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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第一二話 空飛ぶ魔女の航空会社
77/99

12-1

 フェリクスを追ってルーカへ向かってから一ヶ月あまり。アルメア東海岸における航空機産業の中心地であるトルジア市街は変わり果てた姿となっていた。ギルモットの機上からでも見て取れる破壊と火災の爪痕。シャイア軍の空襲によるものだろう。港湾機能と工場地帯を中心に、住宅地にまで被害が出ていた。


「ここまでとはな……」


 ルーシャからアルメアへの帰路の途中、給油のため旧ユーシア王国領に立ち寄った。その際に『眠れる獅子』のメンバーから情報を得ていたが、想像以上だった。


 緒戦における展開の遅さから準備不足も噂されたシャイア軍だったが、海上決戦で大勝利を収めたことで形勢は一気にシャイア軍の優勢へ傾いた。シャイア艦隊の新鋭空母から発進した航空部隊による爆撃と雷撃で、北央海に展開するアルメア軍の空母と戦艦はそのほとんどが大破もしくは撃沈されたのだという。


 北央海の制海権を手にしたシャイアは、そのまま南央海と行き来するためのリーリング海峡を押さえ、アヴァルカ半島への上陸を果たした。半島の東端に位置するイーストファー基地はシャイア軍に奪われ、現在は敵の前進基地になっているという。


 対するアルメア軍は残存する海上戦力の各個撃破を避けるために艦隊の集結と再編成を迫られることになった。その結果、防備が手薄になった東海岸の主要な工業都市はシャイア軍による艦砲射撃と空爆を受けていた。独立戦争以来となる本土への攻撃を受けて、アルメアの議会と世論は大きく揺れているのだという。


「ヴェルヌ社は無事なのか?」

「港湾地区は特に被害が大きい。工場も……焼けちまったようだな」


 トルジアは、ユベールが会社の立ち上げ当初に拠点を置いた街でもある。当初はヴェルヌ社の一角に間借りして、新造されたペトレールを駆ってヴィヴィと一緒にアルメア各地を飛び回った、いわば第二の故郷だった。幾度となく見晴らした、見慣れた風景の変わり果てた有様に唇を噛む。戦争をするというのはこういうことだ。


「これからどうする?」

「ああ、そうだな……」


 あえて感情をこめない、淡々としたフェルの問いかけに気持ちを切り替える。すでに祖国ルーシャでは首都メルフラード奪還作戦が進んでいる頃合いだが、彼女は自らが成すべきことに集中している。ユベールもそれに習うべきだった。


「予定通り、エルム湖のほとりにある第二工場へ飛ぶ」

「了解した。進路はこのまま維持、風の影響はほとんどない」


 内陸へ向けて巡航速度で飛ぶと、一時間もかからずに湖が見えてくる。エルム湖だ。冬の北央海は荒れやすく、水上機の建造には向かないため、ヴェルヌ社の第二工場がここにある。訪れるのは久しぶりだが、最後に見たのと変わらない風景がそこにあった。ほっとした気分で、工場に併設された滑走路へ機体を寄せていく。


「南東からの微風。北側からのアプローチで問題ない」

「了解。こいつに乗るのもこれが最後だ。完璧にやろう」


 フロート機としてトルジアを飛び立ったギルモットだったが、スキーに履き替え、ランディングギアに換装し、陸上機として生まれ故郷へ戻ってきた形になる。機を見ては整備を施してきたが、過酷な環境で受けたダメージは小さくない。ここまで無事に飛び続けてくれたことへの感謝と、名残惜しさの念を抱く。


「そういえば、フェル。新しい機体の名前は考えたのか?」

「すまない、まだ考えていない」

「アルメアを発ってから、ずっと忙しかったからな。気にしなくていい」

「そもそも機体は完成しているのか?」

「白紙からの開発ってわけじゃないからな。ペトレールの量産型とも呼べるヴェルヌ社の中型飛行艇シーガルをベースに、お前の要望に合わせた諸々の装備を追加。予定通りなら――ルインが余計な真似をしてなければだが――もう完成してるはずだ」


 アウステラ連邦で知り合ったルインは、有能だが変わり者の技術者だ。フェリクスなら上手く手綱を握ってくれるだろうと期待して送り出したが、我ながら見切り発車だった感は否めない。いまさらだが、変に話がこじれていないことを祈る。


