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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第十三話 コーヒーは天空に薫り高く
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13-6

 アルレヒトでの出店から六日、天候に恵まれたのもあって〝ブルーキャノピー〟を訪れる客は相変わらず絶えることがない。リックが評した通り、アンジェリカには分からないコーヒーの味の違いが分かる、舌の肥えた客が多いのも一因だろう。


「アン、ちょっと」

 リックが手招きするのを見て、いよいよかと覚悟を決める。

「在庫は?」

 アンジェリカの問いかけに、リックが首を振る。

「お昼までだね。豆が間に合わなければ、店を閉めるしかない」

「……そっか。うん、だよね」


 フェルとユベールが経営するトゥール・ヴェルヌ航空会社と交わした契約は今日中の到着というものだ。アンジェリカたちの駆る〝ブルーキャノピー〟では空荷のまま不眠不休で飛んで何とか往復できる距離を、彼らはコーヒー豆の仕入れと積みこみ、エングランド王国に寄っての焙煎もしながら飛んでいる。今日中に到着できるだけでも奇跡のようなもので、昼までに到着する見こみは限りなく薄い。


 おそらく、彼らは間に合わない。

 少なくとも、そんなに早く飛べる航空機をアンジェリカは知らない。


「仕方ない。お客さんとエルネストさんに謝って、豆が届くまで店は閉めよう」


 リックの言葉に黙ってうなずき、仕事に戻ろうとしたその時、遠くからエンジン音が聞こえてきた。徐々に近付いてくるそれに一縷の望みを託して、空を見上げる。小さな点のように見えたそれはあっという間に大きくなっていく。


「まさか……ほんとに?」


 陽光を反射して輝く、純白の飛行艇。


 軽く翼を振ってフライパスする機体の側面には〝ペトレール・ブランシェ〟という機体名が優美な書体で記されている。もう間違いない。トゥール・ヴェルヌ航空会社の二人、フェルとユベールが戻ってきてくれたのだ。


「喜ぶのはまだ早いよ、アン。トラブルで引き返してきたのかも知れない」

 大きく手を振って歓迎するアンジェリカに、リックが水を差すようなことを言う。

「ちゃんと運んでくれたよ、大丈夫」


 請け合ってみせたのには根拠がある。アンジェリカには、後席から手を振り返すフェルの口元に笑みが浮かんでいるのがはっきり見えたからだ。


「そうか……アンが言うなら、そうなんだろうね」


 ペトレール・ブランシェはアルレヒトの中央、豊富な水量と広大な面積を誇る湖の方へと下りていく。それからしばらくして、豆袋を担いだユベールと手ぶらのフェルが姿を見せた。二人はさして疲れた様子もなく、微笑みすら浮かべていた。


「ただいま、アンジェリカ」

 ひらひらと手を振るフェル。ユベールは担いでいた袋をリックに渡す。

「とりあえず一袋だけ運んできた。中身を確認してくれ、リック」


 ユベールに渡された袋に飛びついたリックは、少量を取り出しハンドミルで挽いて香りを嗅いだり、実際にコーヒーを淹れて味を確認している。彼は何度かうなずき、それからユベールに片手を差し出す。どうやら満足いく品質だったらしい。


「ありがとう。完璧な仕事だった」

 ユベールは満足げに笑って、リックと握手を交わす。

「どうも。さて、俺たちは仕事の邪魔にならないようホテルに戻る。流石に眠くてな、夕方まで一眠りさせてもらうとするよ。依頼の話はその時に」

「ああ、本当に助かった。おいしいコーヒーをご馳走するよ」

「楽しみにしてるさ。ほら、フェルも行くぞ」

「分かった。アンジェリカも仕事をがんばってくれ」

「うん、ありがと」


 昼を待たずして元々の在庫は底を突き、ユベールが運んできた豆をその都度ハンドミルで挽きながら提供することになった。リックだけでは手が回らず、操縦のために腕力があるアンジェリカが豆挽きを担当することになり、客足が落ち着く夕方までにはすっかりくたくたになり、手の震えが止まらなくなっていた。


「もう無理。ほんと無理」

「お疲れさま、アン。サーブも僕がやるから、休んでていいよ」

「ん、ありがと」


 お言葉に甘えて、空きテーブルで休ませてもらう。リックが運んできてくれた温かいカフェオレがこの上なくおいしくて、思わず笑ってしまうほどだった。


「やあ、アンジェリカ。繁盛しているかい」


 いつの間にかうとうとしていたアンジェリカに、悪戯っぽい声がかけられる。飛行に適したラフな格好から、瀟洒なドレスに着替えたフェルがそこにいた。隣に立つユベールは相変わらずのフライトジャケット姿だが、不思議と絵になる二人だった。


「二人とも、いらっしゃい。ああ、もうこんな時間なんだ……」


 太陽は稜線にかかり、あたりは薄暗くなりつつあった。二人の注文を聞いてリックに伝えてからランタンを用意する。虫寄せ用の強力なものをやや遠くに、もうひとつはアンティークの小ぶりでかわいいランタンをテーブルに置く。


