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マナルナ聖教国の港町シュラトを空から俯瞰して真っ先に気付くのは、高い建物がほとんど存在しないことだ。これは高層建築の技術がないからでも、シュラトだけの特徴というわけでもない。ギルモットを着水させてエンジンを切り、キャノピーを開いてスパイスと潮の香りを吸いこむと、遠くから鐘の音が響いてきた。
「礼拝の時間だ。どうにか間に合ったな」
鐘の音は街の中心部、シュラトの中央にある鐘楼から聞こえてくる。
「音を遮る高層建築がないから、街のどこにいても鐘の音が届く。マナルナ教徒は礼拝中の騒音を嫌うから、鐘の音を耳にしたら一時間は大人しくしといた方がいい」
「では、その間に入国審査を済ませよう。審査所はどこだ?」
「場所は分かるが、少し時間を潰してから行こう。審査官も礼拝中だろうしな」
それらしい建物を探していたフェルが、驚いた表情を見せる。
「仕事中でも礼拝するのか?」
「聖教国は国民全員がマナルナ教徒だから、そもそも朝夕の礼拝が勤務に組みこまれてるのが当たり前なんだ。雇い入れた現地民に礼拝の時間を取らせなかった外国企業が焼き討ちに遭った例もある。タブー破りじゃ仕方ないと、警察も知らん顔だ」
「他にはどんなタブーが?」
「俺も詳しいわけじゃないし、とにかくやたらと数が多くて全部は把握できない。今回は通り抜けるだけだから、そうだな……牛と渡り鳥が神聖視されていること、妙な風習が多いから変だと思っても迂闊に口を挟まないこと、それから……」
言い淀むユベールを不思議そうに見上げるフェル。微妙な問題なので表現に迷ったが、言わずにおくリスクの方が高いと判断して思ったままを言うことにした。
「……フェルの容姿は注目を集めるだろう。お前に向かって手を合わせたり、身体に触れようとするやつがいるかも知れない。けど相手をするな。超然としてろ」
得心がいった様子でフェルがうなずく。
「アルビノは特別視されるのか」
「端的に言えばそうだな」
フェルがあっさりと口にしたことで説明を続けやすくなった。
「厳密に言えば、フェルはアルビノじゃない。肌が白くて、髪色が真っ白だから勘違いされやすいだけだ。けど、そもそも外国人が珍しいこの国でそんな区別がされるかって聞かれれば、答えはノーだ。アルビノは神話に出てくる白い神ファルナの生まれ変わりとされているから、フェルがそれと同一視される確率は高い」
「危険があるのか?」
「仮にも神様だから、そう無体なことはされないと思う。けど、念のためだ。できるだけ目立たないよう、頭にスカーフでも巻いておけ。それから、もし危険を感じたら……その時は躊躇せずに力を使え。全ての責任は俺が負う」
「了解した。そうならないよう注意しよう」
*
入国審査の際、スカーフを取ったフェルの容姿に周囲がざわめく一幕もあったが、それ以外は大きなトラブルもなかった。給油と機体のチェックを済ませて、手持ちの黒ゴマのビスケットで手早く腹ごしらえをしたらすぐ飛び立つ。
マナルナ聖教国内を一気に北上。シャイアとの国境付近でギルモットが着水できる唯一の湖であるパング湖を目指す。世界有数の高さを誇り、シャイアの侵攻を退ける天然の城壁でもあるヒルム山脈が近付くと、次第に標高が高くなってくる。気温が下がってきたので、操縦しながらジャケットを着こむ。
「湖が凍っている可能性はないのか?」
雪で覆われた地表を見たフェルが懸念を示す。
「パング湖は塩湖だから、そう簡単には凍らない。厳冬期ならともかく、この季節ならまだ表面に薄く張る程度のはずだ。フロートで割っちまえば問題ない」
「ふむ。最悪、壊れても構わないということか」
「フェリクスには怒られるだろうけどな」
「そうなったら、二人で謝ろう」
昼過ぎという時刻も幸いして、着水に支障はなかった。キャノピーを開くと、独特の嫌な臭いが鼻を突く。不自然なほど鮮やかな青色の湖面から立ちこめる臭いだ。ギルモットを湖岸に乗り上げ、なるべく靴が濡れないように機体から降りる。
「相変わらず、見た目は良いのに臭いが酷い湖だな」
「ユベールはここに来たことがあるのか?」
「以前の仕事でな。だが、この先はフェリクスから聞いただけで実際に飛んだことのないルートになる。ここからが本番だから、気を引き締めろよ」
「了解した。それにしても、この景色は素晴らしいな」
「全くだな。こんな状況じゃなきゃ、のんびり眺めていたいところだ」
土砂の堆積で自然に流出が止まったパング湖は、岩塩の鉱脈から溶け出した塩分が濃縮されたため、わずかな甲殻類を除いて魚の棲めない塩湖となっている。空を映し取ったような淡い青の湖は透明度が高く、周囲の雪原との対比で見た目には美しかった。背後に控えるヒルム山脈が映りこむ様子も絶景だった。
「ユベール」
夏は観光客を受け入れているのだろう湖岸のコテージから、機材を抱えた数人の男が出てくるのに気付いたフェルが注意を促す。男たちはフェルの姿を認めて感嘆の声を漏らし、しきりに手を合わせて拝んでいる。
「大丈夫、打ち合わせ通りだ」