「まあ、降りてみれば分かることだ。行くぞ」

「了解した」


 エルム湖は谷間にできた自然湖だ。滑水に適した細長い湖面と、年間を通じて風の影響を受けにくいという特性を持っている。水上機の開発にはもってこいの地形であり、水上機の開発で定評のあるヴェルヌ社の歴史はここから始まっている。トルジアに移転する前は、現在の第二工場こそがヴェルヌ社の本社工場だったのだ。


 谷間に響くエンジン音を聞きつけた人影が工場から顔を出し、手でひさしを作って空を見上げる。併設された滑走路に降り立ったその機体が、自社の所有するギルモットの変わり果てた姿であることに気付くと、苦笑しながら歩み寄ってきた。現場を取り仕切るベテラン、おやっさんことトラヴィスだった。


「断りもなしに降りてくるとはどこのどいつかと思えば、ギルモットのなれの果てときやがる。よく戻ったな、ユベール。フロートはどこに落としてきた?」

「マナルナ聖教国、パング湖のほとりに。白い神ファルナの聖遺物になったよ」

「ああ? どういうこった」

「まあ、遠くまで行ってきたってことだよ」

「なんだそりゃ……ともかく、よく帰ったな。お疲れさん」


 フェルと一緒に機体を降りると、フェリクスも顔を見せる。


「おかえり、ユベール。それにフェル君。元気にしていたかい?」

「そっちこそ、しぶとく生きてるじゃないか」

「ただいま、フェリクス」


 挨拶を交わすと、フェリクスは不意に黙りこむ。そして、しばらく二人の立ち姿をしげしげと眺めた後、目を細めて悪戯っぽくこう言った。


「二人とも、いい顔になった。関係に進展はあったかい?」

「なっ……このじじいは何を言い出すかと思えば……」

「気になるなら後で教えてあげよう、フェリクス」

「うん、楽しみにしておこう。いい紅茶が手に入ったんだ」


 不意打ちに動揺するユベールを余所に、フェルは涼しい顔だった。そんな彼女を孫を見つめるような視線で見ていたフェリクスが、不意に引き締まった表情となる。


「さて、君たちが気になっているのは作業の進捗状況だろう。安心したまえ。君たちの駆る新たな機体は、完成まで最後の作業を残すのみとなっている。しかし、これが中々の難題でね。その解決のため、君たちの帰還を待っていたんだ」

「問題があるのか?」

「あるとも。これを抜きにして機体が完成することは決してない」


 もったいをつけたフェリクスの言いように、少しだけ腹が立つ。


「はっきり言ってくれ。必要なものなら、俺たちが何とかして入手する」

「……ああ、なるほど」


 合点した様子のフェルが、フェリクスと示し合わせたように微笑み合う。


「おや、フェル君は気付いたようだ。ユベールはまだ分からないかね?」

「さっき話したばかりだろう、ユベール」


 そこまで言われて、ようやく気付く。


「……ああ、なんだ。何かと思えば、そんなことか」


 ここ最近は厄介な仕事ばかりだったので、どんな難題かとつい身構えてしまった。大きく息を吸いこんで、盛大にため息をつかせてもらう。


「つまり、名付けさえ済めばいつでも飛び立てるってわけだな。ありがとう、フェリクス。よくこの短期間で機体を仕上げてくれたよ」

「その言葉は実機を確認してから受け取ろう。さあ、中へ入ってくれ」


 ヴェルヌ社の第二工場はやや手狭ではあるが、設備はきちんと最新のものへと更新されている。木造飛行艇の建造には、材木の特性を捉える目利きと、その特性を活かす職人の業が入りこむ余地がある。大量生産品ではなく、一品ものの工芸品を造り上げるようなやり方を続けているのがヴェルヌ社というメーカーなのだ。



 夜明けの白雪――そんな印象を受けた。


 踏み跡ひとつ、オイル一滴の汚れもない純白の飛行艇がそこにある。


 全体的なシルエットはペトレールを踏襲し、パラソル式に持ち上げた主翼中央にエンジンを搭載。空冷V型十二気筒エンジンの出力は千二百馬力まで向上している。両翼のフロートと後部機銃は廃止、代わりに艇体の側面に分厚く短い翼のような形状のスポンソンが張り出している。喫水下の艇体と主翼下面はブラックに塗装され、つややかな黒と対比する形で機体の白さをより際立たせていた。


