11-5
ベルネスカ旧市街にそびえる中世の城塞には、旧ルーシャ帝国の旗がひるがえっていた。この都市がレジスタンスによって解放されたという情報は真実だったらしい。鹵獲されたと思しきシャイアの兵器が要所に配され、守りを固めている。
除雪しただけの仮設飛行場にギルモットを降ろすと、不揃いな装備の男たちが駆け寄ってくる。おそらく民兵だろう。まだ若い男たちだ。彼らは先に降りたユベールに不審げな視線を向けていたが、続けて降り立ったフェルの姿に目を瞠った。
『そこのお前……いや、貴方様は……』
『下がりなさい。わたしはフェルリーヤ・ヴェールニェーバ。冬枯れの魔女です』
冬枯れの魔女の特徴的な容姿は、レジスタンスの組織内でも共有されていたのだろう。突きつけるでもなく中途半端に揺れる銃口から、かつての皇帝を眼前にした畏怖と、偽物ではないかというわずかな疑念が見て取れる。
『貴方たちはベルネスカの解放に貢献したレジスタンスですね。出迎えに感謝します。これからウルリッカ・グレンスフォークと話をしますので、案内を頼みます』
そう言うと、相手の返事も待たずに歩き出す。有無を言わさぬ振る舞いは意図したものだろう。ユベールも堂々とした態度を装ってフェルに続く。気圧された兵たちが思わず道を空ける間を通り過ぎると、我に返った一人が追いすがってくる。
『ちょっ、お待ちください魔女様! その、グレンスフォーク閣下の所在は機密でして、我々のような末端には知らされていないのです!』
『では、知っている者の下へ案内しなさい』
『はあ、そういうことであれば……了解しました。自分はスルコフ兵長であります。魔女様を正統ルーシャ軍ベルネスカ司令部までご案内するであります』
『正統ルーシャ軍?』
耳慣れない単語にユベールが疑問の声を上げると、スルコフが答える。
『傀儡と成り下がった元老院に代わり、グレンスフォーク閣下が我らレジスタンスと旧軍の将兵をまとめ上げ、正統ルーシャ軍と名を改めたのであります』
「……軍閥化してるのか。要注意だな」
『何でありますか?』
聞き返すスルコフに対して、ユベールに代わってフェルが答える。
『気にする必要はありません。それより、どこへ向かっているのですか?』
『はっ。司令部までご案内します』
スルコフの案内に従い、飛行場の端に停められていた軍用車両に乗りこむ。彼の運転で向かった先は、街の中心部にある四階建ての建物だった。看板を読んだフェルがベルネスカ市役所だと教えてくれる。レジスタンスと警備隊の寄り合い所帯である正統ルーシャ軍は、この建物を接収して司令部にしているらしい。
『スルコフと言いましたね。ウルリッカはここにいるのですか?』
『先ほども申し上げた通り、自分には分かりません。ですが、ルルスカヤ大佐であればご存じのはずです。それから、名前を憶えていただき光栄であります』
『その方が責任者なのですね?』
『そうであります』
スルコフは司令部に入ると、受付のカウンターに座る兵に用件を告げる。やはり冬枯れの魔女の容姿は知れ渡っているらしく、受付の兵は慌てた様子で建物の奥へと消えていった。戻ってくるまで待つしかないだろう。
『どうもありがとう、スルコフ兵長。貴方の仕事に戻って構いませんよ』
『いいえ、魔女様。お帰りの際の運転も自分が務めるであります』
『分かりました。気遣いに感謝します』
放っておくと二人が戻ってくるまで直立不動で待っていそうなスルコフに、長椅子で座って待つよう命令する。その間に受付の兵も戻ってきた。
『お待たせいたしました。ルルスカヤ大佐の執務室までご案内します』
『頼みます』
『では、こちらへどうぞ』
案内に従って階段を上る。四階の最奥、元は市長室と思しき場所がルルスカヤ大佐の執務室だった。案内を務めた兵がノックすると、穏やかな返事が返ってくる。扉を潜ると、そこには軍服に似合わない柔和な顔つきの男が待ち受けていた。