 その間、フェルとユベールはコーヒーを淹れるリックの仕事ぶりを間近で眺めていた。使っているのはもちろん彼らがその手で運んできた豆だ。


「どうぞ。貴方たちのおかげで、どうにか明日からも営業できそうです」

 リックからカップを受け取った二人は、香りを楽しんでから口を付ける。

「うん、やはり旨いな」

 上品に微笑むフェルに対して、ユベールは何やら思案している。

「仕入れルートを実際に飛んでみたが、コーヒー農園も焙煎屋も特別には見えなかった。かなり深く煎ってあるようだが、それだけでこうも違うものか?」

「僕も到着した日にホテルで飲みましたが、正直なところ期待外れでしたね。だからこそ、僕たちのコーヒーが好評をいただけているわけでもありますが」

 ユベールの疑問に対して、リックは淡々と言葉を継ぐ。

「お礼も兼ねて、お二人には〝ブルーキャノピー〟のコーヒーについてお教えします。さあ、テーブルに着いてください。とっておきのチョコを出しますから」


 フェル、ユベール、アンジェリカがそれぞれのカップを手にして席に着き、最後にリックが自分のコーヒーと四人分のチョコをトレーに乗せてやってくる。ケルティシュ共和国のチョコレート専門店でしか手に入らない、リキュールを練りこんだ高級チョコで、とろけるような果実のフレーバーが口中に溢れる一品だ。


 四人でチョコをつまみつつ、ストロベリーやオレンジ、杏子やココナッツの味わいとコーヒーとのマリアージュをしばし楽しむ。そうしてカップを半分ほど空けたところで、皆の視線がリックへと向く。彼は軽くうなずいて切り出した。


「そもそも〝ブルーキャノピー〟のコーヒーが特別においしいかと問われれば、答えはノーです。僕がしたのは、ここアルレヒトで普通においしいコーヒーを淹れること。ちゃんとしたカフェやホテルなら当たり前に出せる味を出しただけなんです」

 普通に、の部分を強調してリックは言った。

「僕たちの雇い主、エルネスト氏は味の分かる人物です。当然、自身の経営するホテルでは上質な豆と腕のいいバリスタを揃えているはずです。にもかかわらず、ホテルを含めてアルレヒトで飲めるコーヒーはどれもおいしくない。なぜでしょう」

「人と品物に問題がないなら、場所が悪いということか?」

 リックの問いかけに首をかしげるフェル。

「このアルレヒトに特有の条件……そうか、標高か」

「ご名答です、ユベールさん」


 アルレヒトは世界でもっとも標高の高いリゾートを謳い文句にしている。標高三千メートルに位置するこの地は、風光明媚な景色を楽しめる夏の避暑地としても、雄大な山々に抱かれた冬のスキーリゾートとしても理想的だ。


「標高がコーヒーの味にどんな影響を与えるんだ?」

 一人で納得した様子のユベールに代わって、フェルが問う。

「例えば、水を入れたケトルとコンロがあるとしましょう」

 カップをケトルに、ソーサーをコンロに見立ててリックが説明を始める。

「通常、水は百度で沸騰します。しかし、標高三千メートルを超えるアルレヒトではより低い温度……約九〇度で沸騰が始まります。そして、それ以上の温度にはどうやってもならない。まあ、圧力鍋なんかを使えば話は別ですけどね」

「圧力……そうか、気圧の問題か」

「ええ、そしてコンロを離れた瞬間からお湯の温度は下がり始め、フィルタに入ったコーヒー豆に注いだ瞬間にさらに下がります。豆を蒸らす二十秒から三十秒の間にも、手に持ったままのケトルの中では刻一刻と水温が下がり続けていきます。コーヒーの抽出に適しているとされる水温を下回るまであっという間です」

 喋りながら、リックはカップをソーサーへ戻す。

「なるほど、余所のバリスタが低地と同じ豆と手順で淹れると、抽出が不十分でぼんやりした味のぱっとしないコーヒーができあがるってわけだ」

 ユベールの言葉にリックがうなずき、説明を締めくくる。

「その通り。だから、この場所でコーヒーを淹れるなら、低温でも成分が抽出されやすい豆を極深煎りにして、ケトルはなるべくコンロから離さず水温を維持しなくちゃいけない。逆に言えば、それだけ守れば普通においしいコーヒーが飲めるんです」

