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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第十一話 渡り鳥は愛を歌う
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11-4

 山嶺の向こうにある太陽が、空を明るく染める。霧が晴れ、ヒルム山脈の姿がくっきりと見えていた。風も穏やかで、こんなに天気がいいのは珍しいとマナルナ人の整備士が呟く。朝食は暗い内に済ませているので、すぐ出発することにした。


 昨日までは水上にあったギルモットが、今はフロートをスキーに履き替えて雪上にある。フェルと一緒に乗りこんで、エンジンをかける。すぐに滑り出さないよう整備士たちに機体を押さえてもらい、暖気の時間を取る。


 エンジンが十分に温まったのを確認して、整備士たちに合図を送る。彼らが手を離すとギルモットは滑走を始め、徐々に速度を上げていく。機体のブレをラダーで修正しながら離陸速度に到達するのを待ち、ゆっくり操縦桿を引き上げていった。


「雪の反射にやられないようゴーグルはかけておけよ、フェル」

「了解した」


 高度を上げていくと、稜線を超えた太陽光がコクピット内に差しこむ。雪の反射光を肉眼で見続けると一時的に視界を失うことも珍しくない。谷間を縫って飛行する最中に視力を失えば、待っているのは斜面への激突だけだ。


 旋回、そして上昇と下降を繰り返す。ヒルム山脈越えのルートはある程度まで体系化されているが、地図上でのシミュレーションと実際の三次元的な飛行では全く異なると言ってもいい。どこを向いても似たような風景の中、頼れるのは自身の空間認識能力と適切な操縦能力、そして有能な航法士のナビゲーションだけだ。


「右旋回、三十度だ」

「了解。右旋回、三十度」


 軽口は叩かず、操縦に集中する。地図を読み違えてルートを外れれば、正しいルートに戻ってくるのは容易ではない。戻れたとしても、着陸できる場所まで燃料が持たなければ墜落か不時着かの選択を迫られることになるのだ。


 幸い、天候の急変に見舞われることもなくルートの消化は進んでいった。地図上の位置と、実際の風景にも相違はない。雪や霧で視界が悪くなればこういった確認も難しくなるので、今回は本当に運に恵まれていたと言っていいだろう。


「ユベール。空が白くなってきた。雪が降るぞ」

「問題ない。前方の谷間を抜ければ平野に出る」


 逸る気持ちを抑えて谷間を抜けると、一気に視界が広がる。世界最大の面積を誇る高原地帯であるシンユー高原。歴史上、シャイア帝国とマナルナ聖教国が幾度も矛を交えてきた古戦場であり、シャイア帝国発祥の地でもある。エウラジア大陸の大半を版図に収める大帝国は、高原の遊牧民族から始まったのだ。


 ギルモットの給油はシンユー高原の北端にある小さな集落で行う手筈となっている。ヒルム山脈から流れ出る大河に沿って北上していくと、やがて巨大なダムが見えてきた。大量の水を堰き止める堤体を飛び越えると、その先には深い谷が続く。


 昼過ぎには目指す集落の上空に着いた。山裾の少し開けた場所で、飛行機が着陸できるように除雪された細長い平地が見て取れた。ローパスでさらに詳細な状態を確認すると共に、念のためにシャイア軍の待ち伏せがないかを警戒する。


「どうだ?」

「大人数が隠れている気配はない。集落に人と羊の気配があるだけだ」


 ここ最近、さらに鋭敏になったフェルの魔力感知は、身を潜める生物の存在も看破できるまでになっていた。彼女がそう言うのなら、軍の待ち伏せはないはずだ。


 スキーでの離着陸の経験は多くない。着雪の衝撃で横滑りしそうになりつつも、何とか機体を停止させる。キャノピーを開けて高原の澄んだ空気を吸いこんでいると、集落の方からのんびりと歩いてくる人影が見えた。風雪に晒され、顔に深いしわを刻んだ初老の男が一人だけ。機体を降りて、近付いてきた男に軽く会釈する。


『こんにちは』

 ユベールが慣れないシャイア語で話しかけると、向こうも挨拶を返してくる。

『こんにちは、よく来なさった。欲しいのは油だね?』

『ええ。代金はこちらに。それと、これは貴方に差し上げます』

 金と一緒に煙草の箱を差し出すと、男がにやりと笑う。

『宿は入り用かね? 代金は別に頂くが』

『宿泊ですか? いいえ。すぐに出発します』

『そうかね』


 それ以上は詮索せず、男は踵を返すとマイペースに歩んでいく。給油のためにタンクやポンプを持ってくるのだろうか。開けた場所でじっと待っていると身体が冷えてしまいそうだが、近くに休めそうな場所も見当たらない。


