするさ」

 職業柄、脅しには慣れている。肩をすくめて前に向き直る。

「それで? 俺が受けたのはサルシア連盟の国境を越えて、シンユー高原のフバク湖まであんたらを連れていく仕事であって、後ろについていらっしゃる軍警さんの先導は業務外なんだが、あれはあんたが何とかしてくれるんだろ?」

「言われるまでもないわ、運び屋め」

 怒気を孕んだ声音で僧兵が続ける。

「そして忘れるな。我らはシンユー共和国の聖なる湖、フバクへと向かうのだ」


 シンユー共和国の名を僧兵は強調する。まだ〝東方〟が付く以前のシャイア帝国が十年前に併合し、世界大戦終結後の混乱と内戦によって帝国が分裂した結果、現在は南シャイアことサルシア連盟の領土となった亡国の名だ。マナルナ聖教国で亡命政府を設立した彼らにとって、まだその国は滅びてなどいないのだろう。


「シンユー共和国の聖なる湖、フバクね。はいはい、お客さんがそうおっしゃるならそういうことにしておきましょうか……って、おい、あんたそれ」


 運転しつつも探りの会話を続けていたチャオフェイは、僧兵が懐から取り出した代物にぎょっとする。短い線が付いた、拳大の物体。以前、似たようなものを見たことがある。手製の爆弾だ。僧兵は一切の躊躇なく導火線に火を付け、窓から放る。


 きっかり二秒後、後方で閃光と爆音が弾ける。バックミラーで確認すると、建物に突っこんだ軍警の装甲車両が炎上して人が飛び出してくるところだった。


「……あー、ここ数日の爆弾騒ぎって……いや、いい。聞きたくない」

「いかにも、拙僧の手によるものなり」

 誇らしげに肯定され、チャオフェイはため息を吐く。

「爆弾テロは共犯者も含めて死刑だぜ? ま、知っててやってるんだろうがな」


 他の国ではどうか知らないが、ここ東方シャイア帝国では国家に反逆する者に人権は認められない。疑わしきは罪、片っ端から拘留、拷問は日常茶飯事、無罪判決は皆無、刑は即時執行。二年前の敗戦――大陸戦争と央海戦争を合わせた『双子の戦争』の講和条約締結――その直後に内戦が起こり、一年弱の争いを経て四つに分裂したシャイア帝国の〝正統なる後継者〟を自称する東方シャイア帝国では、分離独立運動を嫌った治安機構が厳しい締め付けを行うようになっているのだ。


 人と物の移動制限は経済を停滞させ、消費を鈍らせる。戦後不況に追い打ちをかけられる形となった東方シャイア帝国は深刻な不況と失業率の増加、それに伴う治安の悪化に苦しんでいた。同時に、それに呼応するように裏の経済が勢力を伸ばし始めた。チャオフェイのような運び屋はその末端に位置する指先のような存在だ。


「やれやれ、俺は何の片棒をかつがされてるのかねぇ」


 以前の仕事でつまらないドジを踏んで、その埋め合わせとして組織に命じられたのが今回の仕事だった。余計な詮索はせず、黙って仕事に励むのが賢い生き方だと自分でも分かっている。仕事の意味を知ろうとしてしまうのは、ただの悪癖だ。


「もう追っ手はおらぬ。速度を落とすがよい、運び屋」

「はいはい。ところでよぉ、坊さん」

 車両に追跡されていないことを確認して前へ向き直った僧兵に問いかける。

「俺は神さまってやつを信じてなくてさ。あんたらの信じてる……観教って言ったっけか、それにも詳しくないんだよ。フバク湖の近くにも一回だけ行ったことがあるけど、ちんけな村があるだけの馬鹿でかい湖だろ? さっきは聖なる湖とか言ってたけど、今さらそんな場所に何の用があるんだい?」

 僧兵は軽蔑をこめてチャオフェイを睨む。

「適当な言葉を並べおって、痴れ者めが。かの地に村があったのは十年も前のこと。そなた、本当に道案内として信用できるのだろうな?」

「そうだったかい? じゃあ村の件はそうなのかもな。だがまぁ、道に関しては安心してくれ。一回でも通った道は忘れないのが自慢なんだ」

 僧兵は信用できないと言いたげに眉間のしわを深めながらも返答する。

「……かつて聖湖フバクのほとりにはプマ村という遊牧民の集落があった。さっきも言った通り十年前のことだ。今はもう滅びて、わずかに痕跡が残るだけだ。標高にして五千メートルを超えるかの地では冬季に湖が凍結し、その透き通った蒼の厳かさから天上の宝石と讃えられ、昔から遊牧民の素朴な信仰を集めておった」

「うん? 観教じゃないのか?」

 チャオフェイが口を挟むと、僧兵は苦虫を噛み潰したような顔をする。

「黙って聞いておれ。そもそも観教の始まりは今より二千五百年前、シンユーの地に教えがもたらされたのはそれより三百年が経ったころだ。開祖ダーラムの弟子ツェリラマは過酷な旅の果て、フバク湖で行き倒れた。そこで遊牧民に助けられ、その礼として教えを広めたのだ。観教の国シンユーの歴史ははここより始まった」

「なるほど、建国の地ってわけだ。そういうのなら俺にも分かるぜ」

「それだけではない。かの地においてはその後も幾度となく奇跡が起き、数々の転生者がプマ村で生まれた。そもそもツェリラマが聖湖を訪れたのは我らが崇め奉るアヴァスヴァラの導きによるものと……いや、そなたに説いても詮無きことか」

「転生者ってのは?」

「生きとし生けるものは輪廻の内にある。中でも高き徳を持つ者は前世の記憶を残したまま再びこの世に生まれ落ちる。そうした者を我らは転生者と呼ぶのだ」

「……ふうん。そんなもんがいるのかね」


 正直なところ、怪しげな教えとしか思えない。

 チャオフェイが聞き流しているのに気付き、僧兵も説明をやめる。


「先は長いぜ。坊さんは少し眠ったらどうだ?」

「必要ない」

「そうかい。ま、好きにしてくれや」


 僧兵は鼻息を返答に代えた。


 トラックはスラム街を抜け、陳都からシンユー方面へ向かう道路を走っている。この先で検問があるが、警官には予め鼻薬を嗅がせてある。その先は国境まで一直線だ。警察と軍警は別組織で仲が悪いので、軍警が恥を忍んで協力を求めない限り、チャオフェイたちが止められる可能性はないと言っていい。


 国境線の警備も問題にはならない。東方シャイア帝国はシャイア帝国の分裂を認めておらず、自らは東部方面を管轄しているに過ぎないという建前なので、行き来を妨げるような壁やフェンスが設置されていないためだ。


「……どいつもこいつも、見えもしないもんがそんなに大事かね」


 エンジンの音に紛れる小さな声で、チャオフェイがつぶやいた。

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