『お待ち申し上げておりました、フェルリーヤ・ヴェールニェーバ様。私はグレゴリ・ルルスカヤ大佐と申します。我らが正統ルーシャ軍の指導者であるグレンスフォーク将軍から、このベルネスカを預かる連隊長に任じられております。以後、お見知りおきくださいますようお願い申し上げます』
『初めてお目にかかります、大佐』
軍人らしからぬ穏やかな口調。それでいて、軍服に着られている感じはしない。ルルスカヤはフェルと握手すると、ユベールに視線を向ける。
『そちらのお方は?』
『ユベール・ラ=トゥール。わたしの操縦士です』
『ほう。では、敗戦間際のルーシャからフェルリーヤ様を救い出したという飛行士が貴方ですね? そして此度はフェルリーヤ様の帰還にご助力いただいたと見えます。いや、貴方には感謝の言葉もありませんな。グレンスフォーク将軍に代わって、このルルスカヤがお礼を申し上げるとしましょう。本当にありがとうございます』
『どうも。ルーシャ語には不慣れで、無愛想なのはご勘弁願います』
ユベールの返事を聞いて、ルルスカヤが大袈裟に肩をすくめる。
『おお、これは失礼。聞くところによると、フェルリーヤ様も共通語を話されるとか。差し支えなければ、ここから先は共通語で話しましょうか?』
フェルと顔を見合わせ、互いにうなずいた。
「わたしは構わない」
「助かります。大佐は共通語に堪能でいらっしゃるのですね」
世辞であることは承知で、ルルスカヤが苦笑する。
「予備役で引っ張り出されて大佐などと呼ばれておりますが、戦争が始まる前はベルネスカの市長を務めておりました。似合わん軍服に窮屈な思いをしております。と、これは失礼いたしました。立ち話も何ですからおかけください」
応接用のソファに腰を落ち着け、当番兵に持ってこさせたジャム入りの紅茶を口にしてから、改めてルルスカヤが切り出す。
「まずは無事のご帰還が叶ったことをお喜び申し上げます。シャイアによる国境監視が厳しい中、帰国にはずいぶんな困難が伴ったのではありませんか?」
「ちょっとした伝手がありましてね」
マナルナ聖教国を経由してのシャイア横断について、かいつまんで説明する。
「なるほど、シャイアの意表を突く大胆なルートですな。将軍がフェルリーヤ様を託されたのもうなずける話です。加えて、シャイアはまだフェルリーヤ様の帰還に気付いていない可能性がある。これは今後の作戦上、重要な情報です」
「……大佐、先に言っておくが、わたしはルーシャ国内で魔法を使う気はない。先の戦争と同じ轍を踏むのなら、わたしたちはここを去ることになる」
感心しきりのルルスカヤに、フェルが釘を刺すように言う。
「……ご意向は承りました。将軍には内々にお伝えいたします」
柔和な表情は崩さないが、ルルスカヤの返答には微妙な間があった。シャイア軍と戦う正統ルーシャ軍としては、単独で戦局をひっくり返せるフェルの協力が得られるかどうかは死活問題なので当然の反応だろう。ここは表面上だけでも協力的な態度を装っておくべき場面だったが、フェルはそれをよしとしなかった。
「ウルリッカはどこに?」
「将軍は各地でレジスタンスと旧軍の統合を進めておられます。確約はできませんが、近いうちにベルネスカに戻られる予定です。市内のホテルに部屋を取りますので、旅の疲れを癒やすためにもしばらく滞在なさってはいかがですか?」
「……了解した。そうしよう」
フェルがうなずくと、ややあってルルスカヤが付け加える。
「それから、申し上げにくいのですが、外出はお控えくださいますよう」
「市内は危険なのか?」
