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 メニーベリー基地に降り立ったぺトレールは歓喜の声で迎えられた。ユベールに向かって帽子を振る者、フェルにキスを投げる者、騒ぎを聞きつけて宿舎から駆けてくる者、パイロット仲間にはやし立てられ、取り分を残しておけと雄叫びを上げながら戦闘機を離陸させる者。その中には最初に降り立った時に二人を迎えてくれたメールマン大尉の顔もあった。


「やあ、メールマン大尉。また寄らせてもらったよ」

「よう、お二人さん。あんたらはいつでも歓迎だぜ」


 握手を交わし、機体を降りる。ついでにコクピットの側壁を乗り越えるのに手間取るフェルの両脇に手を入れて降ろしてやろうとしたら抵抗されてしまった。子供ではない、ということらしい。彼女の意思を尊重して見守る間に、知らせを受けて司令室から出てきたバーンスタイン大佐も姿を見せる。


「よく来てくれた、ユベール君。フェル嬢もごきげんよう。基地一同を代表して、君たちの再訪に感謝の言葉を述べさせてもらおう」

「またお会いできて光栄です、大佐」

「元気かい、ロイド」

「ちょっ……フェル!」

 屈託なく言ってのけるフェル。慌てるユベールだが、大佐は鷹揚に笑ってくれた。

「はっはっは、構わないさ。ああ、私は元気だよ、フェル嬢」

「よかった。わたしも元気だ」

 満足げに笑うフェルだが、これから告げなければならない内容を思うと頭が痛い。

「ところで大佐、貨物の件ですが……」

「うむ、そうだな。目録と請求書をくれたまえ」

「申し上げにくいのですが、こちらへ向かう途中、アルメア機の襲撃を受けまして。なんとか振り切ったのですが、三つ積んできたビール樽のうち、二つは投棄せざるを得ませんでした。当然、その分のお代はいただかないつもりですが、基地の全員に行き渡るだけのビールを運べなかったのが残念です」

 それを聞いたバーンスタイン大佐が顔をしかめる。

「なんと、アルメア機が? ふむ、それは申し訳ないことをした。実は我々の爆撃機がアルメア機に追い回される事件も散発しておってな。参戦したばかりで経験の浅いパイロットが多いゆえ仕方のない部分もあろうが、厳重に抗議しておこう」

「そうでしたか、そちらでも……」

「上陸作戦でアルメア軍が果たした役割は決して小さくないが、味方が撃たれているとなれば話は別だ。苦言は呈さねばならん……と、君に話すことではなかったな」


 アルメアはディーツラントの背後にいるシャイアと地球の裏側で海を挟んでにらみ合っているため、アルメアの陸海空軍の精鋭はそちらへ張りつけられていると聞く。二正面作戦を展開するに当たって、対ディーツラント連合軍に参加したのは二線級の部隊、酷ければこちらの戦線はシャイアとの最前線に投入するための事前準備、練度向上の場として捉えられているとも考えられる。驚くべきはそれでもディーツラントを圧倒するだけの物量を誇るアルメア軍の強大さだった。


「とはいえ……友軍の不始末を、民間人である君たちに押し付けるわけにもいくまい。投棄した樽の代金も支払わせてもらおうと思うのだが」

「……いえ! 我々もプロとして仕事をしています。ご厚意に甘えるわけには」

「では危険に対する報酬を上乗せ、という形ではどうかね?」

「ありがたい申し出ですが、私にも運び屋としての誇りがあります」

 そのとき、ユベールの服のすそを引く者がいた。フェルだ。

「ユベール」

「後にしろ」

「……だが」

「今は仕事の話をしている。わかるだろ?」


 大事な場面で口を挟まれて舌打ちしたくなる気持ちを押さえる。フェルとしては報酬をもらい損ねることを心配しているのだろうが、見くびらないで欲しいものだ。トゥール・ヴェルヌ航空会社の経営者として、社員の給料は絶対に保証する。しかし、そんな意気ごみも大佐の一言で制されてしまう。


「待ちたまえ、ユベール君。フェル嬢から提案があるようだ」

 黙ってうなずき、発言していいかと目で問うフェル。

「……言いたいことがあるなら言えばいい」

「カクテルだ」

 ユベールの言葉にぱっと顔を輝かせ、勢いこんでフェルが言う。

「ふむ?」

「…………ああ、そういうことか」


 バーンスタイン大佐は言葉足らずなフェルに首をかしげるが、ユベールはほどなくしてフェルと同じ着想に思い至った。その案が実現可能か数秒だけ考え、勝算は十分にあると判断を下す。


「大佐。ビール不足を補う提案があるのですが」

「ほう、おもしろそうだ。聞かせてもらおうか」


 数分後、大佐の命令を受けた整備兵たちが重そうな木箱をいくつも運んできた。中に入っているのはこの地方の名産、シャンパンだ。冷えていないのが難点だが、戦場で贅沢は言えない。手早く設置されたひとつきりのビール樽の前には、メールマン大尉の仕切りですでに大勢の兵隊が並んで列を作っていた。すぐ側には木箱の上に立たされたフェルの姿もある。口火を切ったのはメールマン大尉だ。


「よし、貴様らよく聞け。まずは悪い知らせだ。アルメア空軍の間抜けのおかげで、我々に届けられたビールはこのひと樽っきりだ!」


 その途端、アルメア軍に対するヤジが盛大に飛ぶ。フェルが耳を塞ぐほどの喧騒が収まるまで、たっぷり十数秒はかかっただろう。


「お次はいい知らせだ。ここにおわすは戦場の女神にしてビールの運び手、フェル嬢だ。彼女が貴様らにとっておきのカクテルレシピを教えてくださるとのことだ!」


 今度は先のヤジをも上回る歓声が上がる。人形のように端正なフェルの容姿は戦場の偶像としての素質に溢れている。あまりの持ち上げようにとまどいつつも自分の役割を心得て、可憐にほほえむ様子はユベールをして心を奪われそうになる。