ここからヒルム山脈を越えればシャイア帝国領となる。シャイアを超えてルーシャまで飛行するに当たって、最低でも一回は給油しなければ燃料が持たない。問題は、どこに降りて給油するかだ。混ざり物のない燃料を売っている規模の街には必ずシャイア軍の詰め所があり、飛行機が降りてきたら間違いなくすっ飛んでくる。
もちろん、フェルの魔法があれば地方都市に駐屯する小部隊を吹き飛ばすくらいは造作もない。だが、例え全滅させても目撃情報などから彼女がルーシャに向かったと推測するのは容易だ。その情報は即座にルーシャに駐屯するシャイア軍に伝えられ、当初の目的であるルーシャの現況を見聞することは難しくなるに違いない。
「予定通り、ここでギルモットをフロートからスキーへ換装する」
エウラジア大陸の南岸で唯一、公然と反シャイアを掲げる国家であるマナルナ聖教国は、シャイアへの密入国の足がかりとして各国のスパイが利用している。今回はそのために用意された人員と機材を融通してもらうよう、眠れる獅子と話を付けてあった。ギルモットを湖から雪原に引き上げて換装の手順を確認しているのは、アルメアやケルティシュで整備を学んだマナルナ人の整備士たちだ。
「作業にどれくらいかかる?」
共通語で質問すると、周りに指示を出していた男がむっつりと答える。
「三時間」
「分かった。終わったら出発するから教えてくれ」
ユベールの言葉を聞いて、男が不満げに鼻を鳴らす。
「死にたくないならやめとけ。夕方から霧が出る」
男が顎をしゃくって示したヒルム山脈はくっきりと見えていて、霧の兆候はない。しかし山の天気は変わりやすく、変化が早い。その上、異国の地でもある。現地の人間の言葉には従うべきだった。山越えは晴天の昼間飛行でも危険なのだ。
「……そうか、仕方ないな。あのコテージに泊まれるのか?」
「ファルナの化身には個室を用意する。お前は俺たちと雑魚寝だ」
「贅沢は言わない。雪と風を凌げるだけでありがたいよ」
ユベールの言葉にうなずき、整備士たちが作業を始める。しばらく見ていたが作業に迷いはなく、妙な動きもない。身体も冷えてきたので、コテージに入ることにした。中は薄暗く、ロウソクに使われる獣脂の匂いに満ちていたが文句は言えない。暖炉の火が消えかけていたので、彼らが用意したのだろう乾いた薪を追加してやる。
新しい薪に火が移り、揺らめく炎に手をかざしていると思った以上に身体が冷えていたことに気付く。隣にいるフェルも心なしか安らいだ表情に見えた。
「ユベール、わたしたちは何もしなくていいのか?」
「夕方の礼拝までに作業は終わるだろう。その後は夕食になるから、準備でもしておくか。その前に、お湯を沸かしてお茶の準備もしないとな」
「わたしも手伝おう」
「大した仕事じゃない。お前はゆっくり火に当たってろ」
「了解した……ありがとう」
マナルナ人はコーヒーよりも砂糖やミルクを入れたお茶を好む。ここは標高が高く、沸点が低いので、やや長めに煮出した方がいいだろう。出発前にシュラトで買った清潔な水を薬缶に入れて暖炉の上部に置き、上等な茶葉を用意する。
整備士たちが作業を終えて片付け始めるのを見計らって茶葉を投入し、しっかりと煮出す。凍えた様子でコテージに戻ってきた男たちは馥郁とした香りに目を丸くし、それがユベールの入れた茶だと分かると相好を崩した。
用意された砂糖とミルクを各人が思い思いに自分のカップへと投入して、暖炉を囲んで話をしながらお茶を飲む。戒律で飲酒を禁じられたマナルナ教徒はお茶の時間を重要視し、共に茶を飲みながら話をした相手を仲間と認める、という話をフェリクスから聞いたことがあった。効果はてきめんで、一仕事を終えた安堵感と暖かい室内が先ほどまでは口数の少なかった彼らを饒舌にした。
「知ってるか? 俺たちは身分によって使うべき乗り物を定められているんだ」
「けど飛行機は教えの中に存在しない。誰でも使える乗り物なんだ」
「だから俺たちは整備を学んだ。仲間には操縦を学んだやつもいる」
「今となっちゃ、高貴な人たちは自分より身分の低い俺たちや、あんたみたいな外国人に頼らなきゃ飛行機には乗れない。俺たちが先んじて操縦と整備を習って、自分たちの乗り物にしちゃった手前、飛行機が便利だと気付いても操縦を習いたいとは口にできなくなっちまったんだ。なあ、滑稽な話だろう?」
彼らの間では鉄板のネタなのだろう。整備士たちがお互いの肩を叩いて笑い合う。そうして話している内に山脈の彼方へと日が沈み、礼拝の時間となる。厳粛な面持ちでひざまずき、聖地へ向かって祈る彼らの姿は敬虔な信仰者のそれだった。
「不思議な国だな、マナルナは」
フェルの言葉にうなずく。信仰と技術、一見して結びつかない両者が独自の形で絡み合い、昇華されているのがマナルナ聖教国という国家だ。
「色々片付けたら、また来てみるのもいいかもな」
「そうだな。きっと、二人でまた来よう」
礼拝の後、質素な夕食を摂るとやることもなくなってしまった。薄暗い獣脂のロウソクと暖炉の熾火では光量にも限界があるので、さっさと寝てしまうことにする。念のため、フェルのいる個室のドアを背にする形で毛布をかぶる。
「おやすみ、ユベール」
ドア越しに伝わってきた声に、小さく応える。
「ああ。おやすみ、相棒」




