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空飛ぶ魔女の航空会社〈Flying Witch Aviation Company〉  作者: 天見ひつじ
第九話 航海者の杯を満たすは幻の酒
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9-6

 クルバ島からアヴァルカ半島へ飛ぶ間に、アルメア艦隊の影を見かけた。速度がバラバラで艦列は長く伸び、最後尾の艦に至っては黒煙を噴き上げている。おそらくリーリング海峡付近での戦闘に参加したのだろう。


「ユベール、艦隊との距離が詰まっている。回避しなくていいのか?」

 伝声管を通じたフェルの声にはっとする。

「いや、空母を刺激するのはまずい。進路を変えるぞ」


 戦艦の砲撃はともかく、先のディーツラント戦から実戦に投入されるようになった空母から艦載機が出てくれば空戦になりかねない。相手に気付かれる前に、あるいは見逃されている内に機首を巡らせ、雲の陰に隠れる。


 しばらく飛んでいると、陸地が見えてくる。アヴァルカ半島の南岸だ。このまま陸地に沿って進めば、ギルモットが接岸できる港を備えた街に着く。


「このまま飛べば、ルーカの上空を通るな」

「寄ってはいけないが、高度を落としてフライパスしよう」

「了解した」


 フェリクスを含めた飛行機乗りたちは待避しているはずだが、フェルが心配になる気持ちも理解できる。速度を落とし、砂浜を横目に見ながらフライパスする。機影はなく、取り残されたデッキチェアが物悲しさを漂わせていた。


「誰もいない、か」

「今度はゆっくり訪れたいものだ」

「ああ、そんな日が早く来るといいな」


 実のところ、そうした未来が訪れるかどうかはわからない。


 ルーカには小型の水上機しか離着水できないが、まともな飛行場の少ないアヴァルカ半島において、軍事的価値は決して低くない。その存在が知られれば、軍に接収されて大型の飛行艇や艦船も接岸できるよう整備されるか、少なくとも敵軍に利用させないために破壊されてしまうだろう。いずれにせよ、フェリクスが認めた者だけが知る飛行機乗りの楽園はこの地上から消え去ってしまう。


 フェリクスが口を割ることはないだろうが、ルーカを知る全ての飛行機乗りが秘密を守れると信じられるほど、ユベールは彼らのことを知らない。


「さっきからどうも雲行きが怪しい。荒れる前に先を急ごう」

「了解した。このまま警戒を続ける」

「頼んだ」


 アヴァルカ半島の付け根に位置するデルヒーの街に着いたのは、雨が降り始める直後だった。嵐の前触れか、海面が大きくうねっている。キャノピーを波飛沫に洗われながら着水し、潮に流されそうになりながらどうにか桟橋に寄せる。天候はすぐに回復しそうもないので、近場の整備工場と話を付けてギルモットを陸に上げた。


「ユベール、すぐに発たなくていいのか?」

 生温かい雨に濡れたフェルが問いかけてくる。

「この荒れ方じゃ離水は難しい。天候が回復するのを待とう」

「だが、カクテルコンペの開催まで時間はないだろう?」


 確かに時間の余裕はない。雨が長引けば、コンペの開催までにアウステラへ戻れない可能性もある。そうなればクルバ島へ飛んで仕入れた材料も無駄になる。燃料代も考えれば大幅な赤字となるだろう。フェルはそれを気にしているのだ。


「いいか、フェル」


 手近な建物の軒下で雨宿りしながら、続けるべき言葉を考える。懐から出した煙草は湿気っていて、マッチで火を付けようとしてもくすぶるだけだった。


「俺たちにとって、最悪の失敗は何だと思う?」

 ユベールが問いかけると、フェルはその答えにすぐ気付いたようだった。

「ギルモットが墜落して、二人とも死ぬことだ」

「その通りだ。それに比べりゃ、赤字が出るくらい大したことじゃない。ジョンには悪いが、俺たちの仕事はどうしても天候に左右される部分がある」

 うなずき、深呼吸したフェルがユベールの顔を見上げる。

「すまない。少し焦っていたようだ」

「金額が金額だしな。気持ちはわかるが」


 トゥール・ヴェルヌ航空会社は、ほぼユベールの個人的な伝手で仕事を得ている零細会社だ。信用の失墜に直結する失敗が恐ろしくないと言えば嘘になる。


「こいつは命を懸けるに値する仕事じゃない。俺にとっても、お前にとってもだ」

「了解した。アウステラに向かうのは天候が回復してからにしよう」


 港の近くで宿を取って、一晩ぐっすり眠る時間を取れた。翌朝も雨は降り続いていたので、仕入れを済ませて宿で待機する。新鮮さが命のアヴァルカンミントは出発直前に入手するのが望ましいので、店の目星だけは付けておく。



