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すでに話を付けてあった農家の納屋に燕翔を運び入れる。農場の拡張に伴い使われなくなった場所だそうで、農家の主人は格安で貸してくれた。オイルや燃料は抜き、防水布で梱包してあるので運がよければ終戦後にレストアできるはずだ。
「どれくらいの期間、保管できるんだ?」
帰りのトレーラーの中で、フェルが質問する。
「場所についてはひとまず三年の約束だ。その間、機体が保つかどうかは賭けだな。アウステラは乾燥した気候だから、木造飛行機でもすぐ腐りはしないだろう」
率直に言って、楽観視はできない。当局に発見されたり、農家の主人に告発される可能性も考えれば、終戦後に燕翔をレストアできるかどうかは一種の賭けだ。
「ルインは同僚に挨拶しなくていいのか?」
「問題ありません。それより、貴方たちのいう飛行艇を早く見てみたい」
「分かった。ニューホーンに運び屋の知り合いがいるから、紹介しよう」
「ユベールさんが送ってくれるんじゃないんですか?」
「残念だが、ギルモットは二人乗りなんだ」
ルインには言わないが、ヴェルヌ社で建造中の新型機とフェルの関係をアルメア政府に知られるリスクを避けたい、という事情もあった。燕翔と違って接収してどうこうできるものではないが、慎重に進めるに越したことはない。
「それじゃ、力を貸してくれることを祈ってるよ」
「ええ、僕が手がけるのですから最高の飛行機になりますよ」
「また会おう、ルイン」
要人輸送を専門とし、密入国も請け負う知り合いの飛行機乗りにルインを預け、ニューホーンからルウィンダへ飛んだ。顧問弁護士のウィリアムに報告するためだ。ティエンの釈放や商会の維持のために忙しく飛び回る彼と連絡をつけ、事の顛末を説明する。彼は黙って説明を聞き終えると、事務的にうなずいた。
「燕翔の処遇と保管場所、それから開発主任の退職について、確かに承りました。廃材の処分に関する契約書類を準備しますので、少々お待ちください」
席を外したウィリアムが、五分ほどで戻ってくる。予め準備を済ませていたらしい。燕翔を廃材として扱い、譲渡費用と処分費用で相殺する形だ。サインを済ませ、燕翔は正式にトゥール・ヴェルヌ航空会社の所有物となった。未完のエアレーサーは解体を待つ間という名目で、アウステラの田舎にある農場に一時保管される。
「すまなかったな、あんたの希望に沿えなくて」
ユベールの言葉に、ウィリアムが苦笑する。
「こちらこそ、つい仕事に私情を挟んでしまって……お恥ずかしい限りです」
その先を続けるか迷うような一瞬の間を置いて、ウィリアムが言う。
「ええ、誰の手にも渡らないという結果になってよかった。商会の人間ではない貴方にだから言えることですが、私はティエンのことが嫌いではないんですよ。人格の面でも、報酬の面でもね。彼を裏切ることにならなくて、本当によかった」
*
ウィリアムと別れ、夕食を取ることにした。もう遅い時間なのでルウィンダで一泊するとして、明日からの動きをフェルと話し合っておきたかった。
「さて、今後の話をしておこう」
ユベールが切り出すと、フェルがステーキを切り分ける手を止める。
「燕翔の件はこれで片付いたが、ルインと知り合えたのはともかく金にはならなかった。まったく、アウステラに来てからツキに見放されたようだな」
「次の仕事に当てはないのか?」
「今さらだが、ギルモットで請けられる仕事はどうしても限られるんだよな。燃料代もタダじゃないし、いっそ新型機が形になるまで休暇にしてもいいくらいだ」
アルメアやシャイアといった北半球の国々が情勢の悪化で立ち寄りにくくなり、行動範囲が制限されているのも問題だ。南半球の国々では航空機の普及が進んでいないので、整備や給油を考えると費用とリスクの面で問題がある。
「フェルは行きたい場所はあるか?」
「……また、わがままを口にしても構わないか?」
「言ってみろよ、相棒。相談なら乗るぜ」
「ルーシャに行きたい。あの国の現状を、自分の目で確かめたい」
半ば予期していた言葉だった。責任感の強い彼女が、そのことを考えていなかったはずもない。今までは、遠慮もあって言い出せなかったのだろう。
「いくつか問題はある」
「分かっている。無理を言ってすまない」
目を伏せる彼女の頭を撫でて、前を向かせる。
「待てよ。ダメだって言いたいわけじゃない」
いつか、フェルがルーシャに帰る日は訪れる。
そう考えて、ルーシャの情勢には気を配っていたのだ。シャイアの統治下で外に漏れ出す情報は少ないが、それでも手に入れる手段がないわけではない。
「アルメアとの戦争で、シャイアはルーシャを気にかける余裕がなくなっている。すぐには無理でも、それを目的に動けば遠くないうちに機会は作れるはずだ」
「本当か?」
目を輝かせるフェルだが、すぐに心配そうな表情になる。
「だが、ユベールも危険に巻きこむことになる」
「今さらだろ? それより、お前は本当にいいのか?」
「何のことだ?」
「ルーシャに戻れば、ただのフェルではいられなくなる。シャイアに狙われるのはもちろん、レジスタンスや残党軍からは反シャイアの旗印として期待をかけられるだろうし、平穏な生活を維持したい民衆から恨まれることもあるだろう」
ユベールの言葉をじっと聞いていたフェルが、ゆっくりと瞬きする。
『覚悟の上です。場合によっては、わたしだけでなく貴方に命の危険があることも。それでも、わたしは……いつの日か、ただのフェル・ヴェルヌとして貴方の隣に在るために……フェルリーヤ・ヴェールニェーバであることに向き合わなければならないのです。こんなわたしに着いてきてくれますか、相棒?』
親愛に満ちた笑顔で見つめられて、改めて直視させられる。
命を懸けてもいいと思えるほど、彼女のことが好きになっていることを。
「当然だろ、相棒。お前が行きたいなら、どこにだって飛んでやるさ」
第十話「巣立ちの日を夢見て」Fin.




