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方針は決まったので、準備を済ませてから廃工場へ向かうことにした。昼過ぎに到着してみると、何やら雰囲気が重い。技術者たちは頭を寄せ合って相談していた。
「どうかしたのか?」
「ああ、えっと、ユベールさんでしたか」
ルインを探して声をかけると、彼は苦々しげに顔をしかめた。
「遅いじゃないですか。ウィリアムさんから連絡はありましたか?」
「聞いていないが、悪い報せか」
ルウィンダに残ってティエンの早期解放と商会の資産保全に尽力するウィリアムがこのタイミングで連絡してくるとなると、その可能性は高かった。
「輸送船の船員による密告があったそうです。シャイアの会社が厳重に封印を施した貨物をニューホーンに陸揚げした、違法な品物を密輸したのではないかってね。当局は密告を重く見て商会の資産差し押さえに踏み切ったそうですが、商会の扱う品物に違法性は全くないから慌てずに、港にある倉庫の捜索を受ける事態になったとしても当局の指示に従い、無用な混乱を避けるようにとのことでした」
央海戦争が始まって以来、シャイア人に向けられる視線は厳しくなっている。燕翔の機密漏洩と輸送中の破損を防ぐための過剰に丁寧な取り扱いがあらぬ疑いを呼んだのだろう。すでに個人資産の凍結を決めたアウステラ政府に、まっとうな法治主義は期待するべくもない。今この瞬間、当局に踏みこまれてもおかしくなかった。
「連絡を受けた場所と時間は分かるか」
「ええと、ニューホーンにある商会の事務所に、今朝九時ごろですね」
腕時計に目をやる。すでに電話から三時間が経過している。
「搬出の準備は?」
「搬出、ですか?」
オウム返しにするルインの姿に、思わずため息をつく。
「盗聴される危険を冒してウィリアムが連絡してきた理由を考えろ。資産隠しの指示をしたという言質を与えずに、燕翔を別の場所へ移すためだろうが」
「ああ、なるほど。そういうことですか」
鈍い返答に苛立つ気持ちを抑えつける。こうした事態に慣れていない技術者たちでは仕方のないことだ。具体的な指示も付け加えてやることにした。
「理解できたら、さっさと主翼を取り外してトレーラーに積みこんでくれ」
「ううん、しょうがないですね」
ルインが指示を出し、技術者や整備士たちが動き出す。作業が終わる前に踏みこまれる事態に備えて、念のためにニューホーン方面の道路が見通せる場所で待つことにした。車にもたれて煙草に火を付けると、隣にフェルがやってくる。
「この場所がバレる可能性はあると思うか?」
「さあな。ルインたちの迂闊さと、アウステラ警察の有能さによるだろ」
周辺に人家はないが、地域の住人が廃工場に停まる不審なトレーラーと十数人の男たちを目撃した可能性はある。警察が港にあるシャイア商会の捜索で満足せず、郊外まで捜査の手を伸ばせば、燕翔を運びこんだ先はすぐに露見するだろう。
「作業完了まで二時間ってところか。ウィリアムの電話から数えれば五時間。もう手が伸びてきてもおかしくない頃合いだ。警官に鼻薬をかがせる手もあるが、効果がなくてあえなく逮捕されるなんて結末はなるべく避けたいところだな」
「もしアウステラにいられなくなったら、行く先はあるのか?」
「サウティカのアル殿下を頼るか、ジウラス大陸を目指すか。アルメアも西海岸なら落ち着いてるし、今までに旅した場所の様子を見に戻るのもいいかもな」
「新型機の開発状況も気になるところだ」
ルーシャから始まったフェルとの旅も半年が経とうとしている。ニューホーンの経度は旧ルーシャ領にかかっているので、ほぼ地球を一周したと言える。まだ訪れたことのない国や場所はいくらでもあるが、ひとつの区切りではあった。
「その新型機のためにも、交渉を成功させないとな」
当局の動きが予想外に速かったために修正を迫られたが、フェルと話した当初の計画は実行できる。事の成否はユベールの交渉力にかかっていた。
「交渉は任せる。頼んだぞ、相棒」
「丸投げかよ……」
清々しいまでの割り切りっぷりだった。
「ルインの性格を考えても、その方が上手くいくだろう」
「仕方ないな、任されたよ」
フェルの見立ては正しい。ここまでのルインの対応を振り返ると、彼はユベールだけを相手と見做している節がある。フェルをただの子供だと侮っているか、ああした技術者肌にありがちな女性を苦手とするタイプの人間なのだろう。
*
「いつでも出発できますよ、ユベールさん」
手持ちの煙草が全て灰になるころ、作業が完了してルインが呼びに来た。
「よし、全員を集めてくれ」
トレーラーの前に集まった人々の顔を見渡す。ユベールやフェルとは比べものにならないほど燕翔に深く関わり、少なからぬ思い入れを持つ人たちだ。ティエンの知り合いというだけで機体を横取りされて、おもしろいはずもない。トレーラーの前に立つ二人に向けられるのは、不信と敵意の視線だった。
「さて、改めて挨拶させてもらおう。トゥール・ヴェルヌ航空会社の社長を務めるユベール・ラ=トゥール、そして航法士のフェル・ヴェルヌだ」
値踏みするような視線をものともせず、フェルが軽く頭を下げる。
「すでに聞いていると思うが、アウステラ政府はティエン氏を拘束するに飽き足らず、君たちの頭脳と技術の結晶である燕翔をも奪おうとしている。ティエン氏の友人として、また一人の飛行機乗りとして、これは私にとっても許しがたいことだ」