「今日も波が高いな」

「ここは我慢だな」

「間に合うのか?」

「明朝に発てば、何とかな」


 デルヒーに着いて三日目。空は晴れ渡ったが波が大きくうねり、水上機が飛び立てる状態ではなかった。順調にスケジュールを消化していればアウステラに到着している頃合いだ。二人の帰還を待つジョンは焦れているだろうか。ここまで晴れ続きだった分、ここにきてなぜと焦る気持ちばかりが募ってくる。


 気晴らしにデルヒーの街を散歩することにした。戦火はまだここまで及んでいないが、すでに避難した者やその準備を進める者も多く、静かでありながら熱に浮かされたような奇妙な雰囲気に街全体が包まれている。客の少ないカフェに腰を落ち着け、買ってきた新聞を開いた。一面を飾るのはやはり、央海戦争と呼ばれるようになったアルメアとシャイアの戦争、その戦況だった。


「アルメアは勝っているか?」

「記事を信じるなら、両軍とも上陸作戦には成功していないな。リーリング海峡付近で激しい戦闘が繰り広げられる一方で、沿岸部の工業地帯への砲撃も行われている。被害の規模は不明だが、トルジアも攻撃を受けたらしい」

「ヴェルヌ社は大丈夫だろうか」


 心配そうにフェルが言う。トルジアには航空機メーカとその工場が集中している。フェリクスが経営するヴェルヌ社も被害を受けた可能性があった。


「本社を兼ねた海岸沿いの工房とは別に、陸上機の製作を請け負う第二工房がある。内陸部にある個人所有の小さな飛行場に併設された工房だから、砲撃や爆撃の対象にもなりにくい。後継機の製造はそっちで続けてくれる手筈になってる」

「そうか。無事だといいが」

「頭金は払いこんできたんだ。無事でいてもらわなくちゃ困るさ」


 電話で確認することも考えたが、戦時中であり盗聴されている可能性を捨てきれない。ユーシアやルーシャ出身のユベールやフェルは悪くすればスパイの嫌疑をかけられかねず、フェリクスに迷惑がかかることを思えばリスクは冒せなかった。


 幸い、翌朝の海は穏やかだった。整備工場に無理を言って夜も明けきらない内からギルモットを海へ降ろしてもらい、摘み取ったばかりで朝露に濡れるアヴァルカンミントの束を水差しに入れて後席のフェルに持たせる。


「出発だ。しっかり抱えてろよ」

「任せろ」


 連日の長距離飛行にギルモットもよく耐えてくれている。流石はヴェルヌ社の整備を受けていただけはある。快調なエンジンの吹き上がりと共に、カクテルの材料を満載した機体がふわりと水面から離れる。ここからは時間の勝負だ。


「到着予定はコンペ前夜。ジョンには悪いが、入手困難になったシャイアの材料に加えて、新鮮なミントを使えるってことで満足してもらうしかないな」


 南央海中央のケーフィランドで給油して、そのままアウステラ連邦のルウィンダへ飛ぶ。道中は大きなトラブルもなく、天候も平穏そのものだった。日没を横目に見ながら高度と速度を維持、フェルの力も借りて現在地の把握に努める。


 星天の瞬きと暗い海の狭間、水平線の彼方に灯台の輝きが見えた。夜間飛行を開始してから数時間が経過した頃だった。瞬きのパターンから、目指すルウィンダ灯台であることを確認する。ようやく一息付ける瞬間だった。