「いえ、ベルネスカ市内の掃討は完了しております。ですが、シャイアのスパイや我々に反感を持つ者が潜んでいないとも限りません。万が一を考えれば、将軍が戻られるまでは安全な場所でお過ごしいただきたいのです。幸い、フェルリーヤ様を見かけた者は多くありません。彼らには口止めをして、ご帰還の事実は当面の間、対外的には伏せさせていただきます。これは作戦上の都合でもあります」
ルルスカヤの言葉を吟味したフェルがゆっくりとうなずく。
『分かりました。この件は大佐に一任いたします』
『はっ、了解いたしました。では、ホテルまで送迎させます。飛行機もこちらでお預かりして、しっかりと整備しておきますのでご安心ください』
*
ベルネスカ到着から三日が経った。
ウルリッカ帰還の報はなく、フェルと一緒に市内の視察に行こうとしても護衛として付けられた兵に制止され、ホテルから出ることも叶わない。割り当てられたスイートルームの居心地に文句はないが、やることもなく暇を持て余していると焦りばかりが募ってくる。ホテルに泊まるためにルーシャまで来たわけではないのだ。
「体のいい軟禁では?」
ため息交じりのフェルの言葉にうなずき返す。
「だよな」
ラウンジでの朝食中、壁際でこちらを見守る護衛には聞こえない声量で話す。できるだけリラックスした様子を装い、傍目には談笑しているように見せかける。
「フェルも分かってると思うが、個人の心情と政治的信条が一致するとは限らない。ウルリッカの率いる正統ルーシャ軍が目指す国家の形によっては、冬枯れの魔女の存在は邪魔にならないとも限らない。最悪のケースも想定が必要だ」
冬枯れの魔女に依存しきった元老院の醜態を、親衛隊長として間近で見てきたのがウルリッカ・グレンスフォークという人物だ。軍とレジスタンスを糾合した彼女の目指す新たなルーシャの政治形態がどのようなものか、現時点では分からない。
「その場合、ギルモットを押さえられたのが痛いな」
「荷物には手を付けないように言ってある。必要なものを取りに行くという名目で、機体の保管場所までは行けるはずだ。とは言っても行き先に当てがあるわけでもないし、逃げれば正統ルーシャ軍と袂を分かつことになる。最終手段だな」
「ウルリッカの居場所さえ分かれば会いに行けるのに……」
「望みは薄いが、俺の方でも情報屋に当たってみる。フェルと違って、俺は連中にとって運び屋に過ぎないからな。監視はつくだろうが、上手くやるさ」
「了解した。そちらは任せる」
「フェルはどうする? ルルスカヤ大佐に頼んで護衛と運転手を付けてもらえば、市内をドライブするくらい許してもらえるんじゃないか?」
「司令部に出向いて大佐に頼んでみよう。その方がユベールも動きやすいだろう」
「そうだな、頼む。また夕食の時に情報交換しよう」
口止めも兼ねて運転手に抜擢されたスルコフ兵長と護衛を引き連れて、司令部へ向かうフェルを見送る。たっぷり時間をかけて紅茶を飲んでからホテルの玄関へ向かうと、人の出入りをチェックしていると思しき兵に声をかけられる。
『どちらへ?』
「えっと……ルーシャ語だと『買い物』だっけ? 合ってる? しばらく滞在するから、服とか靴とか見繕いたいんだ。そんなに時間はかからないさ」
あえて共通語で押し通す。意図は伝わったらしく、兵士がうなずいた。
『お気を付けて』
ホテルから出る際に横目で確認すると、早速カウンターから電話をかける兵士の姿が確認できた。どこかで待機している他の兵士へ連絡しているに違いない。土地勘がなく、滑りやすい氷雪で固められている中で尾行を撒くのはさぞ骨が折れることだろう。まずは服装を変え、滑り止めのついた靴を買うところからだ。
「尾行の撒き方なんて、習いはしても実践したくはなかったがな」
滑って転ぶ無様は晒さないよう、雪のベルスカヤに慎重な一歩を踏み出した。