「どうする?」

「どうするかな……」


 フェルはもちろん、ユベールにとっても敵地と呼べる場所だ。無防備に機体を離れて休める場所を探す気にもなれず、かといって遮るものもない吹きさらしでは身体が冷えるばかりだ。男がすぐに戻ってくる気配もないので、機体に戻ってキャノピーを閉めることにする。暖房はないが、風がないだけ外よりはましだった。


「ユベール、質問がある」

「どうした?」

「この村はシャイア人の村なのに、なぜわたしたちに協力しているんだ?」

「生活のため、それからシャイア政府への意趣返しだろうな」

「意趣返し? 復讐ということか」

「昔、この村は別の場所にあったんだ」

「移住してきたのか。どこから?」

「俺たちも見てきただろう。あのダムの底だよ」


 遊牧民には部族ごと、家族ごとの縄張りがある。ダムの建設でわずかな金と引き換えに住み慣れた場所を追われた彼らに行き先はなく、流浪の末にたどり着いたのはシンユー高原の最北部、水に乏しく寒さの厳しい辺鄙な土地だった。


「故郷を奪ったシャイア政府を憎んで、ということか」

「人伝てに聞いた話だ。本当のところは分からんし、彼らには彼らの考えとやり方がある。そして俺たちにとって重要なのは、ここで給油できるってことだ」

「そう、だな」


 会話が途切れ、しばらく待っていると、男がそりに手押しポンプと燃料タンクを積んで戻ってきた。ちゃんとした燃料なのか一抹の不安がよぎるが、フェリクスの紹介を信じるしかないだろう。そもそも、他に選択肢はないのだ。


 男は作業を急ぐ様子もなく、見ていると次第にじれったくなってくる。ユベールが機体を降りて手伝いを申し出ると、男は黙って手押しポンプを指で差してみせた。少なくとも、辺りに漂う嗅ぎ慣れた匂いは航空燃料のそれだった。


 二度の往復で燃料タンクを満たすと、用は済んだと言わんばかりに男は去っていく。航空燃料の仕入れや運搬も考えれば外国機への給油は村ぐるみの事業であり、シャイア政府に知られれば村人全員が国家反逆罪に問われるだろう。ユベールたちがこの先の行程でシャイア軍に補足され、尋問を受けたとしても結果は同じだ。彼らなりのやり方でシャイアに抗う村人のためにも、無事にルーシャに着かねばならない。


「出発だ。この先は北部シャイアとモルウルス自治区を突破して、一気にベルネスカまで飛ぶ。シャイア軍に発見されないよう、くれぐれも警戒を緩めるなよ」

「了解した」


 シャイア軍の警戒線に引っかかるとこちらが危険なのはもちろん、発見された地点と飛行ルートから逆算して給油地点を割り出される可能性もある。特にモルウルス自治区の国境付近は厳重な警戒線が引かれているので注意する必要がある。


 再び離陸して、北部シャイアに侵入する。乾燥した砂漠の広がる一帯は、かつては交易で、現在は資源の発掘と輸送で人と物の往来が絶えない。逆に言えば、そのルートを外してしまえば監視の目も少ないということだ。主要な交易路とそれに寄り添う鉄道網を避け、何度か針路を変えつつ北上していく。


 主要な航空部隊が東西の戦線に引き抜かれていることもあってか、モルウルス自治区の国境まで戦闘機どころか民間の航空機の影すら目にすることはなかった。風景は砂漠から荒野へと切り替わり、地上には擱座した戦車の姿が見える。寒々しい荒野に不気味な存在感を示す不自然な隆起、うっすらと雪に包まれた大地に引かれた黒線のような地割れは、冬枯れの魔女が振るった暴威の名残だろう。


『ここはかつて、馬が駆け抜け、羊たちが草を食む草の海が広がる土地でした』

 伝声管を通じて、淡々としたフェルの声が聞こえてくる。

『遊牧の民は、彼らの暮らしをその基盤から破壊した冬枯れの魔女を恨んでいることでしょう。この光景はわたしが作り出したもの。ルーシャを守るという大義名分で、遊牧民の犠牲を容認した結果。わたしの犯した、取り返しのつかない罪悪です』


 強者が弱者から奪い取る、略奪の連鎖。見方によっては誰もが略奪者であり、被略奪者でもある。誰からも奪う力のない者は遠からず滅びることになる。


 弱者からの搾取に鈍感であることは、統治者としてのある種の資質だ。自らの罪深さに足を止めていては、人々を導くことなど叶わない。そこに対して鈍感でいられないなら、今度はそれを呑みこんでなお進む度量が求められる。


「行こう、ユベール。わたしは自らの目で今のルーシャを見定めたい」

「了解だ、相棒」


 いつの間にかキャノピーの外には雪がちらつき、空と大地の境界は次第にあいまいな白に塗り潰されていく。シャイア帝国領ルーシャ自治区。フェルにとってはほぼ一年ぶりとなる、雪と氷に閉ざされた故郷への帰還だった。

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