表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第九話 航海者の杯を満たすは幻の酒
61/99

9-7

 重い目蓋を上げると、隣のベッドに寝ていたフェルと目が合った。彼女も目覚めたばかりらしく、猫のように丸まって不機嫌そうに目を細めている。連日の長距離飛行に加えて、一仕事終えて緊張の糸が切れたことで倦怠感が身体を包んでいた。


 ぼんやりした思考のまま、サイドテーブルの腕時計へ手を伸ばす。時針の指し示す数字は、濃厚なブラックコーヒーより強烈な覚醒をもたらした。


「起きろ、フェル! もう十二時を回ってるぞ!」

「……どこか行くのか」

「寝ぼけるな! コンペはもうとっくに始まってるぞ!」

 無言で起き出したフェルが、寝癖の付いた頭で洗面所へ向かう。

「くそ、決勝に間に合うかって時間だな。そもそもジョンは勝ち残ってるのか?」

 慌てて着替えるユベールに、洗面所から顔を出したフェルが声をかける。

「慌てるな、ユベール。わたしたちが行っても結果は変わらない」

「朝は本当にテンション低いよな、お前」


 フェルの言う通り、カクテルコンペの場においてユベールとフェルにできることはない。ジョンに材料を届けた時点で仕事は終わっているのだ。現地で見届けても、ホテルで寝ていても、結果が変わることはないだろう。


「じゃあ、俺は行くけどお前はホテルで寝てるか?」

「ユベールが行くなら、わたしも行く」

「なら寝癖くらい直してこいよ、お姫様」

「だったら早く出発するために手伝ってくれないか、相棒」



 タクシーを拾って会場へ向かう。入場料を払って会場へ入ると、ちょうど決勝戦に勝ち残った四人のバーテンダーが紹介されているところだった。


「ジョンは?」

 ステージを見ようとして人垣に阻まれ、背伸びしながらフェルが問う。

「よし、勝ち残ってるぞ」


 観客たちがフェルに気付いて道を空けてくれたおかげで、審査員席が見える前列まで進めた。ジョンと視線が合い、遅刻を咎めるような表情を向けられたのも一瞬、すぐにバーテンダーとしての余裕と自信に満ちた顔つきに戻っていた。


「ユベール、彼がそうか?」


 フェルが小さく指差したのは、審査員席に座る紳士然とした男だ。下品で野暮ったいという典型的なシャイア人のイメージは彼には当てはまらない。洗練されたスーツを着こなし、洒脱な雰囲気と堂々たる存在感を放っていた。


「間違いない、ティエン・ホウだ。予想は的中だな」


 カクテルコンペの主催であるジョン・フォー・トレードがティエン・ホウの設立したペーパーカンパニーだという推測は裏付けられた。その予想を元にカクテルレシピを考えたジョンは、選考において優位に立てることだろう。


 司会の女性は決勝に残った四人の紹介を終えると、審査方式についての説明を始めた。各自の持ち時間は十分、その中で自らの考案したカクテルについてのプレゼンテーションと、実際にカクテルを作るパフォーマンスを行うという内容だ。


「なお、優勝者へのトロフィーと賞金の授与式を執り行った後、優勝されたバーテンダーからご観覧の皆様へカクテルを振る舞わせていただきます。皆様、どうぞ最後までお楽しみいただきますようお願い申し上げます」

 司会が一礼して挨拶を締めくくると、拍手が沸き起こる。

「ユベール、どう思う?」

「悪くないな。ジョンは顔がいいし、喋りも軽妙だ。上手く観衆を味方に付ければ、カクテルを実際に味わう審査員も無視できない。観衆の熱気に包まれたこの会場で冷たいモヒートが出てきたら、誰だって飲みたいと思うだろう」