「おもしろいな。訪れた国や土地の条件に合わせて豆の選定から焙煎の程度、淹れ方まで調整する、空飛ぶコーヒー屋ならではの気遣いってわけだ」

 感心した様子のユベールに、フェルも同意する。

「アルが喜びそうだな、ユベール」

「アルって? 知り合いの名前?」

 唐突に出てきた人名をアンジェリカが確認すると、フェルがうなずく。

「今回の仕事が終わったら、君たちに紹介しようと思っていた人物の名前だ」

「ああ……あたしたちに頼みたいって言ってた仕事のこと」

「そうだ。用事のあるわたしたちに代わって、君たちには機体の修理が終わり次第、砂漠の国サウティカに飛んで欲しい。頼めるだろうか」


 リックと顔を見合わせる。返答は確認するまでもなかった。



 砂漠の国、黒い泉の湧く国、サウティカ王国。


 エストリア共和国アルレヒトでの仕事を終え、愛機〝ブルーキャノピー〟の修理も終えたリックとアンジェリカは、依頼人のエルネスト氏に惜しまれながらかの地を離れた。エングランド王国、ブレイズランド諸島を経由する三日の行程で、ユベールに指定されたサウティカのウルマハル離宮を訪れる。


 貨物室にはトゥール・ヴェルヌ航空会社から託された世界各国の珍しい文物や希少な酒が積まれている。彼らは例年この時期に離宮を訪れるそうだが、今年に限っては別件の依頼が重なり、代わりに荷物を届けてくれる会社を探していたらしい。


 こちらとしては新たな仕事先を紹介してもらった形になる。配達料と紹介料、そのわずかな差額を前払いで受け取って、はるばる飛んできたのだ。予想を遥かに上回る熱気に閉口しつつ、離宮のすぐ手前にある滑走路へと機体を寄せていく。


「アン。あの滑走路、蜃気楼で見える幻だったりしないかな」

「死ぬほど暑いのに笑えない冗談はやめて、リック」


 アルレヒトに続いてここでも着陸に失敗するようなら、飛行機乗りとして引退を考えた方がいい。暑さと緊張でぬめる手をズボンで拭い、操縦桿を握り直す。万が一にも高価で貴重な貨物にダメージを与えないよう、慎重にタイヤを接地させた。


 柔らかくブレーキ。滑走路は長さも幅も十分で、凹凸も少ない。やはり金のある国は違う。機体は離宮の正面でぴたりと停止する。完璧な着陸だ。


「はあー、到着……ねえリック、冷たいものが飲みたい……」

「お疲れ、アン。落ち着いたら何か作ってあげるよ」


 着陸した〝ブルーキャノピー〟に白い布で全身を覆った男が近付いてくる。彼は軽く手を挙げて挨拶すると、共通語でエルリヒと名乗った。彼に事情を説明して、託された貨物と自分たちの荷物を離宮に運び入れた後、不思議なことを言われた。


「それから、あんたたちの飛行機、場所を変えた方がいいぞ。三十キロ先に別の飛行場と格納庫があるから、そっちに行ってくれ。迎えの車は出すから心配するな」


 妙なことを言う男だと思った。ここに滑走路があるのに、わざわざ遠くの飛行場へ行けと言う。あるいは王族の離宮に下々の飛行機など置いておけないということだろうか。カフェを開く可能性があるからと抵抗するリックを黙らせるのが大変だったが、主目的は別であること、紹介してくれたフェルとユベールの顔を潰しかねないことを理由に説き伏せ、渋々ながら納得させることに成功した。


 再び飛び立って指示された飛行場へ機体を下ろし、迎えに来た車で離宮へ舞い戻る。ようやく割り当てられた部屋へ落ち着いたころにはくたくただった。幸い、屋内は風通しがよく過ごしやすかったので、水浴びをして眠りに就いた。


 その翌日。


「ユベールの紹介で訪れた空飛ぶコーヒー屋とはそなたたちか!」

 フェルが言うところの〝アル〟――サウティカを治める国王アルエルディア・アル・サウルカ二世――への目通りが叶った。アルメアの片田舎の育ちで王侯貴族に対する礼儀などまともに知らないアンジェリカとリックをおもしろがり、尊大ではあるが親しげな口調で話してくれる鷹揚な人物だった。


 初めこそがちがちに緊張していたが、アンジェリカはアルエルディアという人間に対して、すぐに好感を抱いた。リックも同じだったようで、彼に求められるままにこれまで旅してきた国々やそこで出会った人々や出来事について話したり、一緒にコーヒーを楽しんだりしているうちに数日が経っていた。


 翌日、アンジェリカは雨音で目覚めた。雨期に入ったのだとエルリヒに教えられ、さらにその翌々日には彼の助言が正しかったと知ることになる。


「湖に浮いてる……」

「そうか、例年この時期に訪れるって言ってたね。こういうことか……」


 エルリヒとアルエルディアに誘われ、リックと一緒に船で湖に漕ぎ出す。

 砂埃にまみれた、くすんだ青の離宮はもうどこにも存在しない。


 外壁を雨に洗い流され、鮮やかな蒼へと変わった湖の離宮。

 フェルもユベールも詳しく説明しなかった理由が、心の底から理解できた。

第十三話「コーヒーは天空に薫り高く」Fin.

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