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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第十三話 コーヒーは天空に薫り高く
86/99

13-4

 目の回るような忙しさだった。テーブルは早々に埋まってしまい、テイクアウトの紙コップでコーヒーを受け取ってそのまま散策に向かう客も多い。勘定が依頼者持ちで、会計の手間がないから辛うじて回せているようなものだ。


「三番テーブル。コーヒーふたつ、カフェオレ、ブラッディ・メアリー、オムレツサンド、ツナサーモンサンド、ナッツ&ドライフルーツ。よろしく」

「了解。アン、これを一番テーブルへ」

「オッケー、任せて」


 山間のリゾート、アルレヒト村に到着した翌日。ようやく開店にこぎ着けた飛行機カフェ〝ブルーキャノピー〟に来店する客は引きも切らなかった。不時着まがいの来訪で注目を集めていたのに加えて、ホテルのオーナーであるエルネストの宣伝、前夜から降り続く雨で午前中はホテルに閉じこもっていた客が多かったのが理由だろう。


 この雨はリックとアンジェリカにとっても恵みの雨だった。依頼主のエルネストの協力も得て、村の市場だけでは手に入らなかった食材をホテルから融通してもらったのだ。特にパン釜で焼きたての上質で柔らかいパンを使えるのは大きい。


 ブルーキャノピーの機体側面には開口部があり、開くと差し渡し二メートル弱のカウンターが姿を現す。日除けとメニューを記したボードを取り付ければ、それだけで立派にカフェが営業できるようになっている。リックが作った料理やカップを配膳し、空いた皿やカップを下げる。アンジェリカがゆったりと配置されたテーブルの間を早足に歩いていると、客の交わす会話が耳に入ってくる。


「雨でハイキングがおじゃんになったが、こういうブランチも悪くないな」

「ええ、本当に。飛行機のカフェなんて初めてだわ。素敵ね」


 裕福そうな熟年の夫婦だ。穏やかな風に吹かれ、羊がのんびりと草を食む光景を眺めながらサンドイッチとコーヒーを口に運んでいる。世界各地で店を開いてきたが、ここアルレヒトはもっとも気持ちのいい場所のひとつと言えるだろう。


「味も悪くない……どころか、ホテルのコーヒーより旨いな」

「そうね。とっても腕のいいバリスタがいるみたい」


 交わされる会話を聞いて、アンジェリカは口元が緩むのを抑えられなかった。


 新鮮な食材を用いたシンプルな軽食、訪れた国々で手に入れた珍しい酒とそれを用いたカクテル、産地と焙煎にこだわったコーヒー。リックの仕事は手際がよく、それでいて丁寧で、手を抜いたところがない。飛行機を客寄せの看板代わりにした移動式のコーヒースタンドと侮り、大して期待もせずに料理やドリンクを口にした客がその旨さに目を瞠る光景を見るのはアンジェリカの密かな楽しみだった。


 日が傾き、山の斜面が燃え上がるような赤に染まる時刻になると、その足元に広がる草原には影が差しこむ。夏とはいえ陽が当たらなくなると肌寒くなってきて、新規客も途絶えて一息付けるようになった。残った客は一人でカップを傾ける老紳士と、やや歳の離れた男女が一組。老紳士がごちそうさまと微笑んで席を立ったので、カップを片付けたアンジェリカはキッチンに立つリックの側へ戻る。


「アン、これを」

「え、注文あったっけ?」


 ミルクでクローバーを描いたカフェラテを目の前に置かれて困惑するアンジェリカに、リックはおかしそうに口元を押さえて笑いながら言う。


「君にだよ、アン。一日お疲れさま」

「……ん、ありがと」


 機体にもたれ、カップを口に運ぶ。砂糖とミルクの濃厚な甘さが、疲れた身体に優しく染み渡り、熱を与えてくれる。ほっとため息を吐いて、そんな自分をリックが見つめていたことに気付く。何となくそっぽを向き、一息にカップを干した。