「着水まで気を抜くなよ」

「ユベールこそ」


 半ば自分に向けた叱咤に、フェルが応じる。眼下に広がる街の灯を見ながら旋回し、港へ向けて高度を落としていく。夜間着水は難度が高いが、整備された大きな港であればある程度の光があり、波も穏やかなので着水しやすい。せっかく仕入れてきたカクテル材にダメージを与えないよう、丁寧に降ろしていく。


「ヒュプノシスに持っていくのか?」

「いや、前日はコンペの準備に当てると言っていた。ジョンのアパートだ」


 急いでギルモットに積んだ荷物を降ろし、一度に全て運ぶには厳しい物量に人を雇えないか考えているところに背後から声をかけられた。


「ったく、逃げたかと思ったぜ」

 腕を組み、顔をしかめつつもどこか安堵したような表情のジョンがそこにいた。

「ジョン。すまない、遅くなった」

「言われた通り、ミントは水差しにして持ってきたぞ」

「こっちもモヒートだけじゃ弱いと思って、色々と考えてた。立ち話してる時間も惜しいから、さっさと運ぶぞ。車を回すからちょっと待ってろ」


 ジョンの車に荷物を積みこみ、移動する。向かった先はヒュプノシスでもアパートでもなく、規模の小さいオーセンティックなバーだった。


「友人がやってるショットバーだ。コンペの準備のために今夜は借り切ってある。無駄にならなくてほっとしたぜ。俺は着替えるから、荷物の搬入を頼む」


 ジョンの友人だというマスターと挨拶を交わし、荷物を運びこむ。搬入が終わるころ、バーテンダーの格好に着替えて表情を引き締めたジョンが戻ってきた。


「仕入れのリストはあるか?」


 ユベールの差し出したリストを受け取り、物品の確認を進めていくジョン。話しかけるのに躊躇するような真剣な横顔だった。そんな様子を見て、ジョンの友人というマスターが二人に声をかけ、椅子を勧めてくれた。


「ああなったら周囲の声なんて聞こえちゃいないよ。なにか飲むかい?」

「ありがたい。さっぱりしたものがいいな」

「ジントニックでいいかい? お嬢ちゃんはヴァージンモヒートなんてどうかな」

「もらおう」


 手際よく作られたジントニックは、他の店のそれとは一線を画した。グラスや氷、材料に至るまで全てが選び抜かれ、さりげなくまとめ上げられている。乾いたのどを潤す一口目の爽やかさ、じっくり味わったときの甘みと酸味のバランス。シンプルでありながら、素晴らしい技術がこめられたカクテルだった。


「ジントニックをこんなにおいしいと思ったのは初めてだよ」


 ユベールが賞賛を口にすると、マスターははにかむように微笑んだ。モヒートからアルコールを抜いたヴァージンモヒートを口にするフェルも満足げだ。


「君たちはジョンに頼まれて仕入れに行ってくれたんだろう?」

 マスターはカクテル材を前に難しい顔をするジョンを見て続ける。

「仕入れの内容から見て、クルバ島、それからアヴァルカ半島まで足を伸ばしたのか。驚いたね、このご時世に大変だったんじゃないかい?」

「ご明察です。けど、それが仕事ですから」

「彼の友人として、僕からも感謝を。さっきのカクテルは僕のおごりだ」

「マスターは、ジョンとは長い付き合いなのか?」

 のどが渇いていたのか、グラスを空にしたフェルが割って入る。

「ハイスクールを出て、バーテンダーの修行を始めたころからの付き合いだね。彼は一年だけ先輩で、同じ見習いとして色々と教えてもらったんだ」


 マスターが言葉を切る。バーテンダーを志したのはジョンが先だが、未だに雇われバーテンダーのジョンと、小さいながらも自分の店を持つマスター。二人は、ただの友人という言葉でくくれるほどシンプルな間柄ではないのかも知れない。


「ユベール君と、フェル君だったよね。ジョンの面倒は見ておくから、君たちは帰って休むといい。コンペには僕も行くから、会場で会おう」


 早朝からの飛行で疲れも溜まっていたので、お言葉に甘えて帰らせてもらう。眠い目を擦りながらシャワーを浴び、ホテルのベッドに倒れこむ。


 飛行機乗りとしてやれることはもうない。後はジョンの腕と運次第だ。

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