「ヴェルヌ社製、新型水陸両用木製飛行艇。全幅二十三メートル、全長十五メートル、全高四メートル。空重量四千五百キログラム、最大離陸重量八千キログラム。最高速度と高度限界は未計測ですが、それぞれ時速三百キロメートル、高度八千メートルは行けると計算しています。乗員は操縦士と航法士の二名。ご要望の通り、前席と後席のそれぞれに操縦装置を付け、後席には観測用の装備もあります」


 カタログスペックを早口に読み上げたのはルイン・ジュードロウ、アウステラ連邦で出会った航空機エンジニアだった。お気に入りのおもちゃを自慢するかのような彼の様子に思わず苦笑が漏れ、かえって落ち着いて新しい機体を観察できた。


「試験飛行は……俺たちが戻るを待っててくれたのか。ヴィヴィは? あいつなら何かと理由をつけて乗りたがったんじゃないか?」


 ユベールの疑問にはフェリクスが答える。


「あの子なら今頃はカーライル社の新型機に夢中だよ。電話で話した感じだと、ずいぶん開発を急かされているようだから、今はそっとしておくのがいいかと思ってね。それに、この機体はユベールとフェル君のためにある機体なのだから、初飛行はやはり君たちの手で行うべきだ。そうだろう?」

「当然です。操縦士のユベールさんはともかく、航法士のフェルさんが搭乗することで全性能を発揮する機体ですからね。さあ、すぐにでも始めましょう」


 興奮した様子でまくしたてるルインとの間に、フェリクスが割って入る。


「待ちたまえ、ルイン君。ユベールとは話し合うべきことが山積みだし、フェル君は長旅で疲れているはずだ。機体の性能に関する有用で正確なデータを得るためにも、二人には休息を取ってもらう必要がある。同意してもらえるね?」


 やんわりと、しかし有無を言わさぬ口調でフェリクスが言った。


「ううん……確かにおっしゃる通りですね。仕方ありません、試験飛行は明日からにしましょう。ユベールさんもそれで構いませんか?」


 どうか反論して欲しい、という気持ちの滲んだ口調に苦笑する。


「もちろん。北央海横断飛行の後で、流石にくたくただよ」


 旧ユーシア王国領とアルメア連州国の間に横たわる北央海は、目下のところ制海権をシャイア軍に握られている。遊弋する軍艦に見つからないよう何度も進路を変えながらの長時間飛行は、重い疲労感となって肩にのしかかっていた。本音を言えば、すぐにでも柔らかいベッドに倒れこみたい気分だった。


「ユベール」


 疲れているのはフェルも同じだろうが、彼女はじっと機体を見つめていた。


「後席に座ってみたい。少しだけでいいんだ」

「それくらい構わないさ。俺だって操縦桿を握ってみたい」


 彼女の気持ちはよく理解できたので、快諾する。機体の横に張り出したスポンソンは着陸脚の収納、艇体の浮力確保に加えて、乗降時の足場にも使える頑丈な造りとなっていた。その上に立ってキャノピーを開き、二人で機体に乗りこんでキャノピーを閉じる。開発期間の問題もあって前席にはほとんど手を加えていないが、後席は練習機のように前席と連動する操縦装置一式が据え付けられ、足下はガラス製で下方の視界を確保、照準器やカメラも搭載できるようになっている。


「ユベール、舵を動かしてみてくれ」


 伝声管からフェルの声が聞こえてくる。


「了解だ」


 エルロン、エレベータ、ラダー。それぞれの舵を動かすと、ペトレールのそれよりも重い手応えを感じた。操縦装置を後席と連動させたためだ。こうして地上にいれば、後席のフェルが操縦桿やフットペダルにかけた力を感じ取ることもできる。


「どうだ?」


 ユベールの短い問いかけに、自信に満ちた返答が返ってくる。


「問題ない。これなら、空を感じ取れるだろう」

「了解だ。明日から実地で試してみよう」


 キャノピーを開け、固唾を飲んで見守っていた工場の面々に親指を立ててみせる。その途端、歓声が沸き上がった。フェリクスが傍らにいたルインに握手を求め、ルインは戸惑った様子でそれに応じている。人々が喜ぶのを見ているとこちらまで嬉しくなってきて、フェルと顔を見合わせて笑みを交わす。