「そんなに慌てたら火傷するよ」

「……うるさいな、まだ仕事中だろ」


 テーブル席で談笑する最後の一組の方に目をやる。男は雰囲気からして飛行機乗りだろう。年齢は三十代半ばで、ダークブラウンの髪と灰色がかった空のような蒼い瞳はこの場にいながらどこか遠くを見つめているような印象を見る者に与える。世慣れていて斜に構えたような、それでいて育ちのよさを感じさせる顔立ちだ。


 しかし、やはり目を引くのは男の対面に座る女性だった。実のところ、彼女がカフェを訪れた瞬間からずっと気になって、ついつい見とれてしまっていた。


 同性であるアンジェリカでも胸が高鳴ってしまいそうな美人。表情によって十代にも二十代にも見える完璧に整った容貌、谷間に差した影の中にあってなお輝いているような錯覚を与える、肩まで伸びた雪白色の髪。すらりと伸びた手足を、優雅で洗練された所作がより綺麗に見せている。神秘的なすみれ色の瞳と同じ色のワンピースをまとった彼女は、絵画か映画の中の登場人物のようだった。


「……アン、聞いてる?」

「えっ? ごめん、聞いてなかった」

 女性に見とれていて、リックに声をかけられたのに気付かなかったらしい。

「だから、コーヒー豆の在庫の話。このペースだと、おそらく一週間もたない」

「……そっか。この客入りだもんね」


 カフェの生命線、コーヒー豆が足りない。


 不時着時に袋が破れて散らばったり、酒浸しになって失われた豆も多い。そこに来て今日の盛況ぶりでは、二週間の予定で持ちこんだ豆が足りなくなるのも当然だった。コーヒーを切らしたカフェなど問題外で、早急に対応しなくてはならない問題だ。


「ホテルにも豆くらいあるだろ。エルネストさんに頼んで分けてもらえば……」

 アンジェリカの提案をリックが一蹴する。

「ダメだ。産地も焙煎も問題外。せめて生豆があれば焙煎で何とかと思ったけど、どっちみち営業が終わった後に翌日の豆を全て焙煎する時間なんて確保できない。この村にある焙煎済みの豆じゃまともなコーヒーを淹れるのは不可能だ」

「あたしには違いなんて分からないけど」

「アンはね。けど、ここには舌の肥えた客も多い。初日よりまずいコーヒーを出したら、客足は一気に離れるよ。そうなったらエルネスト氏にも顔向けできない」

 分かってはいたが、ずけずけと失礼なことを言う男だった。

「お前さ……ホテルの仕入れ担当とあたしに謝りなよ」

「どうして? 僕は事実を口にしているだけだ」

「はあ……そうですね、あたしには味なんて分かりませんよーだ」


 自分が正しいと主張するリックには何を言っても無駄だと経験で知っている。ため息をついてそれ以上の反論を飲みこみ、話を前へ進めることにする。


「ともかく、コーヒーなしじゃどうにもならないだろ。考えはあるの?」

「うん、だから豆が切れ次第、契約を打ち切ってもらうようエルネスト氏に頼む」

「ばっ……それこそ大赤字だろ! 機体の修理代はどうすんのさ! このまま飛び立てなくなったら次の仕事にも行けなくなるってのに!」

「声が大きいよ、アン。それに仕方ないだろ。コーヒーの味だけは妥協するわけにはいかない。それじゃこの仕事をしている意味そのものが失われてしまうからね」

 ぐっと反論の言葉に詰まる。しかし、アンジェリカにも譲れない一線はある。

「忘れたの、リック。修理しないと〝ブルーキャノピー〟はここから動けないんだよ。つまり操縦士としてのあたしの仕事はここにない。飛べもしない飛行機を飾りにここでカフェをやってくってなら自由だけど、あたしは地べたに張り付いてウェイトレスの真似事で人生を終えるつもりなんてないから」