「ロイド、こちらへ」

「うむ」


 フェルに呼ばれてバーンスタイン大佐が歩み出る。司令官の厳粛な面持ちに誰もが固唾を飲み、成り行きを見守る。メールマン大尉からコルクを抜いたシャンパンを手渡されたフェルは、大佐の持つマグカップに半分ほどのシャンパンを注いだ。


「ビールを注げばカクテル……『ブラックベルベット』だ」

「ありがとう、フェル嬢」


 にこりと笑ったバーンスタイン大佐が樽の前へ進み、取りつけられた蛇口から真っ黒なスタウトビールを注いでもらう。『ブラックベルベット』はドライなシャンパンとスタウトのような黒ビールを等分に注ぐ、ビルドスタイルのカクテルだ。仕入れたビールのうち、黄金色のピルスナーはよく冷えるようにと翼間支柱に、それほど冷やさなくてもよいスタウトは胴体に積んでいたのが幸いした。


「うむ、旨いな。諸君も順番に注いでもらいたまえ。フェル嬢、よろしく頼むよ」

「頼まれた」


 こくりとうなずくフェルの前にたちまち長蛇の列ができる。ブラックベルベットのレシピは本来ならシャンパンとビールを1:1で注ぐものなのだが、それではビールが足りない恐れがあるため、6:4でシャンパンを多めに注ぐようフェルには指示してある。これがむさ苦しい炊事兵なら注ぐ量でケンカになりかねないが、男はとかくかわいらしい少女に弱いものだ。兵隊たちは嬉々としてフェルに注がれている。


「上手くいったようだね。私の演技も捨てたものではなかったろう?」

 一仕事終えた大佐がいつの間にかユベールの隣に立っていた。

「大佐。ええ、お見事でした」

「見事と言えば、フェル嬢だよ。聡明で機転も利く、素敵なレディじゃないか」

「はい、今回はあいつに助けられました」

「……事情について深くは聞かんが、大切にしてやりたまえよ」

「……ええ、彼女が独り立ちできるまでは」


 異国の少女が運び屋として働く姿に、思うところがあったのだろう。バーンスタイン大佐はそれだけ言い残して去っていく。濃厚に立ちこめる酒気に当てられたのか、上気した顔でシャンパンを注ぎ続けるフェルと、一瞬だけ視線が合った。視線は兵隊たちの身体ですぐに遮られてしまい、背の低い彼女の姿は見えなくなってしまう。やることのないユベールはどうにも居場所がなく、仕方がないので人混みから離れて少し歩くことにする。滑走路の外れ、飛行場全体を見渡せる位置に手頃な木箱が並んでいるのを見つけて腰を下ろし、マッチで煙草に火をつけた。


「ユベール」

「フェルか。お疲れさん。今回はお手柄だったな」

「ああ。これをもらった」


 小一時間もかかっただろうか。全員のカップにシャンパンを注ぎ終えたフェルは、樽の底にわずかに残ったビールで9:1のほぼシャンパンに近いブラックベルベットを二杯作ってもらったようだ。きょろきょろとユベールを探しているので手を振ってやると、こぼさないよう慎重に歩を進めてきた。差し出されたカップを受け取り、隣の木箱に座るよう促す。どこからかハムやサラミを調達してきた兵隊がいるらしく、滑走路の脇で宴会が始まっているのがここからだとよく見える。


「飲んでもいいだろうか?」

「もちろんだ。お前さんの仕事に対する報酬なんだからな」

 前回、ビールを飲んで酔っ払ったことを気にしているのだろう。

「それより、お前さんに謝らなきゃならんな」

「謝る?」

「提案に耳を貸そうとしなかったことだ。相棒であるお前さんに対して、俺はもっと敬意を払うべきだった。許して欲しい、フェル」

 頭を下げるユベールを、珍しいものを見たという顔でフェルが見る。

「……なんだよ」

「いや。構わないさ」


 その口元には、愉しげな笑みが浮かんでいた。どうも彼女はユベールの言葉を気にもしていなかったらしい。それでも、礼を欠いたのは確かなのだ。なにか埋め合わせをしてやらなければならないだろう。


「フェル。手柄を上げたご褒美だ。欲しいものはあるか?」

「欲しいもの?」

「ああ、今回の儲けに収まる範囲ならなんでもいいぞ」

「それなら……」


 フェルが取り出したのは空色の手帳、彼女のログブックだった。開いて見せられたページには、新聞の切り抜きが挟まっている。写真に写っているのは、子供用に仕立てた水兵服を身にまとう皇女と皇太子だ。


「……服が欲しい」


 細い指が写真を指差す。白と青を基調にした水兵服は少年少女が着ると勇ましくもかわいらしい。フェルにもきっと似合うことだろう。いま彼女が着ているのは丈を詰めたツナギの作業服であり、年頃の少女としては思うところがあるのかも知れない。


「わかった。特注になるから時間はかかるが、必ず作ってやる」

「約束だ」

「ああ、約束だ」


 娘に服を買い与える父親の気持ちとは、こういうものなのかも知れない。年相応に無邪気な笑顔を見せるフェルを見て、不覚にもそんなことを考えてしまった。

第一話「麦酒は戦場を潤す」Fin.

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