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アルメア政府からトゥール・ヴェルヌ航空会社への依頼。その内容がシャイア軍に対する反攻作戦への協力となれば、彼らは相当な確度でフェルの正体と能力について把握しているものと考えられた。迂闊な返事はできないとばかりに黙りこむユベールとフェルを見て、生真面目な表情でジョンがうなずく。
「お二人が警戒なさるのは当然です。しかし、残念ながら腹の探り合いに費やしている時間はない。我々は命令や取引ではなく、あくまで貴方たちへの依頼に来たのだということをご承知おきください。その証を立てる意味でも、こちらの知り得た情報は今から全て開示させていただきます。それらを踏まえた上で、我々の依頼を受けるかどうかを判断していただきたいのです。ここまではよろしいですか?」
先の決戦で北央海における海上戦力の大半を失ったアルメア軍に取れる選択肢は多くない。使えるものなら神の奇跡や魔女の力にもすがりたいのだろう。
「知ったら後戻りできない、という類の話じゃないだろうな?」
ユベールの確認にジョンがうなずく。
「もちろんです。我々としては、依頼を請けていただけると信じておりますが」
フェルはイルハンに質問を投げた。
「ルーシャ共和国の立場を確認しておきたい」
「私は対アルメア外交における全権を大統領より委任されて、この場にいます。アルメア軍への協力は大統領の希望、もしくは要請と捉えていただいて構いません」
フェルと顔を見合わせ、うなずき交わす。
「了解した。わたしは問題ないと思う」
「ああ、話を聞こう」
「ありがとうございます。では、現在の戦況についての共有から始めましょう」
ブリーフケースから取り出した世界地図を使って、ジョンが説明を始める。
「先にイルハン殿がおっしゃった通り、ルーシャではすでに首都奪回作戦が成功し、共和国の建国宣言が成されています。この作戦の初期段階において、フェルさん、貴方の用いた魔法が多大な戦果を挙げたとの情報を得ています」
ジョンの語る内容は事実だ。ウルリッカの依頼を受け、フェルは魔法を行使した。メルフラードには多数の市民が残っていたので直接的な破壊は避け、視界を遮るほどの大吹雪でシャイア軍の機動力と連絡手段を根こそぎ奪ったのだ。その後、吹雪に身を隠して接近した正統ルーシャ軍の本隊が総攻撃をかけ、最小限の破壊で一気に敵司令部を制圧するというのが首都奪回作戦の概要だった。
しかし、正統ルーシャ軍の攻撃に合わせるかのような猛吹雪がフェルの魔法による現象だという事実は、ウルリッカを始めとするルーシャ共和国の上層部しか知らない情報だ。それがこの短期間でアルメア政府側に伝わっているということは、ルーシャ側からの情報提供があったことを示唆している。
イルハンによれば、樹立したばかりのルーシャ共和国政府はアルメアを始めとする連合各国との同盟を画策している。そのための手土産として冬枯れの魔女に関する情報の開示が行われたとすれば、ユベールとフェルがアルメアに戻ってきたタイミングを見計らったような訪問にも説明がつく。
「ベルネスカ、カザンスクに続いてメルフラードも失った結果、ルーシャ国内のシャイア軍は残された最後の要衝である、国境のブリエスト要塞に集結しつつあります。敗残兵の間では冬枯れの魔女の再来が囁かれ、脱走兵も後を絶たない状況では反攻もままならないでしょう。後背を脅かされたシャイアはアルメア戦線から部隊を引き抜いて増援に充てることを強いられ、こちらとしては一息つけた格好です」
「だが、時間が経てばフェルがルーシャにいないことはバレる。その時までに戦力を立て直せなければ挽回の機会はなくなる。補充の当てはあるのか?」
ユベールの問いに、ジョンが渋い顔をする。
「知っての通り、北央海のアルメア海軍は壊滅的な打撃を受けました。他の戦線から引き抜こうにも、南央海や太極洋の艦隊が北央海艦隊と合流するにはリーリング海峡を突破する必要があり、とても現実的とは言えません」