 感情に任せて一息に言い切ったアンジェリカに、リックはうなずく。

「うん、アンはそうだろうね。引き留めるつもりはないから安心して欲しい。大丈夫、僕は飛行機に関して素人だけど、アンの腕ならどこだってやっていけるさ」

「なっ……お前、本当にそれでいいわけ?」


 そんな言葉を聞きたいわけではなかった。何より、口調に反して寂しそうな表情を見せるリックに言ってやりたいことが沢山あった。まだ客がいることなど頭から飛んでしまって、思いっきり怒鳴りつけてやろうとした、その時。


「ちょっといいだろうか」

「ひゃっ」


 横合いから声をかけられて、小さく悲鳴を上げてしまった。恥ずかしさで顔が熱くなる。誰かと思って視線を向ければ、そこには雪白色の女性がいた。


「え、お客さん……?」

「すまない。驚かせるつもりはなかったんだ」


 どこか浮世離れした美しさと、それにそぐわない中性的な喋り方。上手く反応できずに固まっているリックとアンジェリカに、女性が自己紹介の言葉を口にする。


「わたしはフェル・ヴェルヌ。トゥール・ヴェルヌ航空会社の航法士だ。あちらは操縦士のユベール・ラ=トゥール。盗み聞きするつもりはなかったんだが、君たちの話が耳に入ってしまってね。よければ、もう少し詳しい事情を教えてもらえないだろうか。もしかしたら、わたしたちが君たちの力になれるかも知れない」


 フェルと名乗った女性は、やや固めの口調ではあるが流暢に喋っている。中性的な口調はあえてそうしているのだろうか。ユベールと紹介された男の方は、仕方ないとでも言いたげな苦笑を浮かべ、紹介に応えて手を挙げている。


 こちらの返事を待つように微笑を浮かべるフェルを風が撫でる。肩口まで伸ばされた髪が顔にかかった拍子に、それをかき上げる左手の薬指には指輪が見えた。もしやと思ってユベールの方に視線をやると、テーブルに置かれた彼の左手にも似た意匠の指輪が光っていた。ということは、二人は夫婦なのだろう。


 反応に困ってリックの顔に目をやると、彼は眼前の美人に目を奪われている様子だった。睨みつけてやると、はっと我に返った様子で勢いこんで尋ねる。


「ピエルシナ王国東部のカイリフ農園でコーヒー豆を仕入れて、エングランド王国の指定した焙煎専門店で極深煎り。期間は一週間……いや、五日で戻ってきて欲しい。どうだろう、この条件での輸送は可能だろうか?」

 リックの言葉を数秒かけて吟味したフェルがうなずく。

「今日を含めて六日の行程なら可能だ」

「助かる! すぐにでも頼みたい、輸送量と代金は……」

「待て待て、待てってば!」


 リックが紙に殴り書きした量と金額を見て、慌てて制止する。期間も考えれば妥当な輸送費だが、それを払えば赤字がさらに膨らむのは間違いなかった。


「こんな金額払えるわけないだろ! 赤字を増やしてどうすんだ!」

 アンジェリカの叱責を受けて、リックが視線をそらす。

「契約では、かかった経費はエルネスト氏が持ってくれることになってる。この依頼にかかった費用も彼に請求してみるつもりだよ」

「いくらなんでも払ってもらえるわけないだろ!」


 それが分かっているから、リックもアンジェリカと視線を合わせないのだ。目的地のピエルシナ王国まで片道四〇〇〇キロ、焙煎のためエングランド王国に寄るなら往復で一〇〇〇〇キロを超える行程になる。燃料代だけで豆の数倍の値段だ。


「まずはエルネストに確認を取って、払ってもらえるって確約を得てからだ。順番を間違えるなよ、リック。払ってもらえませんでした、じゃ済まないんだぞ」

「分かってるよ、アン。もし費用を負担してもらえなかった時は僕が払う。エルネスト氏はうちのコーヒーに惚れこんで僕たちを呼んでくれたんだから、それにふさわしいコーヒーを淹れるのが僕の仕事だ。他のことならいくらでも妥協するけど、これだけは譲れないよ。方法があるなら、それを選ばないなんて択はない」