 くじ引きでパフォーマンスの順番が決まる。ジョンは四番目に決まった。


 最初のバーテンダーがステージに設けられたバーカウンターに立つ。彼が作ったのは華やかなトロピカルカクテルだった。リゾートで味わうにはぴったりのカクテルで、特産のフルーツを用いてアウステラらしさを出していたが、それだけだ。工夫は凝らされていてもストーリーのない一杯を、ティエン・ホウは一口だけ味わってグラスを置いた。審査員の反応の悪さは観客にも伝わり、バーテンダーが一礼してステージを去る際にも拍手はまばらにしか起こらなかった。


 代わってステージに上がった二人目のバーテンダーが作ったのは、フローズン・スタイルのカクテルだった。凍らせた果肉とラム酒をミキサーにかけ、ミントの葉を飾ったショートカクテルは夏にふさわしい一杯だろう。三人の審査員の内、ティエン・ホウを除く二人の反応は上々だった。


 続いて三人目のバーテンダーがステージに上がる。彼がバーカウンターに並べたのはラム酒、ミント、ライム、砂糖、そして色とりどりの液体が入った七本の小瓶だった。材料から見て、彼が作ろうとしているのはモヒートだ。


「ちょっとまずい展開だな」

「どうかしたのか?」

「三人目が作ろうとしているのは、おそらくモヒートだ。その後に登場するジョンが同じモヒートを作っても、どうしてもインパクトに欠ける。ティエン・ホウはいいが、残り二人の審査員がどんな判断を下すかが読めない」


 カウンターには七つのグラスが並べられ、グレナデンシロップの赤やブルーキュラソーの青をアクセントとした七色のモヒートが手際よく作られていく。味はともかく、見た目の華やかさは他の参加者と比べても飛び抜けていた。それぞれの色について説明するプレゼンテーションの口上も見事なものだった。


 盛大な拍手を受けて三人目の参加者がステージを降り、最後にジョンが登場する。彼は観衆に向けて一礼すると、こう口火を切った。


「本日、私が皆さんに提案しようと考えていたのは、伝説の航海者ジョン・フォーにちなんだカクテル『アヴァルカン・モヒート』でした」

 言葉を切ったジョンは、悪戯っぽく微笑んで続ける。

「とは言え、モヒートはもう見飽きた、という方も多いのでは?」

 ジョンがウインクすると、会場が沸く。

「ですので、ちょっと目線を変えて珍しいカクテル……いえ、珍しくなってしまったカクテルをお集まりの皆さんにお目にかけようと思います」


 ジョンがカウンターに並べたのはユベールたちが仕入れてきた金華佳酒とアルメアンウィスキー、そして何の変哲もない氷塊とオールドファッションドグラスだった。観客が興味を示す中、彼はアイスピックを手に取って氷を削り始める。歪な形の氷塊は、ジョンの手の中で綺麗な球形に整えられていく。


「氷を削る間に、今回のカクテルに用いる酒の説明をいたしましょう。まずはこちらの金華佳酒。これはシャイア帝国で生まれた酒で、輸入した白ワインに香りのいい金華佳の花冠を漬けこんだ、甘く滑らかな舌触りの酒です」


 最初のロックアイスができあがり、グラスに入れられる。


「次にこちらのアルメアンウィスキー。聞き慣れない名前だという方も多いでしょう。実際、ウィスキーの多くはエングランド王国で生産され、アルメア連州国はどちらかといえばバーボンで有名です。こちらはアヴァルカ半島の蒸留所で生産された一本で、熟成年数は八年と長くありませんが、温暖な気候もあって熟成が早く、二十年ものや三十年ものにも劣らない奥深さを持っています」


 ふたつ目のグラスにロックアイスが入る。


「どちらも決して珍しい酒ではありません。数は少ないながらも、ここアウステラ連邦にも輸入されていた酒です。そう、かの航海者ジョン・フォーが南央海航路を切り拓いてから数百年、央海戦争が始まって輸入が途絶えるまでは」


 観客の間に理解が広がる。アルメアとシャイアの戦争は、物資の多くを輸入に頼るアウステラ連邦にとって大打撃だった。石油や鉱物はもちろん、食料や日用品の不足は市民の生活を直撃し、先行きへの不安を高めている。