数人がうなずく。ここからどう話を転がすかが重要だ。
「我々にとって最悪の事態とは、燕翔という最新鋭機を国家権力が労せずしてかすめ取っていくことだ。彼らはエアレーサーとしての燕翔に価値を見出さず、要素技術の軍事転用を画策している。燕翔は解体され、本来の開発者である君たちの功績は軍のお抱え技術者にかすめ取られることだろう。では、どうすればそのような結末を回避できるか。私から君たちに、みっつの案を提示できる」
燕翔の開発者たちと機体を奪いにきたユベールたちという対立を、燕翔を守りたいユベールや開発者たちと燕翔を軍事利用したい国家という構造にすり替える。事を円滑に進めるため、彼らにはユベールを味方だと認識してもらう必要があった。
「ひとつは、燕翔を完成させる案。機体さえ完成すれば、空からアウステラを脱出できた。しかし、密告により燕翔の存在が露見した今、それを待つだけの時間的な余裕はもうない。もうひとつは、機体を破棄する案だ。機体は失うことになるが、少なくとも国家権力の横暴に対して一矢報いることはできる。設計図と技術者さえ第三国へ逃がせれば燕翔の再建造は不可能ではない。だが、これは最終手段だ」
皆、じっとユベールの言葉に耳を傾けている。できれば燕翔を救いたい、という気持ちは全員に共通するものだ。理解が浸透するのを待って、続ける。
「第三の案は、隠匿だ。幸い、当局は運びこまれたのが航空機だと知らない。燕翔を隠して、トレーラーにはこの辺りの適当な産物を積んで戻れば誤魔化せる。露見するリスクはあるが、戦争の終結まで隠し通せればこちらの勝ちだ」
ユベールが言葉を切ると、にわかに希望が出てきたことで場がざわつき、技術者たちから活発に質問が飛び始める。
「隠し場所はもう決まっているのか?」
「ここに来る前に見繕ってきた。ただし、正確な場所は教えられない。知れば、当局の尋問を受けたときに嘘をつく必要が出てくる。最悪、偽証罪に問われることも考えれば、隠し場所を知る人間は最小限に抑える必要があるんだ」
「具体的には誰が隠し場所を把握することになるんだ?」
「顧問弁護士のウィリアム、開発責任者のルイン、そして開発再開の暁にはテストパイロット候補となる私とフェルの四人を考えている」
「開発を中断して、俺たちはどうなるんだ?」
「ウィリアムとも相談して、残るにしろ出ていくにしろ各人の希望を最大限に尊重する。もちろん、開発を再開する際には優先的に声をかけることになるだろう」
質問が落ち着くのを見計らって手を打ち鳴らす。
「さあ、あまり時間がない。残りの質問は戻ってきてからにしてくれ。ルイン、代表として同行を願いたい。残りのメンバーは撤収の準備を進めてくれ」
ユベールの言葉に従って全員が動き出すのを確認して、トレーラーに乗りこむ。ハンドルを握り、フェルとルインが乗るのを待って出発した。
「目的地まで一時間はかかる。その間に話したいことがあるんだが」
「なんですか?」
助手席で返事をするルインは不機嫌さを隠そうともしていない。おもちゃを取り上げられる子供のような態度に思わず苦笑が漏れる。
「ルインはこれからどうするんだ?」
「燕翔のないティエン商会に未練はありません。アルメアかシャイアに行けば軍の仕事があるでしょうから、これが終わったら船を探します」
微塵のためらいもない口調で言い切るルイン。だが、シャイアは決して外国人の技術者を重用しないし、アルメアも敵国で航空機を開発していた人間に新型機の開発を任せるほど人材に困っていない。彼が思うほど再就職は上手くいかないだろう。
「アルメアに行く気があるなら、軍よりも自由にやれる場所がある。ヴェルヌ社の名前を聞いたことはないか? そこで今、おもしろい水上機を作ってるんだ」
「ああ、ヴェルヌ社なら名前を聞いたことがあります。知り合いなんですか?」
「社長のフェリクスとは十年来の付き合いだ。ルインほどの才能なら大歓迎だろうな。興味があるなら、今回の件の詫びも兼ねて紹介状を書かせてもらうよ」
「ふむ……おもしろい水上機、というのは?」
ルインが徐々に興味を示し始める。もう一押しだった。
「魔法のように戦局を変えうる飛行艇だ、と言ったら信じるか?」
ユベールの言葉を聞いたルインが吹き出す。
「これは大きく出ましたね」
ルインを新型機の開発に引き入れるのはフェルの発案だ。もし彼が信じなければ、魔法を実演してみせる手筈になっている。代表者として彼一人を連れてきたのも、目撃者が彼だけなら魔法などという妄言を信じる者もいないからだ。
「いいでしょう、どうせアルメアには行く気でしたからね。実際の機体を確認して、貴方の言葉の真偽を確かめるとしましょう」
「決まりだ。運転中で握手もできんが、よろしくな、ルイン」
「代わりにわたしが。よろしく、ルイン」
フェルが差し出した手を、やや挙動不審になりながらルインが握り返す。
「よ、よろしく。ええと、フェルさん……でしたっけ」
ルイン・ジュードロウ。誘われたのが戦争中の敵国だろうと意にも介さない無節操さと、確かな才能を併せ持つ有能な技術者。彼をトゥール・ヴェルヌ航空会社の命運を握る新型機開発に関わらせるのは、一種の賭けだった。
この選択がよき結果に繋がるかどうかが分かるのは、まだ先の話だ。