 アンジェリカは唇を噛んで、どう諭せばこの頑固者に言うことを聞かせられるのかを考える。答えはとうに出ていた。そんなことは不可能だ。


「ふむ……だったら、この金額ならどうだろうか?」


 言い争う二人を見ていたフェルが、リックの殴り書きした金額に二重線を引いて、新たな金額を記す。それは桁ひとつ違う、破格の金額だった。


「え、こんな金額で……?」

「待て待て、フェル。お前、いくらで提示した」


 半信半疑でつぶやくアンジェリカを見て、成り行きを見守っていたユベールが慌てて席を立つ。フェルの隣に立った彼は、紙に記された金額を見て渋い顔をする。


「うちの儲けはゼロ……というか、下手したら赤が出るな……」


 今度はユベールの言葉に驚かされる。そもそも往復一〇〇〇〇キロを六日足らずで飛ぶこと自体、並大抵の飛行機では不可能な難事なのだ。フェルが提示した破格の値段ではどう考えても巨額の赤字が出るはずだった。しかし、フェルもユベールもそれが可能であるという前提で話をしている。にわかには信じがたい。


 詐欺ではないかと疑うアンジェリカを余所に、フェルは涼しい顔で言う。


「そんなことはないさ。ユベールだって、ホテルのコーヒーはどうも物足りないって言っていただろう。この仕事をこなせば、旨いコーヒーにありつける期間が延びるという寸法だ。さっと済ませて、美味しいコーヒーを一緒に飲もう」


「俺たちはここを離れるんだから、差し引きで一日か二日くらい伸びるだけだろうが……まあいいさ、お前のお人好しと気紛れは今日に始まったことじゃない。派手に不時着して機体をお釈迦にしたお二人さんのため、どこにだって飛んでやるさ」

 肩をすくめるユベールを見て、フェルがくすくすと笑う。

「二人とも、すまない。こういう時、彼は憎まれ口を叩かずにいられないんだ」

「ふん、言ってろよ。ああ、それから……」

 言い淀むユベールの様子に、まだ名乗っていなかったことに気付く。

「アンジェリカ。アンジェリカ・アームストロング。ウェイトレスなんてやってるけど、あたしも飛行士だから。そこんとこよろしくね」

「僕はリック・ペントです。よろしく」

「オーケー、リックとアンジェリカ。二人には、この依頼を終えた後にこっちからも依頼したい仕事がある。それを請けてくれるのが、豆の輸送を引き受ける条件だ。機体の修理に必要な部品と技術者もこっちで手配できる。もちろん、それなりの対価は請求させてもらうが、そっちにとっても悪い話じゃないはずだ」

「分かりました。引き受けます」

「おい、リック! 依頼の内容も聞かずに安請け合いするなって!」

「大丈夫。この人たちは信用できるよ」

「いきなり現れて全ての問題をまるっと解決してくれるなんて都合のいい存在がいるわけないだろ! あ、いや、あんたたちが信用できないってわけじゃないけど!」

「アン、言ってることがめちゃくちゃだよ」

「誰のせいでこんな心配してると!」

 そんな二人のやりとりを見て、フェルとユベールが声を上げて笑った。

「そうだ、報酬をもうひとつ加えさせてもらおうかな」


 ふと思いついた、という感じでユベールが言う。

 ほら来た、そう思った。最後に難題を付け加える気なのだ。


「せっかくだから、美味いコーヒーの淹れ方を教えてくれよ。こいつ、自分では淹れもしないくせに、舌ばっかり肥えてやがるもんだから文句が多いんだ」

「お安いご用です。構いませんよ」


 フェルが無言で突き出した拳を軽く受け止めながら、リックの快諾を聞いたユベールが快活に笑う。やっぱり、どこか子供のような二人だった。

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