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機動部隊と付かず離れずの距離を保ち、空域に留まり続けること五分。二十隻から成る強大なシャイア艦隊がほぼ無力化されていた。一隻も沈没せず、武装や艦載機は健在でも、航行能力がなくては艦隊としての作戦行動など不可能だ。
相手の敗因は、たった一機にできることなど高が知れていると侮ったことにある。一機で現れたのは囮が理由だと考え、存在しない本隊への警戒を続けた挙げ句、何が起きているのかを把握する暇もないほどの短時間で作戦遂行能力を丸ごと奪われる結果となったのだから、敵ながら同情してしまう。
「……完了だ。艦隊の足は全て潰した」
「よくやった。完璧な仕事だ、フェル」
「ありがとう」
後席から伝声管を通じて届けられる声には、やはり力がない。大規模かつ連続での魔法の発動で彼女にかかる負担の重さが気がかりだった。
「戦果としては十分だ。疲労を感じるならここで切り上げても構わないぞ」
「……気遣ってくれているのか?」
「当然だろう。こっちは非武装で、お前だけが頼りなんだ」
「大丈夫だ。お前はわたしが守る。ユベールはこのまま操縦に集中してくれ」
「……分かった。変化や違和感があったらすぐに言えよ」
「了解した。最後までやりきろう」
陣形を維持できなくなって漂流する艦隊と、倒すべき敵を見出せずに混乱する迎撃機隊を余所に、来た道を再び引き返す。アルメア艦隊はリーリング海峡への突撃を敢行している頃合いだ。海峡に近づけば航空部隊だけではなく、陸からの攻撃も受けることになる。彼らが任務を果たすため、援護する必要があった。
シャイア艦隊も馬鹿ではない。瞬く間に機動部隊を壊滅に追いこんだ正体不明の攻撃が冬枯れの魔女の仕業だと気付き、味方の航空部隊やイーストファー基地に無線で連絡を取っている可能性もある。そうなれば、ペトレールが集中攻撃を受ける危険性が高まる。魔法の精密な操作には集中する必要があり、防御が甘くなったところを狙われれば為す術もなく撃墜されることも考えられた。
思い切り体をひねって振り返れば、ヘッドレストとキャノピーの間にある隙間からフェルの姿を確認できる。目を閉じてシートに体重を預けているように見えるが、魔力の知覚による索敵は続けているのだろう。呼吸はやや浅く、無意識にか頭を動かし、目を閉じたまま何かを見ているようだった。
「戦況から考えて、アルメア艦隊に接触するまで敵影はないはずだ。監視はこっちでやるから、フェルは少し身体を休めておけ。お前が戦略の要なんだ」
「……分かった。そうさせてもらう」
冬枯れの魔女として力を振るうフェルは、たった一機でどこにでも飛来し、機動艦隊ですら壊滅に追いこむ戦略兵器にも等しい存在となった。味方にすれば頼もしいことこの上ないが、敵から見れば悪夢そのものだろう。
そして、そのような存在を完成させたのは、ある意味ではユベールだった。
出会った当初、彼女は今ほど魔法を使いこなせてはいなかった。接触をキーとして、触れているものの魔力を根こそぎ吸い尽くし、物理的な破壊力へと変換する。その力は豊穣な土地を草木も生えない不毛の地へと変じ、飛行機に乗りながら使おうものなら機体を空中分解させ、乗員の命を吸い尽くすような危険な代物だった。
彼女の魔法の変質、あるいは進化に気付いたのは、ブレイズランドでの一件がきっかけだった。火山の噴火から島民を逃がすため、フェルは文字通り海を割って避難路を作ってみせた。それだけの奇跡を長時間に渡って行使したのだから、島は不毛の地となってもおかしくなかったが、そうはならなかったのだ。
後から聞いた話では島の植生に目立った変化はなく、噴火が収まった後に島へ戻った島民たちは元通りの生活を営んでいるとのことだった。年齢による成長、あるいは繰り返し魔法を行使した結果としての熟練。理由は色々と考えられたが、いずれにせよフェルの魔法は時が経つに連れてより効率のいいものになっていった。