リーリング海峡は北央海と南央海を隔てる海峡で、冬の北央海に出入りするために避けては通れない難所だ。幅はもっとも狭い箇所で百キロに満たず、水深も浅いために通過できる船のサイズを制限する要因にもなっている。現在、この海峡はシャイア海軍の勢力下にあり、アルメア国籍の船は通過できない状況にある。
軍艦も例外ではなく、限られた航路を縦列で進むしかないため、攻撃にさらされたとしても回避や反撃の手段は限られる。先頭の艦が水深の浅い場所で座礁しようものなら、後続の全艦が立ち往生する羽目になりかねないのだ。よってリーリング海峡を挟む両岸、アルメア側のアヴァルカ半島とシャイア側のエンロン半島を押さえた国家は、敵国の戦力と物資の輸送を一方的に制限できるのだ。
「アヴァルカ半島における最重要拠点であるイーストファー基地は現在、敵の前進基地となっています。まず基地を取り戻さなければリーリング海峡の奪還も困難です。一方、シャイア側もアヴァルカ半島の悪路と伸びきった補給線のため、アルメア本土へのさらなる侵攻が困難な状況に置かれていると考えられます」
「大まかな戦況は分かった。で、俺たちに何をさせたい?」
説明を続けるジョンに質問を投げる。彼は話の腰を折られたことに腹を立てるでもなく、陸軍情報局の人間らしく淡々と続ける。
「我々はリーリング海峡に敵戦力を誘引し、身動きが取れなくなったところに攻撃をかける作戦を立てています。いわゆる金床戦術です」
「金床戦術?」
知らない単語に首をかしげるフェルに説明してやる。
「防御に優れた部隊が敵を引きつけて持ちこたえている間に、機動力と攻撃力に優れた部隊が側面や後方に回りこみ、挟撃や包囲攻撃をかける古典的な戦術だ。本来は陸戦で行うもんで、海戦でやるのはあまり聞いたことがないけどな」
元々はファランクスと騎兵を組み合わせる古代の戦術だ。これを海戦に置き換えようとしても、現代の艦船は必ずしも速度と攻撃力を両立し得ないし、歩兵と騎兵のような隔絶した速度差は望めないため、上手くいかないのだ。
「問題はそれだけじゃない。俺たちはあくまで民間の航空会社だ。いくら戦争とはいえ、人殺しは業務範囲外だ。いくら頼まれてもそれだけは請け負わないぞ」
「ユベール……」
偽善かも知れないが、譲れない一線だった。フェルはきっと、それがどうしても必要なことだと納得すれば人の命を奪うことにも躊躇しない。だからこそ、最後の手段を選ばずに済むような道を見つけるのがユベールの仕事だ。
拒絶の言葉にどう反応するか。予想に反して、ジョンはあっさりうなずいた。
「ええ。我々が望むのは敵艦の乗組員への攻撃ではなく、あくまで艦船への攻撃です。北央海に展開する敵艦の機動力を奪うのがこの作戦の目的となります」
「要するに、君はこう言いたいわけだ」
黙って話を聞いていたフェリクスが口を挟む。
「リーリング海峡を封鎖するから、動ける敵艦の脚を残らず潰して欲しい、と」
「その通りです。流石はヴェルヌ氏ですね」
「脚……つまりスクリューか」
帆と櫂で海を渡る時代はとうに終わり、現代の艦船はスクリュー推進が主流だ。船体にダメージがなくとも、推進器を失った艦船は戦闘も航海もまともにできなくなる。ドックのある港まで回航して修理するとなると、数ヶ月単位の時間を要する。その時間はアルメア海軍を立て直すための貴重な時間となるだろう。
「可能でしょうか?」
ジョンがそう問うと、視線が集まったことに気付いたフェルが短く答える。
「可能だ」
「分かりました。これで前提条件は整いました。では成功時の報酬についてお話しておきましょう。まず金銭面では、最低でもこの額を考えております」
提示されたのは、新造機のために借り入れた金を返済して余りある額だった。
「依頼の達成度、つまりスクリューを破壊した敵艦の数に応じて報酬が積み増されるものと考えていただいて結構です。時に、お二人は結婚なさる予定があるとか」
「……その話は、今ここで話すべきことなのか?」
表情も変えずに予想外の話題を振られて、反応が遅れる。
「はい、次の報酬に関係してきます」
「どういうことだ?」
平然とした様子のフェルに向かって、ジョンがうなずく。
「ユベール氏はアルメア国籍を取得したアルメア人です。そのユベール氏と結婚すれば、フェルリーヤさん、貴方もアルメア国籍を取得できます」
