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飛行場には雪がちらついていた。水分をほとんど含まない粉雪は滑走路に積もることなく、風に吹き散らされていく。海岸から数百キロ離れた内陸の都市であるベルネスカでは、ユベールの故郷のように人の背丈を超すような積雪は見られない。
『では、フェル。しばしのお別れです』
『ええ、ウルリッカ。貴方もどうか無事で』
少し離れたところで、二人が抱擁を交わしている。背後に控えるギルモットの整備は万全で、長距離飛行に備えた増槽も吊してある。ユベールが出発前の最終チェックを行っていると、別れの挨拶を済ませたフェルが戻ってくる。
「もういいのか?」
「滞在は短かったが、ここで見るべきものは見た。ウルリッカにも会うことができた。今度は、わたしたちにできることをしよう」
「報酬も先払いでもらったしな」
ルーシャの貨幣は暴落しているので、高価で軽くてかさばらない現物ということでウルリッカから手渡されたのは、希少なブルーダイヤの首飾りだった。
敗戦国の常で、戦後ルーシャ国内の美術品や宝石の多くがシャイアに流出している。正規の手続きを踏んだものもあれば、盗難や略奪によるものも少なくなかったそうだ。このブルーダイヤの首飾りは、所蔵する美術館の学芸員がシャイアの略奪を逃れるために持ち出し、つい最近まで隠されていたのだという。
この宝石は、これから遂行する任務の重要さを踏まえてもなお釣り合わないほど高価な代物だ。それがフェルに渡されたのは、皇帝位を放棄する彼女への手切れ金という意味合いもあると考えられる。
「行こう、ユベール」
フェルに促されて我に返る。数日前に大胆な告白をしてきた彼女だが、その後は特に接し方を変えるわけでもなく、淡泊なものだった。さっさとギルモットに乗りこんでしまう彼女に続こうとして、ふとウルリッカの視線を感じて振り返る。
彼女はこれから首都奪還作戦の指揮を執る身だ。すでに先発隊が進行し、後続部隊も準備を整える中、時間を捻出するのは容易なことではなかっただろう。それでもこうして見送りに来たのは、フェルの帯びた任務が作戦の鍵を握っているのに加えて、お互いに生きた姿を見る最後の機会かも知れないという予感があるからだろう。
仮に戦争を生き延びたとしても、退位した元皇帝にして冬枯れの魔女であるフェルと、新たなルーシャ政府の首班となるだろうウルリッカの面会はそれ自体が政治的な意味を帯びてしまう。気軽に会って旧交を温めるというわけにはいかないのだ。
視線が合ったのは時間にして一秒にも満たなかっただろう。どちらからともなく視線を切って、そのまま振り返ることなく機体に乗りこむ。整備を受けたエンジンは駄々をこねることもなく始動し、全ての計器が正常な数値を指しているのを確認し終えるころには離陸に移れる程度に温まってきていた。
「長時間の飛行になる。気楽に行こうぜ、相棒」
「了解だ」
目的地の天候を考えて、ギルモットはスキーからタイヤへ換装してある。滑走路へタキシングして、ブレーキ。ベルネスカの滑走路は決して長くないので、徐々にスロットルを開いて、十分に回転数が上がったところでブレーキを離す。風はあつらえ向きの向かい風で、加速した機体はふわりと浮き上がるように離陸する。
「旋回して東南東へ進路を取れ」
「了解」
その方角にあるのは首都メルフラード、そしてかつてのユーシア王国領だ。そこで『眠れる獅子』の協力を得て給油を済ませてから、季節風に乗って北央海を横断、アルメア大陸を目指す。目的はペトレールの後継となる新機体の受領だが、その前に行きがけの駄賃で正統ルーシャ軍からの依頼をこなす計画だ。
首都メルフラード攻略の端緒となる第一撃。それがウルリッカの依頼だった。
*
それから一週間後、正統ルーシャ軍の電撃的な侵攻による首都奪還の第一報が各国の新聞で伝えられた。占領下のメルフラードにおいてシャイア軍の監視を受けていた各国の記者によるスクープであり、シャイアの国営メディアや各国に駐在する外交官がその否定に躍起になったことが、かえってその情報の信憑性を高めた。
そして、戦時にありがちな与太話としてタブロイド紙の類は次のように報じた。
冬枯れの魔女の再来、と。
第十一話「渡り鳥は愛を歌う」Fin.