「美味しい酒に国境はありません。両国の酒を用いたこのカクテルが手軽に作れるスタンダードカクテルとなる日が戻ることを願い、腕を振るわせていただきます」


 みっつ目のロックアイスができあがり、よく冷やされた金華佳酒とアルメアンウィスキーがグラスに注がれていく。軽くステアして完成の、シンプルなレシピだ。


「このオリジナルカクテルは『エンカウンター』と名付けました。本来であれば出会うことのないものが、海を越えて出会ったことで生まれたカクテルであるという意味をこめています。アウステラ特産の南極氷が弾け、金華佳の花冠とシェリー樽に由来する華やかな香りが広がるのをお楽しみください」


 ジョンのパフォーマンスは優雅な一礼で締めくくられた。審査員と観客、双方にアピールできる内容だったと言えるだろう。満場の拍手の中、不敵な笑みを浮かべてステージを降りるジョン。本人も手応えを感じたようだった。


 審査員が別室で最終審査を行う間、歓談の時間が設けられた。決勝に残った参加者の中でもジョンは人気があり、常に人に囲まれていた。少し離れた場所で時間を潰していると、見知った顔が手を挙げて近づいてくる。


「ユベール君。ずいぶん遅かったね」

「こんにちは。ええと……」

 そう言えば、ジョンの友人である彼の名前を知らないことに気付く。

「サミュエル・シーカー。親しい友人にはシェイクと呼ばれています」

「では、シェイクとお呼びしても?」

「ええ。フェル君も、こんにちは」

「こんにちは、シェイク」


 ベストにタイを合わせたバーテンダーの姿でなくとも、すらりとした立ち姿と細いフレームの眼鏡をかけたシェイクは立っているだけで絵になる格好よさだ。


「自分が参加しているわけでもないのに、妙にどきどきしますね」

 苦笑するシェイクに、気になっていた問いをぶつけてみる。

「シェイクは参加しなくてもよかったんですか?」

「昔からシャイな方でしてね。こういう催しは苦手なんですよ」

 そう言って肩をすくめる。

「同業者として、優勝するのは誰だと思いますか?」

「友人としては、ジョンのパフォーマンスが一番よかったように思えます」

 シェイクがはにかむような笑顔を見せて言った。

「シェイク、ユベール! それにフェルもこっちに来いよ!」


 三人に気付いたジョンが手を振って呼んでいた。釣られて周囲の視線も集まってしまい、シェイクとお互いに顔を見合わせて苦笑する羽目になった。



「皆様、ご静粛に願います。これより優勝者の発表がございます。審査員長を務めたジョン・フォー・トレード代表ティエン・ホウ様、お願いいたします」


 壇上にティエンが姿を現すと、ざわめいていた会場が静まる。


「審査員長のティエン・ホウです。本日はお集まりいただきありがとうございます。厳正なる審査の結果、栄えある優勝はジョン・フォリナー氏の『エンカウンター』に決定いたしました。氏にはトロフィーと賞金が贈られます。おめでとう」


 拍子抜けするほどあっさりとした発表に、ティエンが拍手を始めるまで誰も反応できなかった。ぱらぱらと始まった拍手は次第に大きくなり、他の参加者と一緒にステージに並んでいたジョンは手招きされて戸惑ったように進み出る。