「もちろんアルメア国籍を得たからといってルーシャ国籍を失うわけではありません。両国とも、二重国籍を禁止する法律はありませんのでご安心ください」
イルハンの補足に軽くうなずいたフェルが、ジョンに先を促す。
「アルメア国籍を得るメリットは大きくふたつあります。ひとつは、アルメア国民が享受する各種の保障や保護を受けられること。もうひとつは、特殊な力を持つ貴方の後ろ盾として、アルメア政府がお力添えできるようになることです」
「迂遠な物言いは嫌いだな。フェルの力が欲しいと素直に言ったらどうだ?」
ユベールの言葉にも、ジョンは表情を動かさない。
「アルメア政府としては可能な限りフェルリーヤさんの自由意志を尊重したいと考えています。もう少し踏みこんだ言い方をするなら、戦争の火種となるような行為だけは控えていただきたいということです。その線さえ守っていただけるなら、アルメア連州国政府はフェルリーヤさんを狙う諸外国の干渉から貴方たちを守ります」
ジョンの言葉にイルハンも続ける。
「我がルーシャ共和国政府も同様の考えです。すでにメルフラード攻略において力を借りてしまった立場で言えることではありませんが、我々は終戦後の国家運営において魔法の力を計算に入れようとは考えておりません。貴方たちの行動の自由を保障する対価として、特定の国家に肩入れしないとだけ約束していただきたいのです」
「……それは」
思ってもみなかった言葉に、フェルと顔を見合わせる。アルメアとルーシャが後ろ盾につくなら、同盟国も含めれば世界中ほとんどの国で自由に動ける。彼女に危害を加えたり、その力を手中に収めようとすれば諸国家を敵に回すことになるのだ。
「……アルメアは、わたしたちを一度は裏切った」
慎重に話し始めたフェルに、全員が注目する。
「シャイアとの緊張が高まる中、アルメアは議会の決定によって手を引き、それがシャイアに誤ったメッセージを与えた。その結果、ルーシャは侵略された」
フェルの言葉は一面の真実だ。当時のアルメア議会はルーシャとシャイアの開戦によってなし崩しにシャイアとの全面戦争に入ることを嫌って、各種の支援を一方的に打ち切った。その結果、ルーシャは独力でシャイアと戦うことになったのだ。
ジョンとイルハンは誠実に話しているように見えるが、それはアルメアとルーシャという国家が誠実であることを意味しない。彼らも知らないところで、フェルを利用し、抹殺しようとする企みが動いていないという保証はどこにもないのだから。
誰にともなく、半ば自問するようにフェルが問いかける。
「同じことにならない保証はあるのか?」
場に沈黙が落ちた。しばしの間を置いて、ジョンがその沈黙を破る。
「ありません。そのような保証は大統領であってもできないでしょう」
一気に緊張が走り、続く言葉を皆が待ち受ける。
「ですが、ふたつの理由によって可能性は小さいと言えます。ひとつはフェルリーヤさん、貴方自身の成長です。貴方の魔法はより強力になり、適切に状況を判断し、決定を下せる精神性も身につけられた。今の貴方を洗脳して強制的に従わせる、あるいは将来的な危険を排除するために抹殺するのは失敗したときのリスクが大きい」
洗脳、抹殺。穏やかではない言葉に空気が張り詰める。
「もうひとつは、フェルリーヤさん、貴方も口にされた裏切りです。アルメアは戦うべき時に戦わなかった結果、味方を見殺しにした挙げ句、ここまで追い詰められてしまった。あの時、アルメアがルーシャから手を引いたのは明確な誤りでした。ここに深く謝罪すると共に、二度と同じ過ちを繰り返さないことを神に誓います」
頭を下げるジョン。フェルはゆっくりと瞬きして、大きく息を吐いた。
「……貴方を信じよう、ジョン」
ジョンがうなずき、場にほっとした空気が流れる。
「ユベール。わたしはこの依頼、請けてもいいと思う」
「俺もだ。ここからは、細かい条件を詰めていこう」
二人の言葉を聞いて、ここまで表情を崩さなかったジョンが小さくため息をつく。
「ありがとうございます。では、作戦の詳細についてお話しいたします」