「……おい、誰だ。ここは私有地だぞ!」


 険のある銅鑼声を張り上げたのはトラヴィスだった。声の方向に視線を向けると、格納庫の扉付近に立つ二人の男と、その前に立ち塞がるトラヴィスの姿があった。


「我々はアルメア政府の者です。フェリクス・ヴェルヌ氏はどちらに?」


 政府職員を名乗るスーツ姿の黒人が前に進み出て呼びかける。場違いな肩書きに工員たちが互いに顔を見合わせ、悠然と歩み出るフェリクスを見守る。


「僕がフェリクスだ。ヴェルヌ社へようこそ、歓迎するよ」

「初めまして、ジョン・ルメアです。こちらはイルハン・ドット氏」


 ジョンと名乗った黒人が、傍らに立つ背の高い男を紹介する。紹介されたイルハンは、計算高そうな微笑みを浮かべて黙っている。二人とも名前以外の情報は口にせず、場所を移したがっている素振りを察したフェリクスが奥の応接室へと誘う。


「ユベール、フェル君。君たちも来るといい。構わないだろう、ミスター?」


 フェリクスが水を向けると、イルハンが肩をすくめ、それを見たジョンが黙ってうなずく。どうやらイルハンの方に行動の主導権があるらしい。色の薄い金髪に、遠くまで見通すようなグレーの瞳。アルメア人では見ないタイプだ。


 興味津々の工員たちをトラヴィスが追い散らし、応接室に落ち着く。フェリクスがブランデーを勧めると、ジョンは断り、イルハンはにっこりと笑って所望した。ユベールも相伴に預かることにする。フェルには冷えたコーラが出された。


 フェリクスは総じて酒の趣味がよく、彼の勧める銘柄にまず外れはない。ボトルから注ぐと甘く華やかな香りが立ち上がり、口に含めばフルーティさを感じると同時にスパイシーで力強いボディを感じさせる、複雑な口当たりを楽しめる。


『悪くない』


 誰かに聞かせるつもりはなかったのだろう、ルーシャ語のつぶやき。イルハンの対面に座るユベールには、口の動きでそれが読み取れた。フェルに視線を向けると、彼女は黙ってうなずいた。どうやら彼は立場のあるルーシャ人らしい。


「改めて、自己紹介をさせていただきます。私はアルメア陸軍情報局のジョン・ルメア大尉です。本日は重大な外交機密に関する件でこちらを訪問いたしました」


 アルメア陸軍情報局は主に防諜を担当する機関で、その内実はほとんど明らかになっていない。もちろん内部の人間と会うのは初めてで、場に緊張が走る。


「そしてこちらは……」


 続けてイルハンを紹介しようとしたジョンの言葉を、フェルが遮る。


『旧ルーシャ帝国外務省アルメア大使、イルハン・ドット。お久しぶりですね』


 イルハンはフェルの言葉に動じることもなく、如才ない笑みで応じる。


「私などの顔を憶えていらしたとは恐縮です、陛下……いえ、今はフェル・ヴェルヌさんと名乗られているのでしたね。恐れながら、どのようにお呼びすれば?」

「好きにすればいい。皇帝位はすでに返上した」

「伺っております。私も祖国をシャイアに蹂躙されて以来、異国で無聊を託っておりましたが、この度はルーシャ共和国のアルメア大使を拝命いたしました」

「では、ウルリッカは?」

「奪還された首都メルフラードにて共和国の樹立、並びに初代大統領への就任を宣言。同時にシャイア帝国への宣戦布告、連合各国への同盟の呼びかけを行っております。なお、貴方は皇帝を退位したことにより、暫定的に共和国の国民というお立場になられました。誠に勝手ながら、ご承知おきくださいますようお願い申し上げます」

「それは構わないが、そんなことを伝えに来たわけではないのだろう?」

「ご明察です。とは言っても、私自身は単なる立会人に過ぎません。詳細はこちらのルメア氏から話していただくことにしましょう」


 イルハンの言葉は、これからジョンの話す内容がアルメア政府とルーシャ政府の双方が承知の内容だということを示している。同盟に向けた条約の準備で忙殺されているだろうこのタイミングで、肩書きとしては一般人に過ぎないフェルが戻ってきたタイミングを見計らって訪れてきたのだ。どんな内容か、思わず身構える。


「腹芸に時間を費やすつもりはありません。率直に申し上げましょう」


 ユベールとフェルの顔を順に見渡して、ジョンが切り出す。


「来たる反攻作戦に向けて、アルメア政府よりトゥール・ヴェルヌ航空会社へ正式に作戦協力の依頼をしたいと考えております。困難かつ危険な仕事となることが予想されますが、どうか話を聞いた上でご検討いただけないでしょうか」

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