「おめでとう、ミスター・フォリナー」

「はあ……あの、光栄です」


 ティエンは司会の女性から受け取ったトロフィーと賞金の小切手をジョンに渡し、握手を交わすとさっさとステージを降りてしまった。


「ええ、では、この後は優勝者のジョン・フォリナー氏の挨拶と、ご来場の皆様へのカクテルサービスがございますので、どうぞ最後までお楽しみを……」


 司会が言い終える前に、会場の後方にある扉が乱暴に押し開けられた。雪崩れこんできたのは数名の警察官で、彼らは会場の人間に鋭い視線を走らせる。


「この中にシャイア人のティエン・ホウはいるか」

 先頭に立つ警官が高圧的な調子で問いかける。

「ティエン・ホウは私だが、君たちは?」

 落ち着いた様子でティエンが進み出ると、警官が書類を突きつける。

「在留シャイア人の拘束と資産凍結の執行証書だ。警察署まで同行を願おう」

 警官の発言に会場がざわつく。

「ふむ。アルメアに次いで、アウステラでもこのような愚行がまかり通るとはね。私はこの国の良識を少しばかり過大評価していたようだ」

 落ち着き払ったティエンの態度に、警官が憤怒の表情を見せる。

「おいおい、ちょっと待ってくれよ」

 割って入ったのはジョンだった。

「彼が主催するカクテルコンペで優勝して、賞金をもらう約束なんだ。資産凍結って言ったか? その場合、俺がもらうはずの金はどうなるんだ」

「そんなもの、支払われるはずがないだろう」

「はあ? 一千万だぞ? ふざけてんじゃねえ」


 にべもない警官の言葉に激昂しかかるジョンを、ユベールとシェイクが二人がかりで止めた。ここで警官を殴っても話がこじれるだけだ。


「証書を見せたまえ」

 身柄の拘束と資産の凍結という事態に際して、ティエンは冷静だった。

「なるほど。即時執行、裁判もなし。法治国家とは思えないな」

 ティエンはそっとため息をつくと、ジョンに向き直る。

「ミスター・フォリナー。申し訳ないが、賞金の支払いは戦争の終結まで待ってもらえるかな。このティエン・ホウの誇りにかけて、必ず支払うと約束しよう」

「あんた、それでいいのか。シャイア人ってだけでこんな理不尽が許されるのかよ」

 ジョンの言葉に賛同の声が上がり、形勢不利と見た警官が大声で怒鳴る。

「シャイア人をかばうものはスパイと見做して拘束するぞ!」

 その一言が火に油を注いだ。空気が張り詰め、一触即発の状態となる。

「やめたまえ!」

 会場の隅々までよく通る声で一喝したのは、ティエンだった。

「私は荒事を好まない。皆が私をかばってくれる気持ちはありがたいが、誰かが傷つく事態は本意ではない。拘束でも資産凍結でも、好きにするといいだろう」


 ティエン本人が警察に従う意思を見せたのでは、それ以上かばうこともできなかった。彼はむしろ警察官を付き従えるようにして、堂々と会場を去っていった。コンペ自体も続けられる空気ではなく、そのまま解散となった。



「得られたものは金にならないトロフィーと、換金できない小切手だけか」

 シェイクのバーに戻り、やけ酒をあおりながらジョンがこぼす。

「そう落ちこむなよ。戦争が終わるまでの我慢さ」


 余った材料を使って、シェイクがモヒートを作ってくれた。アヴァルカンミント、ライム、砂糖をバースプーンで潰して香りを出し、クラッシュアイスを詰めてラムとソーダを注ぐ。自分で仕入れた材料で作られたモヒートは格別だった。


「ったく、人の迷惑を考えて戦争しろってんだ」


 ジョンは自分で作ったエンカウンターを飲み干し、忌々しげに小切手を指で弾く。すぐに換金できないとはいえ一千万の価値を持つ紙片をシェイクが取り上げる。


「これは君だけのものじゃないんだから、預かっておくよ」

「頼む、シェイク。俺が持ってるとなくしそうだ。ユベールもいいか?」

 ジョンに問われ、フェルと顔を見合わせる。特に異存はなかった。

「構わない。短い付き合いだが、シェイクなら安心だ」

「わたしもそれでいい。戦争が一日でも早く終わることを願おう」


「よし、任された。預かり料は、そうだな……」

 軽く悩んだ後、シェイクが指を鳴らす。

「君のカクテルである『エンカウンター』を店に出す許可をいただくとしようか」

第九話「航海者の杯を満たすは幻の酒」Fin.

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