今になって思えば、サウティカを訪れた際にフェルが話した、ウルリッカとの旅の話にも疑問を持つべきだった。触れたものから魔力を引き出すという理屈を、自分は使えない力だからと『そういうもの』として受け入れてしまった。柔軟な頭と言えば聞こえはいいが、あれは考えることを放棄しただけだった。
そもそも、接触とはどのような条件や状態を意味するのか。
魔法の効果とその代償としての不毛化現象は、フェルが直に触れていない広範囲に渡って影響を及ぼしている。どこまでが魔法の対象となり、どこからが対象外となるのか。その境界条件を突き詰めていけば、彼女が持つ力の本質、その至るべき場所を前もって予測できていただろう。
フェルリーヤ・ヴェールニェーバは聡明な女性だ。まだ若いながらも責任感が強く、自らの力量を冷静に把握し、成すべきことを成そうとする善良な人物だ。多くの人間が命を散らす戦争を止められるのならば、彼女は自らの手を汚してでもそれをやろうとする。ユベールとの旅が、彼女をそのような人間へと成長させたのだ。
それを誇らしく思うと同時に、彼女に対する責任も強く感じる。彼女はきっと自らが成したことへの責任を手放そうとはしないだろうから、ユベールはせめてその歩みの助けとなることを自らに課していた。
「フェル、起きてるか?」
そろそろ先行するアルメア艦隊に追いつく頃合いだ。後席に呼びかけると、やや間が空いてから返事があった。
「……おはよう、ユベール。よく眠れたよ」
「本当に寝てたのか?」
「冗談だ。だが、眠っても大丈夫だと思えるくらい、安心していた」
「それは何よりだ」
眼下には大破したアルメアの駆逐艦。すでに船体は大きく傾斜し、沈没は免れないだろう。ボートで必死に脱出を図る彼らにしてやれることはない。そのまま上空を通過し、まだ健在な味方の援護に向かうことを彼らも望んでいるだろう。
「見えた。黒煙を吐いている艦もいるな。急ぐぞ」
「了解した。こちらでサポートする」
フェルの言葉と共に、強烈な追い風が吹いて機体を後押しする。同時にエンジンの出力が一気に上がった。おそらく吸気口に流れこむ空気の流量が増えているのだ。
「まとわりつく敵機をかき回してやれ。誰が空の支配者か教えてやるんだ」
「了解した。慣れてきたな、ユベール」
先の艦隊決戦で北央海における全ての空母を喪失したアルメア艦隊は、ありったけの対空兵器を積んでこの作戦に臨んでいる。すでに駆逐艦一隻が脱落し、さらに駆逐艦と巡洋艦が一隻ずつ戦列から落伍しつつあるが、戦艦カルニアを含めた四隻は今なお健在であった。だが、この先どれだけ持つかはわからない。
艦隊の上空に付けると、ペトレールに気付いた敵機が迎撃に向かってくる。だが、攻撃態勢に入ったフェルがそれを寄せ付けない。乱気流に翻弄された戦闘機は機関銃の射程まで接近するどころか、機体の姿勢を立て直すので精一杯の様子だ。さながら空域にペトレールを中心とした風の結界が張り巡らされているようだった。
攻撃の手は低空で艦隊を付け狙う爆撃機や雷撃機にも及ぶ。急降下、あるいは海面すれすれでの飛行中に乱気流で姿勢を崩された機体はまともに狙いを付けられず、何機かはそのまま姿勢を立て直せずに海へと突っこんでいった。
無線で飛び交う悲鳴に異変を感じ取ったのだろう。シャイアの航空部隊が攻撃を中止し、アルメア艦隊から距離を取り始める。すでに爆弾や魚雷の投下も終えた機もいる上に、彼らの母艦は航行不能になっている。停泊中の空母への着艦は航海中のそれに比べて難易度が高いか、機種によっては不可能なこともある。その場合はイーストファー基地まで飛ばなければならないので、燃料計も気になる頃合いだろう。思った通り、航空部隊は攻撃を再開せずイーストファー基地方面へ離脱を開始した。
「追撃の必要はない。このまま艦隊の護衛を続けるぞ」
「了解した」
いよいよ作戦の最終段階だ。ここまで来たら、覚悟を決めてやり切るしかない。リーリング海峡への突入。誰もが不可能だと考えた困難な作戦への挑戦が始まる。




